「絶対に“がんばる”ということはしたくない」

松尾貴史

2009.04.02 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
知らずズルリとプロの道。とにかくうれしかった

俳優で、舞台を企画し、おいしいカレーを作り出し、面白いコメディを目指す。DVDや著作をリリースし、この日の朝には、さる情報番組のコメンテーター席にいた。今回の舞台のコアにある落語も何度か演じている。

松尾貴史は、いったい何の人なのか。

そもそもは何になりたかったのか。

「学生時代はグラフィックデザイナーになろうと思ってました」

30年ほど前、松尾貴史は大阪芸術大学芸術学部デザイン学科の学生でグラフィックデザインを専攻していた。当時、かわいがられたのが映像学科の依田義賢教授。飲み歩くうちに、先生の勧めで、友人とギャグを作ってテープに録音するようになるのだ。

ただ、並行してグラフィックデザイナーへの道は模索していた。

「大学を卒業して1年間は大学の職員になるんですが、夕方以降時間が空くんで、話し方教室みたいなところに通ってたんです。デザイナーになって広告業界で仕事をするのにプレゼンテーションに役立つんじゃないかなと思って。月曜から金曜まで毎日3時間授業があって月謝も確か1万円、良心的でしょ? 電通とか関西の放送局が出資して才能を育てようという機関だったらしいんですけど。標準語、放送基準、表現、発声練習、滑舌、CMでの実習みたいなことを毎回3時間みっちりやるんですよ。そこに今度は電通からナレーションのアルバイトの斡旋がくるんです」

わずかな実働で、大学助手の数倍の賃金。親戚が経営していたディスコのDJ見習いのギャラと合わせて、月収14万円。実は大学卒業のときに、あるデザイン事務所を紹介されたが、東京で、残業に次ぐ残業で月収8万円。住宅手当、もちろん支給されず。

「それは行く気しないでしょ。それであきらめつつあるうちに、声の仕事が軌道に乗ってきてしまったんです。バイトしてたディスコに、ある芸能事務所の社長さんとかタレントさんが遊びに来てて、誘われたから事務所に遊びに行ったんです。そのときに『こんなんして遊んでます』って、例のカセットテープを置いて帰ったら、無断でダビングされていろんな放送局に送られて。すぐにラジオのオビの仕事が2本決まったんですよ」

24歳のときのことだ。ニッポン放送はナイターオフの月~金曜、当時大人気だった三宅裕司の『ヤングパラダイス』の前の1時間。大阪・朝日放送は毎日10分、1週間のオビ番組。この時点で、芸歴はゼロといってよい。

「素人にいきなり1時間まかすなんて、東京の放送局はむちゃくちゃやなあって思いました。でも、そういう表現をするのは好きやし、落語が子どものころから好きやったから、そっちの方にも自分の触手は伸びていたということなんでしょうね。楽しそうなものが周りにいろいろある状態になって、もううれしくって…」

何でもやってみてみる。面白がれるか、楽しめるか

キャリアは25年になろうとしている。つらい時期はなかったと言う。

「仕事のジャンルに貴賤はないですよ。“それが楽しいかどうか”じゃなくて“楽しめるかどうか”で選べばいいと思うんですね。『仕事がつまらん~』って言う人、よくおるでしょ? 『楽しんでるんか?』って言いたいですね。与えられる楽しさを待っててどうするんやと。シンデレラやないねんから(笑)。選挙の投票でもそう。入れたい人がおらんから投票に行かん…って、アホかと。どっちの方がマシかで入れていかんと、白馬に乗った王子様なんて現れませんよね。“これやったら、自分はこんなふうに楽しめるやろ”って。嫌な上司のもとで毎日嫌な思いをして働いている人もいますけど、やっぱり何らかのやりがいを見つける工夫をして生きてると思います」

“いったい何の人なのか”っていう人になったヒミツがこの辺にある。

「了見が学生のころから変わってないんですね。僕はデザイン科の先生とは遊ばなかった。そういう人のところに行くと、点数を良くしてもらおうと考えたりしてしまう。依田先生は自分と関係ない映像学科の教授やったし…これには自信がありますけど、役に立つところには行かない(笑)。役に立ちそうなことを学んでても、結局そうじゃないところに行ってしまうことがなんとなくわかっていたんです」

そしてピシャリと“人脈”を叩く。

「“絶対にこの人仕事では役に立たへん(笑)。けど素敵やな、楽しいな”みたいなことで付き合った人たちとは、何かいいことが始まるんです。得になるから仲良くなろうとした人なんて、絶対に素敵なことは訪れません。異業種名刺交換会なんて行ってるヤツらは絶対に得しないですよ。“人脈”という文字を意識した段階で、その人から得するようなことは降りてこないと、僕はそういう考え方でしたね」

ただ単にその人や、その状況を楽しむ。それが“正しい”とか“よい”のではなく、それが“楽しい”からだ。

「絶対に“がんばる”ということをしたくないんですよ(笑)。もちろんやっていることを継続するためにはある種のがんばりは必要です。でも“がんばり”ということばを定義してみると…実力が100ある人が98の力でやっていても、もし楽しんで取り組んでいたら、それはがんばりではないんですよ。それで効果が得られていればいいだけのことですよね。でも、嫌だと思いながらやっている人はね、100のなかの30の力でやっていても“がんばってる”って言うと思うんですよ。僕はしんどいと思ったら絶対にしません。自分で楽しめると思う状況やったらエネルギーは費やします。外から見たらがんばってると思うかもしれないけど、絶対にがんばりたくないんです」

1960年神戸市生まれ。大阪芸術大学を卒業後の84年『キッチュ』の名でデビュー。86年には中島らもの主宰する『笑殺軍団リリパット・アーミー』の旗揚げに参加。89年、松尾貴史に改名。ラジオパーソナリティや、文化人モノマネのほか、俳優、文筆家、折り紙作家などなど、活躍の場を広げ続ける。08年には京都造形芸術大学芸術学部映画学科の准教授に就任。落語家の春風亭昇太、奇術師のパルト小石、モンティ・パイソン研究で知られるコメディ・ライターの須田泰成らと、東京都世田谷区でバーを共同経営し、こちらでは富士吉田市の居酒屋の名店『糸力』のカレーを供する。下北沢『般°若』はwww.pannya.jp/ 『江戸の青空-Keep On Shackin’-』はチケット発売中。広島、北九州、大阪、名古屋、札幌、新潟、仙台公演もあり。(問)ジーツープロデュース:03-5738-0637 

■編集後記

お笑いの勝ち抜き番組に送り込まれた時代。ネタを作らずに出かけて『お笑いスター誕生』のプロデューサーに叱責されたり…なかでも横山やすし司会の『ザ・テレビ演芸』は、恐怖!「収録中『オマエみたいなやつを××××さんから殺せって頼まれとる』って言われて。足がくがくですよ。審査員もみんな凍り付きながら、僕に投票してくれて、勝ち抜いてしまった(笑)。ピンポイントでのつらさはありましたけど、つらかった時期はやっぱりないですね」

武田篤典(steam)=文
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