男を磨くカルチャー入門

第9回 日本で最初に撮られた映画って?

2009.04.30 THU

男を磨くカルチャー入門


画像提供/東京国立近代美術館 フイルムセンター 現存する日本最古の映画『紅葉狩』。映画フィルムとして、初めて国の重要文化財に指定されます。2009年5月3日まで、東京国立近代美術館 フイルムセンターの特集上映「発掘された映画たち2009」で上映中

なぜ日本に映画文化が根づいたの?



2009年2月、映画『おくりびと』がアカデミー賞の外国語映画賞を受賞しました。これは、日本映画が世界に認められた証し! 喜ばしいかぎりです。ところで、私たちにとっては生まれたときから日本に根づいていた映画文化。一体その起源はどこに? 日本で最初に撮られた映画って一体どんなものだったんでしょう?

「日本で最初に撮影された映像、という意味ならフランス人のコンスタン・ジレルがシネマトグラフ(映写機)で撮影した東京の映像です。彼は映画の発明者・リュミエール兄弟が作ったリュミエール商会の人間で、1897年から1年ほど日本に滞在していました」

こう教えてくれたのは、早稲田大学で日本映画史を研究する小松弘教授。

「日本人で最初に映像を撮ったのは、日本橋の小西写真店(現在のコニカ)の浅野四郎。彼は1898年から1899年にかけ、東京の風景や芸者の踊りを撮影しています。さらに、日本人が撮影した映画でフィルムが現存する最も古いものは、市川団十郎・尾上菊五郎が出演する『紅葉狩』という作品。これは、浅野四郎の弟子筋にあたる柴田常吉が1899年に歌舞伎の一場面を撮影したもので、今夏、国の重要文化財に指定されます」

リュミエール兄弟が世界最初の映画を公開したのが1895年だから、日本には数年遅れて映画が入ってきたのね。団十郎・菊五郎といえば、明治の2大歌舞伎俳優。その動画が映画として観られるなんて、考えてみるとすごいことです。その後、映画文化は日本にどう定着していったの?

「日本の場合、初期の珍しい見せ物としての役割が終わると、映画に対する関心は一度急速に失われました。しかし、日露戦争の様子を撮影した映画が公開されると、戦争を目の当たりにできるということで大当たり。これ以降、動く映像の魅力が一般にも浸透し、1908年になると日本映画を観たい、という観客の要望にこたえる形で日本映画の製作も本格化。1911年ごろ、フランス映画『ジゴマ』が社会現象になるほど話題になったことで、映画を観るという文化が日本でも定着します。とはいえ、映画文化の定着に一番貢献したのは、映画スターの存在。映画がスターを生み、そこにファンがついたことで、映画は今も昔もその人気を保っているのです」

意外にも戦争が動画の迫力を見せつけて、スターの存在が映画人気を支えたんですね。映画誕生から100年以上。その衰えない文化としての底力がわかった気がします。
山崎バニラさん独特の弾き語りスタイルは「セリフがない分、楽かと思って(苦笑)」はじめた試みとか。その弾き語りのせいで(?)1時間以上ある独演会では、着物の中が汗びっしょりになるほど体力を使うそうです

無声映画のエンターテイナー“弁士”ってどんなお仕事?



日本に映画文化が浸透してから約100年。最近ではCGを使ったものすごい映像が楽しめますが、この100年で一番の変化といえば、無声映画から映像と音声が同期したトーキーへの移行でしょう。トーキーになれ親しんだみなさんも、チャップリンのコミカルな動きが印象的な無声映画を一度くらいは目にしたことがあるのでは?

ところで、無声映画につきものだった弁士という職業をご存じ? 一体どんなお仕事なのか、現在も弁士として活動している山崎バニラさんに聞きました。

「弁士はもともと映画説明者とも呼ばれ、無声映画にセリフや解説を付けることで映画を楽しませるエンターテイナーでした。映画文化自体は欧米から日本に入ってきましたが、弁士は落語などの話芸に親しみのあった日本独特の文化。日本からアジアに広がっていったようです。ただし、弁士の全盛期は無声映画が楽しまれた20~30年間程度。1930年代後半に日本でもトーキーが一般的になると次第に職をなくし、現在では私のようにイベント的な活動を行う弁士が十数人いるだけです」

ところで、バニラさんは金髪&着物という外見と、大正琴やピアノを使った弾き語りのスタイルで、弁士の中でも特異なイメージですが?

「それが、そうでもないらしいんです(笑)。昔から無声映画の台本は、弁士の完全オリジナル。当時は『今日の映画の弁士は誰か』ということに映画の面白さが左右されたので、全盛期には俳優と同じように弁士にもファンがいたんですよ。だから、今よりもっとエンターテイメント性を追求した弁士が多く、チャップリンの映画を上映するときに、自分もチャップリンの仮装をして舞台に上がる弁士がいたり、何役も上手に声色を変える弁士もいたとか。それを思うと、私のスタイルは逆に昔っぽいのかもしれません」

えー、仮装して舞台に! バニラさん同様、すごいエンターテイナーですね。

「ちなみに現在活動する弁士も、スクリーンを背にして客席に語りかけるスタイルの人や、舞台の脇からスクリーンに向かって話す人など、スタイルはまちまち。相当な映画好きでないとなかなか無声映画は観ないと思いますが、ライヴ感覚で弁士のイベントに行くと印象がガラッと変わるかも」

バニラさんによれば、無声映画の世界に入り込むと、ある瞬間から弁士の存在を忘れて、弁士の声がまるで映画の登場人物たちのセリフのように聞こえるのだとか。観客と弁士との一体感は、無声映画ならではですね!

現在は専属弁士のいる無声映画の常設館がないので、弁士つきで無声映画を観られる機会はかなり限られるそう。興味を持った方は、山崎バニラさんのホームページのほか、ネットなどで情報を集めて、ぜひご覧あれ。同じ作品を違う弁士さんで観てみるのも楽しいかもしれませんよ。 観るだけで異世界へ連れていってくれる、映画。
今も昔もカルチャーの王様的存在かと思いきや、
その人気には波があったことがわかり、ちょっと意外でした。

そんな映画草創期を盛り立てた弁士が、
落語に親しんだ日本独特のカルチャーだったのも驚きです。
第6回では落語についてレポートしているので、
ぜひそちらもご覧くださいませ!

さて次回は、うって変わってアクティブに、
社交ダンスの世界に身を投じてみたいと思います。
体育の成績はかんばしくありませんでしたが、
体を張ってきますので、お楽しみに!

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ここで、悲しいお知らせとうれしいお知らせです。
実はこのカルチャーレポート、あと3回でおしまいなんです!!
が、その後は女子カルチャーに関しての新レポートが始まる予定。
女子の中で根づく不思議なカルチャーを、
私、オオタカが体当たり取材でレポートしていく所存です。

「女子のこんなカルチャーがわからん!」という
男子のみなさんからの「女子の不思議」を募集しちゃいます。

みなさまからのご意見・ご感想、お待ちしていますよ。

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