あの時の話、聞かせてください!

第6回 ハイスタ、難波章浩が半生を語る!

2009.04.22 WED

あの時の話、聞かせてください!


写真提供/TRAFFIC 最近は、バンドULTRA BRAiNのTYNK BRAiNとして活動する機会が多い難波章浩さん。ちなみに、その音楽性はパンクにデジタルサウンドを融合させたもの

結成から活動休止まで…難波章浩がハイスタ時代を振り返る!



音楽の世界には、特別なバンドというものが存在する。2000年に突然活動休止してしまったHi-STANDARD、通称ハイスタもそのひとつだ。

全曲英詞というスタイルから、洋楽シーンにもっとも近いバンドとして認知されたということもあるが、それだけでは特別なバンドとはいえない。

海外の大物バンドともタメをはる存在感。個性的でエモ-ショナルな楽曲。ワン&オンリーなバンドだったからこそ多くの支持を集め、英詞では売れないという日本の音楽業界の常識をくつがえすヒットを記録したのだろう。

ハイスタとは何だったのか。ボーカル・ベースの難波章浩さんにあらためて聞いた。

「とにかくパンクが好きだったんですよ。もともとクラッシュとかのコピーバンドから始めたくらいだから。若いころは、ほとんど日本のバンドを聴いてなかった。本当に洋楽ばっかり聴いてたなぁ。なんで自分は日本人なんだろうと思ってたくらいで(笑)。だから、英詞で歌うっていうのは俺にとっては自然なことだったんだよね。速いビートに乗せて、メロディアスで、ラウドなギターが鳴ってっていうイメージは初めからあって。そういうバンドがやりたいってことでハイスタを結成したわけだけど、最初から海外のバンドと比べても負けないバンドというのが目標だったから。最初は観客も4人ぐらいしかいなかったけどさ(笑)。それでも全開で演奏したよ。そういう気持ちは忘れちゃいけないよね」

91年、難波さんとギターの横山健さん、ドラムの恒岡章さんを中心に結成されたハイスタは、次第に頭角をあらわし、94年にミニ・アルバム『ラスト・オブ・サニーデイ』でデビュー。海外のバンドとも交流が深く、GREEN DAYやOFFSPRING、NOFXといった有名バンドとツアーを回り、いつのまにか海外バンドのオープニングアクトといえばハイスタというポジションを獲得していた。
写真提供/TRAFFIC 昨年、沖縄の祭りで撮影されたオフショット。「沖縄にも、ハイスタのコピーバンドやってますっていう若者がいたりして、うれしくなりますね」とは本人の弁
「当時は、海外のバンドと共演するようなバンドの数も少なかったからだと思うけど、本当にいろいろなバンドと共演させてもらいましたね。昔は、日本だとスタンディングでライブできる場所も少なくてさ。海外に行ったりすると、オールスタンディングでモッシュしたりしてて、文化が違うなぁって。パンクのライブなんて、いかに暴れにいくかじゃないですか(笑)。座って見る会場なんて絶対に嫌だと思って。スタンディングの場所を選んでライブするようにしてましたね。あとはチケット代も安く抑えてた。みんなに見てほしいけど、若いころってお金持ってないじゃないですか。なけなしのお金を使って見にきてくれるわけだからさ。思いっきり楽しんでほしいし、最高だったと思われるライブにしたかったから、いつでも全力でしたよ。ほとんどライブで利益を得たことはないですね」

そうした姿勢にもファンは惹かれたのだろう。97年リリースのアルバム『ANGRY FIST』は、オリコン3位を記録。99年には、アルバム『MAKING THE ROAD』をリリース。日本・海外を含め100万枚以上をセールスし、不動の人気を得る。2000年8月には、ロックフェスティバル『AIR JAM 2000』を企画。ハイスタは大トリとして登場。今では伝説として語り継がれるステージとなった。

「本当に最高だったな、あのライブは。俺もパワーをもらったもんね。自分が何かを与えてるって感覚はまったくなかった。みんなで同じ場所、同じ時間を共有できているっていうのが、ものすごく素晴らしいことだなって感じることができて。正直に言うと、じつはあの時、バンドの状態はよくなかったんだよ。でも、やってみたらすっごくいいライブができたんだよね。だから、やったーって本当に思ったの。みんなに、よかったよ、ありがとうって言ってさ。絶対大丈夫だ、ハイスタはこのままいけるぞって。だけど、なぜかその後、うまくいかなかったんだよね」

『AIR JAM 2000』終了後、ハイスタは活動を休止する。
難波さんは、ひとり沖縄へ移住することになった。
ひとつひとつ真摯に質問に答えてくれる難波さん。写真ではわかりにくいが、TシャツはNOFXのFAT MIKEが発行人の、PUNK ROCK専門誌『Punk Rock Confidential Japan』のもの!

沖縄での生活、苦悩の日々…難波章浩が再始動するまでの道のり



傑作アルバム『ANGRY FIST』、『MAKING THE ROAD』をリリースし、2000年にはロックフェスティバル『AIR JAM 2000』で最高のパフォーマンスを見せてくれたハイスタが、直後に活動休止してしまったのは、ファンにとって大きな衝撃だった。ボーカル・ベースの難波さんに「なぜ?」と問いかけると、慎重に言葉を選びながら、静かに口を開いた。

「あまり詳しくはいえないけど、バンドの状態がよくなかったのは確かだよ。あのままハイスタを続けられるような感じじゃなかった。それに、みんな10年近くハイスタとして走ってきて、自分ってなんだろうって確認したくなったのかもね。俺はハイスタを続けたいって気持ちがあったけど、ハイスタじゃないスタイルの音楽もやりたいという思いも一方であって。いろんなジャンルの音楽を聴くようになってたから。エイジアン・ダブ・ファウンデーションとか聴いたときは、『これもパンクじゃん!』と思ったし、『アンダーワールドもヤバイぞ。これもパンクだ!』なんて興奮したり。でも、いきなりハイスタでそれはできないじゃないですか。ちょっと、俺の音楽性にメンバーが疑問を抱いたりして(笑)。でも、残念だったな。仕方がなかったんだけどね」

「誰も自分のことを知らないところに行こう」と決心し、沖縄に移住した難波さんは、自分のスタジオを作り、音楽に没頭した。そのあいだに子どもを授かり、父親にもなった。

「こと沖縄って音楽の島だから。どこ行っても音楽が流れているんですよね。そういう意味ではいい環境に来たなぁと思って。ハイスタしかやってなかったから、すごく勉強しましたよ。とりあえず録音技術を身につけようと思って。打ち込みの音楽もやってみたかったからさ。それまでパソコンすら持ってなかったんだけど(笑)。ひたすらスタジオにこもって音楽やって、子育てして。でも、充電期間って状況ではなかったな。精神的には、むちゃくちゃ過酷でしたね。自分で望んで沖縄に来たわけだけど、ハイスタの難波として生きてきた自分がなくなったという喪失感が思いのほか大きかった。ファンにも勝手なことをしちゃったな、と思って。それで、また発信しようという気持ちが湧き上がってきたんですけどね」

2000年から2004年までのブランクを経て、難波さんは2005年に自身の事務所を設立。2006年から本格的に活動を再開する。今年3月には、チベットの自由を支援するコンピレーション・アルバム『SONGS FOR TIBET FROM JAPAN』をリリース。難波さんの呼びかけのもと、BOREDOMS、BRAHMAN、MONGOL800、HAWAIIAN6、御大・細野晴臣などそうそうたるメンツが集結した。この作品の収益の一部は、ダライ・ラマによる平和推進活動を基盤にした事業の支援に使われる予定だ。
撮影/TEPPEI KISHIDA 99年のチベタン・フリーダム・コンサートにハイスタとして参加したときのショット。イベント提唱者は、ビースティー・ボーイズのアダム・ヤウク
「ハイスタ時代から、チベタン・フリーダム・コンサートに参加してたしね。その前からチベット問題にはちょっと興味があったんだ。ダライ・ラマの本もよく読んでたし、同じアジアの問題として、俺にはものすごく人権が無視されている不当な状況だって気がしたのね。ミュージシャンって、自由な表現を求めて、自分が自由だってことを確認したくて、音楽をやってる人も多いと思うんですよ、俺もある意味そうなんだけど。だから自由が奪われている人たちに対して何かできないかと思ってこのアルバムを企画したんです。今回、ULTRA BRAiN名義で作った曲はニュースの映像とか見てたら、チベットの人たちの声が聞こえてきたんだよね。怒りであったりとか、勢いであったりとか。その気持ちを音にして表現したかったんだ。ハイスタ時代と音楽スタイルはまるで違うけど、根底にはパンクが流れてますよ。このメッセージが伝わればいいんだけどね」

難波さんは、パンクは精神的なものだという。そして、パンクは自分の主張や感情をメッセージする手段として有効だと。そういう意味では、難波さんはハイスタ時代から何も変わっていない。

最後に。ファンなら誰もが気になるハイスタ復活の可能性について聞いてみた。

「まあ、今でも俺はハイスタとして生きてるし、ハイスタというチームはまだある。解散という形はとってないから。ついこのあいだ子どもが生まれたとき、メンバー2人から電話も来たしね。そうだなあ、実際、音を出すというのが具体的なところだと思うんだけどスタジオに3人で入ろうという話はしてます。まずは、3人でコミュニケーションをとれるようになったということが、ものすごく大きいですね。ただ、それを人に聞かせるかどうかとなると、先になると思う。どうせやるなら、カッコいいものを見せたいからね」

どんなに待たされても、待つべき価値があるものはある。
3人が揃って演奏する姿を、いつか見られる日が来ると信じる。 とにかく難波さんは、どこまでも真っすぐな人だ。
表面的な音楽スタイルが変わろうとも、その姿勢にはブレがない。

曲がったことが嫌いで、音楽を愛していて、信念がある。
難波さんの音楽には、その人間性が反映されている。
自由な表現がそこにあるのだ。

この企画は、毎回インタビューの感想やご意見を受けつけています。気楽にお便りくださいませ。さて次回は、打って変わって「電波少年的東大一直線」で、多くの受験生に感動を与えたオトコ(?)、坂本ちゃんが登場します。お楽しみに。

ではでは、また!

■難波章浩プロフィール
1970年6月9日生まれ。東京都中野区生まれ新潟育ち。血液型O型。91年、横山健、恒岡章らとともにバンドHi-STANDARDを結成。ボーカル・ベースを担当する。94年ミニ・アルバム『ラスト・オブ・サニーデイ』でデビュー。97年アルバム『ANGRY FIST』、99年アルバム『MAKING THE ROAD』をリリース。2000年にHi-STANDARDの活動を休止。以後、沖縄に移住し、TYNK、なんばあきひろ宇宙船地球号、ULTRA BRAiNなど様々な名義で活動。その音楽性の幅を広げている。

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