テレビゲーム文化考

第1回 テレビゲームっていつ誕生したの?

2009.07.02 THU

テレビゲーム文化考


画像提供/エポック社 1975年にエポック社から販売された家庭用テレビゲーム機『テレビテニス』。モノクロ画面で左右に飛び交うボールを打ち合う、単純なものだった

ファミコンよりもずっと昔…世界初のテレビゲームってどんなものなの?



1983年の「ファミリーコンピュータ」発売から四半世紀(以上)。

当時のゲームといえば、ドット絵のチープなグラフィックと、3和音しか出せない電子音の、今から思うとずいぶんシンプルなものでした。

では、それよりもっと前、世界で初めて誕生したテレビゲームって、いったいどんなゲームだったんでしょ? ゲーム誕生の歴史に詳しい、『週刊ファミ通』編集部の小山太輔さんに聞きました。

「コンピューターでプログラムを動かし、ほかの画面に何かを表示して動かすという意味では、1949年ごろに『バウンシングボール』という、ボールが落ちる様子をリアルタイムで描画するプログラムがあったという記録があります。しかしこれはゲームというよりリアルタイムシミュレータでした」

1949年! 実に60年前にまでさかのぼるんですね。

「ゲーム性のあるものとしては、1952年にケンブリッジ大学のEDSACというコンピューターを利用し、『TIC TAC TOE』(ティックタックトゥー)というゲームが作られました。これは現在あるようなモニターではなく、体育館の得点板のような、ドットの集まった表示機を使って遊んでいました。これが画面の記録が残っているなかで、現在知られている最古のゲームです。内容は○とを3つ並べた方が勝ちという、いわゆるマルバツゲームですね」

初期のゲームは、コンピューターを使っていた研究者が仕事の手慰みに、遊びで作ったようなものが多く、年月を経てから「実は」と新たに発見、発掘されることが多いそう。当時のコンピューターは壁面いっぱいもあるような巨大なもの。そんな大きなコンピューターを遊びで使ってみようという研究者の好奇心は、すごいものがありますね。

「現在のテレビゲーム産業の基礎を作ったという意味では、1972年に発売された、『PONG(ポン)』という、家庭でなく外の店で遊ぶアーケードゲームが大きな役割を果たしました。テレビゲームがビジネスとして成功した、世界で初めてのゲーム機で、開発者のノーラン・ブッシュネルはその前後にアタリという会社を作り、アタリは全米にその名を轟かすゲームメーカーになります」

その後、日本にテレビゲームが初めてやってきたのは1973年。当時ジュークボックスなどの輸入販売をしていたセガとタイトーから、『ポントロン』と『エレポン』という外で遊ぶアーケードゲームが販売されました。ゲームが日本の家庭に入りこんだのは、1975年にエポック社から発売された『テレビテニス』(内容は『PONG』と一緒)。黒と白しか表現できない原始的なテニスゲームでしたが、当時の人々は熱狂したのだといいます。

さらに1977年には任天堂から何種類ものゲームが遊べる家庭用ゲーム機器、『テレビゲーム6』、『テレビゲーム15』が発売されるなど、徐々にテレビゲームという遊びが世間に知られるようになっていき、1978年には日本中で大ブームを呼んだアーケードゲーム『スペースインベーダー』がタイトーから発売されます。

ようやく僕らにもおなじみのゲーム会社の名前が出てきました。

こうしてみると、一口にテレビゲームといっても半世紀以上の壮大な歴史があるものなんですねえ。
実際に動いている『スペースインベーダー』テーブル型筺体。ゲームセンターだけでなく喫茶店などにも置くことができたのが大ブームを生んだ一因だったようです

造幣局を動かしたゲーム?『スペースインベーダー』伝説とは



今から30年ほど前の1978年。高度経済成長華やかなりし時代に、日本中に大ブームを巻き起こし、社会現象と呼ばれるほどの人気を生んだ伝説のシューティングゲームがありました。

その名も『スペースインベーダー』。家でなくゲームセンターや喫茶店など、外で遊ぶアーケードゲームです。その人気はすさまじく、当時の若者はこぞってゲームセンターや、インベーダーが置いてある喫茶店につどい、ゲーム機の上に100円玉を塔のように積み上げる積みコインをしながら遊んだのだそう。

日本中を熱狂の渦に巻き込んだというこのゲーム、いったいどれほどのブームだったのでしょうか? タイトーの広報、弓削和美さんにお聞きしました。

「『スペースインベーダー』は日本のみならず世界にも輸出され、全部で26万台が販売されました。今ではあまり見かけなくなりましたが、テーブルのような形をしている機体が特徴でした。当時の人気はものすごく、100円玉の回収に行った営業マンが、あまりの重さにぎっくり腰になったというようなエピソードも残っています(笑)」

日本中から大量の100円玉が回収され、置き場所に困ったタイトーは急きょ(金庫ではなく)倉庫を借りて、100円玉を詰めた箱を保管しなければならなかったほどだそう。
『スペースインベーダー』を何台も置いていた「インベーダーハウス」の様子。今までゲームに興味のなかった人々をも魅了し、ブームは日本全国に広がっていった
さらに、1979年5月13日付の某大手経済新聞には、「インベーダーゲームで百円玉なくなる? 日銀が緊急対策」という内容の見出しで、インベーダーブームのせいで100円玉の流通量が減り、日銀が急きょ100円玉を増発したとの記事が掲載されています。

ひとつのゲームがこのような社会現象を生んだとは。なんでそんなにブームになったんでしょう?

「テーブル型をしていることで、ゲームセンターだけではなく喫茶店や旅館にも置くことができ、それまでゲームに触ったことがなかった人にも届けることができた、というのが大きいでしょうね。ほかにも芸能人の方が、個人でアーケード用の筺体を購入しているとテレビやラジオで発言したりと、当時の流行最先端になったんです」

敵をギリギリまで引き付けて撃つ名古屋撃ちと呼ばれる特別なテクニックや、得点でランキングが作られ、名前が入力できるなどの機能もブームの要因に。当時の新聞には、来日中のカーター米大統領(当時)の娘・エミーちゃんが『スペースインベーダー』を楽しんだという記事や、『スペースインベーダー』の機体が何台も盗まれたという記事、1日に3万円も『スペースインベーダー』につぎ込んだ人がいるという記事まで掲載されていました。

「それまでゲームを遊んだことがなかった人が初めてゲームに触れて起きたブームですから、当時のインパクトの大きさは、後のファミコンブームほどのものがあったと思います」

当時、日本中を熱狂に包んだ『スペースインベーダー』ブーム。人々が初めてテレビゲームの楽しさを知ったという意味では、うれしい侵略者だったのかも!? 世界最古のテレビゲームと、日本で初めて大ブームになったゲーム
『スペースインベーダー』について調べてきました。

当時のインベーダーブームは、
日本中の100円玉が集まるほどの、
すごいブームだったそう。

テレビゲームを初めて触った時の、
「なんだこれ、面白い!」
という新鮮な驚きが大きなブームを生んだんですね。

今でもゲームに熱中している人が多いように、
テレビゲームの力のすごさを感じさせるエピソードですね。

さて、この連載では、そんなテレビゲームにまつわるギモン・フシギを募集しています。
あのゲームはどうやって作られた?
あのゲームが人気になった秘密はどこに?
次世代ハードはどんな機能になる?
などなど、ゲームにまつわる気になることがありましたら、
お気軽にお便りくださいね!

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