あの時の話、聞かせてください!

第8回 大事MANブラザーズ、復活までの軌跡

2009.05.27 WED

あの時の話、聞かせてください!


06年に『それが大事』が爽健美茶のキャンペーンソングに起用されるなど、ここ数年機運はあった。「そのころは絶対やらないって言ってたんです(笑)」と立川さん

『それが大事』のヒットの裏で…ストレスにさいなまれた日々



91年、名曲『それが大事』のメガヒットでブレイクした大事MANブラザーズバンド。解散後13年を経た今年1月、ボーカルだった立川俊之さんが、大事MANブラザーズオーケストラとして復活を発表。新録された『それが大事~完全版~』を配信した。このニュースは、Yahoo!アクセスランキング総合トップとなり、大きな話題を呼んでいる。今、なぜ大事MANなのか、立川俊之さんに聞いた。

「バンドを解散してから、一通りやりたいことをやらせてもらったので、さてどうしようかと。まあ、いろいろな方から復活しないんですか、と言われていたこともあって、ちょっとホコリをかぶっているけど、看板を掛けかえてやってみようかなと思ったんです。冷やし中華始めましたみたいな感じで(笑)。本当は、もっとひっそりとやるつもりだったんですが、正月でネタがなかったのか、わりとネットで大きくとりあげられちゃって。これは本気でやらないとマズイだろうと(笑)。ありがたい話ですけどね」

結成当時の大事MANブラザーズバンドは、まったく売れなかったという。次のシングルがダメなら、バンド存続も難しいという状況で生まれたのが『それが大事』だった。

「僕の音楽の趣味って、バラバラなんですよ。幼稚園のころにビッグバンドジャズを聴いて、ちょっと音楽に興味を持って。それからビートルズ、オールディーズ、ニューウェーブ、歌謡曲と節操なく何でも聴いてました。パンクが流行ったときは、小学生なのに、Tシャツ破って安全ピンつけたりして。先生にメチャクチャ怒られましたけど(笑)。友だちとも話が合わない斜に構えた子どもですよ。そのせいか、大事MANブラザーズバンドを結成しても音楽的なコンセプトがなかった。もう後がないなら、ベタベタの曲をやってみようと思って『それが大事』を書いたんです。わりと自分たちも励まそうとしてたところがあった(笑)。ライブでも、これで解散ですっていう悲壮な気持ちで歌ってましたね」
92年、ベストVニューアーティスト賞受賞後、ロンドンで撮影された大事MANブラザーズバンド(中央が立川さん)。みなさん若い!
ところが、この曲にはテレビ番組『スポーツフロンティア』、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』のダブルタイアップがつき、大ヒット。周囲からは順風満帆に見えたが、バンドの内情は大変だったという。

「あまりにも急激な状況の変化についていけなかったんですよ。ツアーとか、知らない土地に行って大観衆の前でプレイするなんて、唐突すぎてわけがわかんなくて。売れたってことがストレスになっちゃった。周囲にも当り散らして迷惑かけてね。もう、一発売れて生意気になった新人の出来上がりですよ。いつもイライラしてて。自分としては、『それが大事』みたいな曲のバンドというより、もっとマニアックな感じで売れたかったのに、まわりがド真ん中ストレートしか投げさせてくれない。受け入れられたのはうれしいことなんですけど、なんだか本来の僕じゃないような気がして。バンドのメンバーもぎくしゃくしてくるし、完全に自分を見失ってましたね」

結局、大事MANブラザーズバンドは96年に解散。大ヒットを飛ばしたバンドとしては、あまりに短い活動期間だった。

「メンバーも売れたことによるストレスを感じていただろうし、いらだっている僕にも嫌気がさしてたんでしょうね。若かったとはいえ、非常に申し訳ないことをしたと思います。ろくに話もできないまま、メンバーが辞めていって。自分のリーダーシップのなさ、包容力のなさ、人間的なダメさ加減をまざまざと思い知らされました。解散もショックでしたけど、人をまとめる力がなかったというのが今でも大きな反省です。今後のテーマでもありますけどね」

事務所も辞め、レコード会社との契約も切って、立川さんは一人になった。
「もともとの方向性が大メジャーというものではなかったんです。でも、今振り返ってみると、『それが大事』という曲を残せたのはよかったな」としみじみ

わだかまりを捨てたことでつかんだ本当に大事なこと



『それが大事』が売れたことが、大事MANブラザーズバンドにとっては逆に大きなストレスになっていた。ボーカルの立川俊之さんはバンドを解散。その後しばらくは、ほとんど何もしていなかったという。

「ドッと疲れちゃったんですね。さあ、自分らしさを取り戻さないといけないと思って(笑)。だけど、友人たちは、いっぱしの社会人にならなくちゃいけないって時期なわけですよ。誰もつきあってくれなくて(笑)。当たり前ですけどね。ラジオをちょこちょこやりながら、1年以上はフラフラしてたかな。もちろん曲だけは書いていました。小さなころから、誰に頼まれることなく書いていたので」

そんなある日、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』のプロデューサーから電話があった。バンドを解散して2年後のことだ。

「急に、『立川くんですか。私のこと覚えてます?』って電話があって。『もちろん覚えてますよ。どうしたんですか?』って答えたら、『キミこそどうしたの!』って怒鳴られました(笑)。その電話の翌日、すばらしい料亭に連れていってくださって。こっちは汚い格好で、ああ申し訳ないと思いながら。で、まあ状況はわかった。ちょっとアイドルに楽曲を提供してほしいんだけど、やる気はあるかと。それからですね。楽曲提供とか、アレンジの仕事とか、プロデュースとか、裏方的な仕事をするようになって。もう10年近くやってるなあ。育ての親的な存在ですよ。感謝としかいいようがない」

裏方の仕事を続けながら、2002年には自身のバンドも組んだ。念願のビッグバンド、T.T ORCHESTRA。大所帯のバンドだけに運営は難しかったが、アルバムとシングルを1枚ずつリリース。2007年には、ソロアルバムも発表し、『それが大事』も収録された。
「これから本格的にレコーディングに入るんですよ」と立川さん。ライブでは、新曲はもちろん、大事MANブラザーズバンドの曲やソロの曲などもプレイするそうだ
「『それが大事』を入れることがソロアルバムを出す条件だったんだけれども(笑)。まあ、ほかは好きなようにやらせてもらってもいいですかってことで。『それが大事』を再び歌い始めるのに、7年はかかりましたね。テレビからオファーがあったんですよ。出るなよ、みたいな声もあったんだけど、開き直って歌ったんです。ゴチャゴチャ考えるより、やった方がいい。僕はずっと音楽を続けていくし、好きに言えよコノヤローって思って(笑)。24時間テレビは、2年に1回くらいは出ているんじゃないかな。去年も歌ったし、オファーがあれば歌いますよ。デビュー当時に聴いてくれてたファンが、やっぱりいいなと思ってくれればいいし、当時を知らない人もいい曲だな、と感じてくれるならそれでいいので。ふっきれたんですね」

新録の『それが大事~完全版~』は、それほど過度のアレンジはされていない。オリジナルを尊重し、歌い方もキーも変えていないそうだ。

「もちろん管楽器を入れたりして音色はリッチにしてますけど、よけいな手は加えていません。セルフカバーって、本人としては、いろんなアレンジをしてみたくなるんですけど、もうこの曲はリスナーのものだから。大事MANブラザーズオーケストラの名刺代わりという意味で作りました。これまで、やりたい放題にやってきたので、もう少し自粛して(笑)。みんなが思う大事MANのイメージを裏切らないように、このバンドではやっていきたいですね。今度はストレスなく、あせらずに、大事MANのよさが引き出せたらいいなと思ってます」

ダメになりそうな時代。
今こそ、ストレートにメッセージが伝わる曲が求められているのではないだろうか。
大事MANブラザーズオーケストラの歌が、またみんなを勇気づけてくれることを願いたい。 負けない。投げ出さない。逃げ出さない。信じ抜く。
これらすべてが大事なことだと立川さんは言う。

シンプルだが、実行できるかといえば、これがなかなか難しい。
ノスタルジーではなく、今の言葉として、あらためて『それが大事』を聴いてみようと思う。

この企画では、毎回インタビューの感想やご意見を受けつけています。気楽にメールくださいませ。さて次回は、「ゲッツ!」の一発ギャグでブレイク、最近では一発屋芸人として新たに注目を集めるダンディ坂野さんが登場します。ご期待ください。

ではでは、また!

■立川俊之さんプロフィール
1966年4月17日生まれ。91年、大事MANブラザーズバンドとしてメジャーデビュー。同年8月にリリースした3枚目のシングル『それが大事』が大ヒットとなる。96年、大事MANブラザーズバンド解散。以後、楽曲提供、音源制作、ラジオ番組等、様々なジャンルで活躍。デュオT.T Charlie、ビッグバンドT.T ORCHESTRAを経て、09年1月に大事MANブラザーズオーケストラの結成を発表。3月18日より『それが大事~完全版~』を主要携帯、配信サイトより順次配信中

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