「好きなものにこだわって一所懸命になる気持ち」

TERU

2009.06.18 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA サコカメラ=写真 photography SACO CAMERA
“顔”を間近に見て、音楽をきちんとやること

96年のセカンドアルバム『BEAT out!』がオリコン初登場1位。ヒットシングルを重ね、97年のベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』は約500万枚をセールス。GLAYは一気に“ビッグビジネス”へと変貌する。99年の『GLAY EXPO ’99 SURVIVAL』は幕張メッセ駐車場特設ステージに20万人を集め、01年の『GLAY EXPO 2001“GLOBAL COMMUNICATION”』には北海道・東京・福岡の3カ所で28万人を動員する。

「当時のオレたちのプロダクションでは、より大きな数の方程式を成立させようと、挑戦をくり返していました。たぶん6~7年間ぐらいかな、アリーナとかスタジアムとかドームばかりでライブをやっていて。自分たちを支えてくれている人たちの顔がどんどん見えなくなっていったんです」

TERUたちも、デビュー以来“1人でも多くの人に知ってもらいたい”という意識で活動してきていたわけだが、それがピタリと当たり、同時に切実な危機感に見舞われることになる。

「みんな口々に“消費されたくない”って言ってました。ブレイクして終わるアーティストがいっぱいいたので」

単なるビッグビジネスと化し、メンバーがコントロールできなくなる…そうならないための手段はちゃんと“バンド”であり続けること。

「消費されないようにするためには、しっかりした音楽が根っこにないといけないと思いました。オレたちがより一層音楽の充実を図り始めたのがそのころです。とにかくいい作品を作っていかなきゃ、いいライブをやっていかなきゃいけないんだって」

巨大な会場で多くの人に観てもらうチャンスを作るのもいい。だが“いいライブ”とはそればかりではない。

「自分たちでいろいろ考え始めてシフトチェンジするのに4~5年かかりました。04年の後半、独立してやっていくことになったんです。直後はなかなかうまくライブも組めませんでした。そこで実感したんです、支えてくれてるのはファンの子たちなんだって。業界の人たちはビジネスがあるかどうかによってくっついたり離れたりすることもあるけど、ファンの子たちは待っていてくれる。オレたちがライブをやらないとき、不安感を持ちながらも支えてくれているんだ、って」

ビッグビジネス化したバンドが燃え尽きてしまうケースは少なくない。でも彼らはそこから帰ってきた。

「GLAYのいい点は、音楽以前に人間関係でつながってるところ。たぶん音楽ができなくなっても、違うことをこの4人でやっていくと思うんです」

ファンがGLAYに対して持っているのと同じ感覚を、メンバーそれぞれがGLAYに対して持っているのだ。

「独立直後の2年間はとにかくメンバー4人で話し合いました。06年には「Re - birth」(まさしく!)というテーマを掲げて、“GLAYはこうじゃなきゃ”というお互いの理想像とか夢も語り合いました。ビジョンをぶつけ合ってケンカして大泣きして(笑)。でもね、GLAYを好きじゃなければ、そんなことしないでしょ。どんな社会でも同じだと思うんですけど、仕事にこだわりがなければ、同僚とか上司とぶつかったりしないですよね。好きなものにこだわって一所懸命になる気持ちはどんな社会でも通用すると思います」

『GLAY ARENA TOUR2007 LOVE IS BEAUTIFUL』で、聴衆を前にしてTERUがふと口にしたのは“みんなが夢を見てくれることが、自分たちの夢です”ということば。この3年間、徹底的に行ったホールツアーはそんな気持ちの発露。

「とにかく感謝の気持ちを伝えたくて、直接“会える”場所を作ろうと、それまで行ったことのない土地にも行きました。そこでみんなの顔を見て、こんな笑顔で迎えてくれるなら、もっと愛情のこもった作品を返していきたいと純粋に思うようになったんです」

変わらず初々しく青くバンドを続けていく

GLAYはメジャーデビュー15周年だが、結成は21年前。TERUとTAKUROが函館の高校2年生のときだ。

「高校3年生までは、“学校生活を華やかに過ごす手段”という程度の存在だったんですが、卒業間際に地元でヘンに人気が出ちゃって。TAKUROがポロッと“このままじゃもったいないよね、東京にでも行こうか”って」

さんざん悩んだ挙げ句、TERUが上京を決めたのは「BOФWYみたいに大きなステージでやれるバンドになりたい」という思い。そして「ずっとプロとして音楽活動を続けられるバンドになりたい」という気持ち。

スタートの時点からそもそも違っていたのだ。思い描くのは“オレはこんなアーティストに!”ではない。“オレたちはこんなバンド!”なのである。

「デビューしてから10年はすごく長く感じたし、未来に対する不安も大きかったんです。でも10周年を迎えたとき、東京ドームでのライブで『10年後、このドームにこの白いジャケットを取りにくる』って約束をして、そのとき着ていた白いジャケットをマイクスタンドに掛けてきたんです。突然思いついて言ってしまったんですね。オレたちは10年後の約束をできるバンドなんだっていうことを、そこで実感したんですよ」

TERUは昨年、自らのブログに、あるレコーディングの模様を“まるで友だちの家に機材を持ち寄ってやってるようだ”と書いていた。

「オレたちは技術を追求するバンドではなく、音楽に向かう情熱とか愛とかを大切にするバンドなんだなってつくづく思うんです。“GLAYの4人が活動して、そして生み出した楽曲だからこうなんだ!”ということを大切にしたい。愛情の歌を歌うとき、オレたち4人に愛がないといけない。友だちの歌を歌うときにケンカしてちゃいけないんですね。4人がホントに楽しく音楽とプライベートを過ごしていなきゃ絶対にダメなんだと思う。音楽に対してウソをついてはいけないんです」

ストイックなどではない。

「前に“365日限定で毎日必ずアップする”というブログをやってたんですが、そんときは毎日一所懸命ネタを探してました。これが楽しかった。何も考えず生きていたら、そのまま1日終わってしまうこともあったけど、 “1日1個探してやろう”って自分に負荷を掛けると、何が何でも楽しいことを探すんだなと気づいて。よし、楽しいことを探すぞって意識し始めました」

バンドもプライベートも不可分。楽しいこともボーダーレスに存在する。

「4人がステージのまん前に立って形になるバンドってGLAYだけだったと言われたい」

「50年後、4人とももうこの世にいないかもしれないんだけど、教科書に載ってて、すごいバンドがいたなあって思われたい」

こんな野望を楽しげに述べる。

「あとは氷室京介さんみたいに海外に住みたい…そうやって、何年かしたらゆっくり暮らそうとか言ってはいるんですけど、結局は次また20周年がくるわけで。もうそこに向けて動き出すんだろうな。まあ、そういう人生もまんざら悪くはないよね(笑)」

1971年、北海道函館市生まれ。高校2年生のとき、TAKUROの誘いでGLAYを結成。函館市でのライブハウスで人気を博す。卒業後上京、GLAYとしてインディーズ活動を展開。94年、「RAIN」でメジャーデビュー。翌年、『Yes, Summerdays』で注目を浴び、96年のセカンドアルバム『BEAT out!』が大ヒット。『HOWEVER』以降5枚連続ミリオンヒットを達成。99年には、千葉の幕張メッセ屋外有料駐車場特設ステージで20万人を集めるライブを敢行。その後も大規模なライブのみならずホールツアーで全国行脚。単独レギュラー番組は『TERU ME NIGHT GLAY』(bayfm)。http://teru-me-night.seesaa.net/。『THE GREAT VACATION VOL.1~SUPER BEST OF GLAY~VOL.1』は発売中。初回限定盤は3CDにDVD付き。ミュージックビデオの2DVD付きの「A」と『puresoul“MOVIE”Director’s cut』の1DVD付きの「B」。3CDの通常版もあり。『GLAY 15th Anniversary Special Live 2009 THE GREAT VACATION in NISSAN STADIUM」は8月15日(土)、16日(日)、横浜・日産スタジアムにて

■編集後記

社会運動に積極的にコミットし始めたのは01年、31歳のとき。地雷撤去運動を皮切りに、貧困をなくすホワイトバンド、エイズ患者への偏見をなくし啓蒙するレッドバンドなどなど。「ロックという生き方とうまくバランスが取れるか、いまも葛藤はあります。でもホワイトバンドのときに、30代の1人の男として何かを伝えていけるのではないかと思えるようになったんです。でもけっしてファンの人への強制力にはなりたくないですね」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
サコカメラ=写真
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