「みんなが喜んでくれるから」

市村正親

2009.06.11 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 森山雅智(vacans.inc)=写真 photography …
何十年も前に観た、いまも心に残る場面

市村さん、30年ほど前、『炎の人』をTVで観た。30歳ごろの話。劇団四季の俳優として活躍し始めていた。このときゴッホを演じていたのは滝沢 修。彼が主演した『オットーと呼ばれた日本人』という舞台を高校生のときに観て「たかだか2~3時間でこんなに激しい人生を見せることができるんだ!」と思ったのが、演劇を志したきっかけだった。では、滝沢ゴッホから受けた影響は…。

「影響じゃなくてある一点のお芝居がすごく面白かった。その姿が非常にかわいくってステキで。実は印象に残ってたのはそこだけだったんだけど(笑)、ああいう固執の仕方は、ある種役者の鑑だなとずっと思っていて。俺もあんなふうにやりたいなと思ったんです」

それは、労働者が砂利をすくって放る絵に関してゴッホがこだわりを述べるシーン。名優・滝沢 修は「こうやって腰が入ってないと!」とグイグイ腰を入れて演じたのだという。30年前から変わらず鮮烈に記憶に残っている。はたまたそれより前のべつのシーン。

「僕が西村 晃さんの付き人をやっていたころに、萬屋錦之介さんが徳川家康の息子・信康を、先代の中村勘三郎さんが家康を演じる『反逆児』という舞台があって。僕はずっと袖から観ていて、今も覚えているんですが…これが何につながるかというと、この秋の新しい舞台です。あの場面のイメージを、うまくたぐることができたらなあってぼんやりと考えたりしています」

あるいは21歳のとき、名古屋名鉄ホールで付き人として観た三木のり平と古今亭志ん朝の『文七元結』。五十両をなくして身投げしようとする志ん朝の文七をのり平の長兵衛が身銭を切って助ける大川端でのくだり。

「やりたくてやりたくて、“市村座”でひとりでやっちゃいました(笑)」

市村座というのは、市村正親が1人であらゆることをやってしまうエンターテインメントショー。『コーラスライン』に『オペラ座の怪人』に『ウエストサイド物語』に『キャッツ』など、演じてきた舞台を遊び感覚でこなし、都々逸や大喜利やシャンソンショー…。

ホント、好きなのである。

「だって、好きでやってるものでないとお客は喜ばないでしょ(笑)」

一人っ子だから!喜ばせて、構われたくて

天性のエンターティナーである。それは、なんというか「一人っ子」のせいではないかと、自己分析する。

「両親が共稼ぎでさ、1人でいる時間が多くて。僕が何かすると友だちみんなが喜んでくれるから、それがうれしかった。前の晩に神社のイチョウの下に埋めておいて、みんなが集まると『なんかお金の匂いがする!』『こんなところにお金が!』って自分で掘り出したりね(笑)。1人になったらなったで、電車のひと区間の切符を買って、川越から池袋まで行って戻ってきたり、循環バスに宮下一丁目で乗って宮下一丁目で降りたり。うちの前の映画館は顔パスだったんだけど、わざとトイレから入ってみたり」

中学では柔道部に入るけれど、喜んで投げられた。投げた人が喜んだ顔をしているのを見るのが好きだったから。

「それと、構ってもらうのがうれしかった。僕の初恋の相手は小学1年生のときの前田先生なんだけど、僕が何かをすると“ダメでしょ、市村くん!”って。だからわざとやった」

高校で演劇を志し、舞台芸術学院で3年を過ごし、先ほどからたびたび出てきているけれど、俳優・西村 晃の付き人としてさらに3年。ここで“一人っ子性”はしばし封印される。

「付き人ってのは、先生が第一で僕のことは第二ですからね。勉強になりましたよ! 付き人の3年目にあることに気づいたんです。セリフが入らないとき、先生は僕を責めるんです。2年目のころは“自分が勉強してないからじゃねえか”って思ってたんだけど…。わかったのは、俺にしか当たれないから俺に当たってるんだってこと。だからそこで口応えしちゃダメなの。周りだって『西村さん、お付きに当たってるな』ってわかる。『ハイ、すみません』が正解なの。それで場はキレイに収まる。僕がそこで学んだのは、“どうやったら相手がやりやすい状況を作ることができるか”ということ」

24歳で、「そろそろ自分を第一に考えたくなった」と手紙を書いた。「一所懸命やんなさい」との励ましを受け、円満独立。翌年、劇団四季に入団。

「川越から出てきた僕はいろんな人に出会って、立っていられないほどの衝撃を受けた。まるでゴッホがパリに来たときと同じだね。旅公演に出たら酒を飲んですぐに泣いていた(笑)。付き人じゃなく“俳優・市村正親”が動き始めていた。自分の時間を自分のために使えるようになったことがうれしかった。僕が飲んだくれてピューッてどっか行っちゃうと一緒に飲んでた裏方のみんなが心配してくれるのも、うれしかった。みんなが構ってくれてるわけだから(笑)」

子どものころからあった“喜んでもらいたい”という気持ちは、付き人を経ていい具合に熟成した。

「相手役は何を求めているのか。どうすれば相手役がやりやすいのかは、話してみればいいよね。“やりにくいところはない? どうやったら気持ちいい?”って。作品は、観客は、何を求めているのか。周りが何を求めているかによって、自分が変わればいい」

そして演出家は何を求めているのか。

「僕は演出家の懐に入っていくんです。演出家の手が出たときに、そのゴツン(拳)がぶつかるところにわざといるようにするんです。みんないやがるけど、役者なんて演出家によって切り刻まれて縫われてナンボだと思う。痛い思いをして気づかされた方が、結果的にホントに痛い思いをしないですむよね。俳優として自分がどうしたいか、っていうのは周りのことを全部踏まえたところに生まれてくる。つまり“何のためにそうしたいのか”が大切なんだよ」

ぶん殴られることも厭わない。作品や相手や演出に合わせて変貌してゆく市村正親を、劇団四季主宰の演出家・浅利慶太はかつて「アメーバ俳優」と呼んだらしい。そしてその意識は、60歳になった今でも変わらない。

「25歳って、ちょっと大人になりつつある時期じゃない? でもそこで大人になっちゃダメだよ。叩かれるところにどんどん自分から頭を出して、ちゃんと叩かれていくと、それは全部自分に返ってくるんだ…って、俺、いいこと言ってるね~、ちょっと鳥肌立って来ちゃった(笑)」

ものすごく月並みなことを聞いた。『炎の人』の見どころである。

「劇場という空間のなかで…生きて流れる血を…」と言いかけて口をつぐむ。

「言葉でうまく言うことは簡単、でも今はその言葉に逃げるのがイヤなんだよ。ゴッホをやるとうかつに言えなくなるんだよね。自問しちゃう、オマエまだそこまでやってねえよって」

…という話をした日から約1カ月、6月12日に幕が開く。市村正親はどんな宝を掘り当てたのだろうか。

1949年1月28日、埼玉県生まれ。俳優・西村 晃の付き人を経て、劇団四季に入団。『イエス・キリスト=スーパースター』でデビュー。80年、『エレファントマン』でゴールデン・アロー賞演劇賞受賞。83年には『エクウス』で芸術選奨新人賞受賞。『エビータ』『キャッツ』『オペラ座の怪人』など出演作多数。90年に退団後は『ミス・サイゴン』で芸術祭賞、菊田一夫演劇大賞受賞。エンジニアは当たり役となる。1人で全役を演じた『クリスマス・キャロル』、蜷川幸雄との『リチャード三世』『ハムレット』に、アニメーションのアフレコまで、八面六臂の大活躍。『炎の人』のチケットや公演時間の詳細は

■編集後記

西村 晃には「黙っていては始まらない」ということを学んだ。「テレビでもこっちがすましてるとそれで終わり。ずっこけたりすることで、幅が広がって面白くなるよね。こういう取材でも、たくさんしゃべれば、そこから先はチョイスしてくれるでしょ(笑)」。劇団四季には24歳から41歳まで在籍。浅利慶太の評価を受け、全裸で挑戦した『エクウス』のアラン役や、『エレファントマン』など多くの当たり役を得た。「金でなく、意志で得たものっていうのは、いくつになってもなくならないし役に立つよね(笑)」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
森山雅智(vacans.inc)=写真
photography MASATOMO MORIYAMA

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