「つねに前を向いて生きてきた」

山下泰裕

2009.05.28 THU

ロングインタビュー


小林ミノル=文 text MINORU KOBAYASHI 稲田 平=写真 photography PEY INADA スチーム=…
今の自分があるのは人々の支えあればこそ

山下は、ロサンゼルスオリンピックから1年後の85年、全日本選手権で9連覇を果たした後、28歳で引退する。それにしても、なぜここまで強くあり続けることができたのか。

勝つのが当たり前 ― 。

この境地にまで達することができた理由はどこにあったのだろう。

「人との出会いに恵まれていたね。まず、丈夫に生んでくれた両親に感謝しないといけない。そして、中学から僕は親元を離れて祖父とずっと一緒に暮らしていたんだけど、その祖父が、亡くなる直前まで応援し続けてくれた。さらに、中学時代の白石礼介先生、高校・大学時代の佐藤宣践先生といったすばらしい恩師とも出会った。そういった様々な人との出会いが僕の意識を変えてくれた」

出会いに恵まれたのは、運によるところも大きかったという。

「様々な試合に勝ち、世界チャンピオンにもなった。でも、それは支えてくれる人が大勢いたから。それを当たり前と思わないで、恩を忘れずに謙虚でいた。素直に人の話を聞いた。そして、悪いことが起きても“これぐらいで済んでよかった”と思ってきた。だから、道が開けたんだと思う」

もちろん、それだけではない。決して過去を振り返らず、どこまでも妥協しなかったからこそ、強くあり続けることができたのではないだろうか。「現役時代『これだけ勝ち続けたらもう十分じゃないですか? この後、何を目指すんですか?』って質問されたことがあるんだ。でも、そのときはピンとこなくて『僕には理想とする柔道があります。自分のいる位置はまだまだ低い。一歩でも二歩でもその理想に近づきたい』と答えたのよ。世界チャンピオンになっても、『まだまだっ、まだまだっ』と思って前しか見てこなかった。半年前の自分、昨日の自分より一歩でも二歩でも成長したいと思っていた。現役を引退したときも、『理想の柔道の8割か8割5分しか達成できなかった』と発言しているくらいだから。でも、引退して、後ろを振り返って初めて思った。『ようこれだけ登ってこれたな。これは自分を誉めてもいいんじゃないかな』って。現役の途中でもし一度でも振り返っていたら、登る力が弱まったかもしれないね」

山の高さが高さであるだけに、聞いているこちらの背筋がゾクリとする。笑顔の下に隠されている凄みが一瞬顔をのぞかせた瞬間だった。

東京での五輪の感動をみんなにも味わってほしい

現在、山下は、大学で教鞭をとりつつ、2016年の東京オリンピック・パラリンピック招致活動に招致大使として尽力している。加えて、運営するNPO法人を通じ、中国・青島に柔道館を設立したり、パレスチナとイスラエル両国で柔道を指導し、日本で開催される国際大会への同時参加を計画したり、ロシアのプーチン首相と親交を結び、日露友好の架け橋にもなっている。政治によって生涯の夢を一度は絶たれた山下が、他国との交流を在野で進めているのはある意味逆説的だ。

実は、中学校2年生のときに、山下少年はこう作文に書いている。「柔道が大好きだ。強い高校、強い大学に行きたい。柔道選手としてオリンピックに出場し、メインポールに日の丸を仰ぎ見ながら君が代を聴けたら最高だろう。そして、現役が終わったら柔道のすばらしさを世界の人々に広げる仕事をしたい」と。金メダル後の活動を想定している15歳はなかなかいない。しかも、現在それを実践中なのだ。

「この作文を書いた背景には、小学1年のときにテレビで見た東京オリンピックの感動があったと思う。テレビにかじりついて日本選手を応援したんだ。東洋の魔女と呼ばれた女子バレーや重量挙げの三宅義信、マラソンの円谷幸吉とかね。柔道を始めたのは小学4年だったから、柔道の試合はあまり見ていないけど、このときの感動が残っていたんだな」

そしてここにも、人生の師と呼べる人々からの強い影響が。

「ひとりは東海大学の創設者でIJF(国際柔道連盟)会長だった、故松前重義先生。僕と同郷で、柔道をこよなく愛し、大学時代から孫のようにかわいがってくれた。現役時代、『僕は君に試合で勝ってほしいだけじゃないぞ。柔道を通じて他国との友好親善を深め、世界平和に貢献してほしいと思ってるんだ』とずっと言われてきたことが、いまの僕の活動につながってる。そしてもうひとりは、会ったことはないけれど、柔道生みの親である嘉納治五郎先生。先生が、精神的な鍛錬を行い、社会の発展に寄与する人間の育成を目指して『柔道』を起こし、その道を講ずる道場として『講道館』を設立したことや、自らその道を探求し続け、日本スポーツ界全体の発展のために粉骨砕身されたということを大学で学んで、自分の生き方が少し見えてきた。僕があの世に行くときには、松前先生と嘉納先生が迎えにきてくれて、松前先生からは『ああ山下、ご苦労さん。期待に応えてくれてありがとう』、会ったことがない嘉納先生からは、『君が山下か、よく柔の道を究めたな!』と言ってもらいたい。そして下ではなく上に上がりたいなと(笑)」

前だけを見続け、絶対に過去を振り返らない。この掟を自らに課し続けているからこそ、前人未到の高みに山下は立ち、再び新たな山を登っていけるのだ。

1957年熊本県生まれ。柔道家。柔道8段。東海大相模付属高校、東海大学卒業。同大学院修士課程修了。現役時代は、全日本選手権9連覇、世界選手権3連覇、84年ロサンゼルスオリンピック金メダルなど前人未到の記録を打ち立て、85年に28歳で引退。国民栄誉賞受賞。現在は、東海大学体育学部学部長兼教授、同大柔道部監督、全日本柔道連盟理事。NPO 法人(国税庁認定)「柔道教育ソリダリティー」理事長として、柔道を通じた教育・国際交流にも情熱を注いでいる。

■編集後記

山下のR25時代は、80年代前半。金メダル確実と言われながら、日本のボイコットにより参加できなかった80年のモスクワオリンピックのあと、金メダルを獲得した84年ロサンゼルスオリンピックに向かう時期で、柔道選手としての円熟期でもあった。オリンピックに一方ならぬ思い入れを持つ山下は現在、東京オリンピック・パラリンピック招致大使を務める。「今の日本は夢を持てない若者が多くなっている。オリンピック招致を実現して、日本をもっと元気にしたいよね」。

小林ミノル=文
text MINORU KOBAYASHI
稲田 平=写真
photography PEY INADA
スチーム=編集
editorial steam

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