あの時の話、聞かせてください!

第12回 イジリー岡田はマジメかエロか?

2009.07.22 WED

あの時の話、聞かせてください!


イジリー岡田さんは、ツーブロックが日本一似合う男でもある。ほぼヘルメット状にセパレートされたヘアスタイルは、未来的な印象すら受ける

当事者視点で語られるギルガメッシュないとの真実



91年10月。深夜25時過ぎからの放送にもかかわらず、最高視聴率9.4%を叩き出すことになるオバケ番組『ギルガメッシュないと』(以下、ギルガメ)がひっそりとスタートした。過激なエロ表現と勢いのある企画で絶大な支持を獲得したギルガメは、98年3月の放送終了まで高い視聴率をキープし続けることになる。その過程で、当時日本一のエロタレントとして注目を集めたのがイジリ-岡田さんだ。ところが、イジリ-さんとしては本意ではなかったようで。

「今の僕がいうのもなんですけど(笑)、下ネタが苦手だったんです! もともと、萩本欽一さんのような、ほんわかした笑いが好きなんですよ。ギルガメは3カ月くらいで終わるだろうという話で、スタート直後は普通の情報番組だったんです。なぜか僕のコーナーだけエロだったんですけど。『AV女優のお宅訪問』という、女子の部屋を荒らしてみたいな企画。今やってることとあまり変わってない(笑)。で、これで終了かと思ったら、まずまずの視聴率だったようで、完全リニューアルして続行することになったんです。ディレクターさんも替わって、ふーみん(細川ふみえ)がきて、セクシーメイツがきて、飯島愛ちゃんがちょっと遅れて入って。なぎら健壱さんと裸エプロンの野坂なつみちゃんの『夜食バンザイ』も始まった。そのへんからですね。僕に、強烈なエロのイメージがついてしまったのは(笑)」

萩本欽一氏を心の師と仰ぐイジリ-さんだが、なぎら健壱氏からは番組で多くのことを学んだという。

「僕は、なぎらさんに育ててもらったようなもんです。下ネタには葛藤があるけど、番組の人気も上がってきたし、とにかくやるしかない。そんな時、なぎらさんがちょっとずつ僕を認めてくれて、なぎらさんのコーナーにからませてくれたり、一緒にコントの提案をしてくれたりして、面白くなってきた。その後、なぎらさんはギルガメを辞めるんですけど、理由として『子どもが中学に上がるから。ギルガメ出てるとバカにされる』っていってたんですよ(笑)。でも、じつは『岡田が育ってから辞める』という約束があったって聞いて。泣けましたね」
憂木瞳さんとのデュエット『マンゴ・ナタデ・ココ』は、作曲・美樹克彦、作詞・松本礼児という通好みの布陣で制作。「生で歌ったのは一度だけですけど(笑)」
視聴率はうなぎのぼりだった。プロデューサーが視聴率をとりすぎないでくれといったこともあるそうだ。内容が内容だけに、目立って叩かれることを避けたかったらしいが、異例の事態である。おっぱいを2週続けて出さないといった配慮がとられたとか(笑)。制作においては、たかがエロ番組だからといったような妥協は、ギルガメにはなかったという。

「ギルガメは、ものすごくマジメに撮られてましたよ。しっかり本読み(台本の読み合わせ)やって、カメリハやって。カンペもないので、つまずくと、上から『何やってんだ!』って怒声が飛んでくる。女のコも泣いちゃったりして。こんなセクシーな衣装の女のコが、なんで泣いてるのかなーって状況ですよ(笑)。現場は厳しかったです。ただ、全員がクラスメートというか、放課後のクラブ活動みたいなノリもありました。新しい女子が入ったら、みんなで誘って食事に行ったりとか。そういう女のコ同士の和を保つのも僕の役目でしたから。でも、ギルガメに出てるコは、ホントにいいコばかりで。和を乱すようなコはいなかったですよ。あとですね。収録中に裸のコもいたから、『イジリ-、エロいこと考えてただろ』って誤解してる人もいると思うんですけど、そんな余裕はないですよ! 進行のことで頭がいっぱいで、目の前におっぱいとかあってもまったく(笑)。それに、出演者の作品は一度も見たことがないですね。みんな友だちでしたから(笑)」

意外なほどイジリ-さんは女性に関して律儀でマジメなのである。番組制作にしてもまたしかり。ところが、視聴率は悪くなかったのに、ギルガメは98年3月で放送を終了する。

「僕が知ったのも1カ月前くらいでしたから、急でした。理由はよくわからないです。ただ、同時期にほかのエロ番組も終わってて、当時テレビの悪影響というのがよくいわれてはいましたね。まあ、人気絶頂のまま終わったといえば、キレイな話なんですけど」

イジリ-さんは、ギルガメ最終回において号泣した。6年半のあいだにかかわってきた全ディレクターがスタジオに集合していたからだ。ギルガメちょっといい話である。
「ギルガメ終了後は、1年間『テツワン探偵ロボタック』に出演してました。東映さんの特撮モノってAV女優さんもチャーミー(城麻美)とか結構出てるし、たぶんその流れで奇跡的に出させてもらえた(笑)」

払拭できないエロタレントのイメージと格闘した日々



驚異的な視聴率で、一時代を築いた『ギルガメッシュないと』。惜しまれつつ、98年3月に6年半の歴史に終止符を打ったが、イジリ-岡田さんには完全にエロタレントというイメージがついていた。ギルガメには最高のキャラクターだったが、マイナスイメージにとられかねないことは想像にかたくない。

「もう、朝、昼、ゴールデンは出られなかったですよ(笑)! これは大変でしたね。マネージャーにもいいましたけど、日本芸能界史上初の売りにくいエロタレントですよ。同じエロでも、(笑福亭)鶴瓶師匠は落語家というベースがあるじゃないですか。(片岡)鶴太郎師匠にしても、今でこそ俳優とかいろいろやってらして下ネタはもうやってませんが、昔は『オールナイトフジ』というベースがあった。僕はもうエロスのイメージから始まってるから(笑)。で、ギルガメみたいな番組はもうできそうにないと。もう、イメージチェンジは大変ですよ! 今、ちょっと一周して落ち着いたから、『アメトーーク!』の楽屋探訪シリーズとかエロタレント仕事も堂々とやってますけどね。33歳でギルガメが終わってから40歳過ぎまで悩んでました。ここまで強力なエロのイメージがついたら、ゴールデンはまず無理でしょう(笑)?」

事務所もしばらく下ネタの封印を指示。しかし、イジリーさんにはほかにも芸があった。素人時代から定評があるものまねもそのひとつだ。

「岩本恭生さん(現・岩本恭省)に誘われてはいたんですよ。コロッケさんと恭生さんが『ものまねバトル』に行ってたんで。ただ、その時期、ものまね恐怖症になってたんです。ウケないんじゃないかって。誘われても、機会があったら行きますとか言葉を濁してて。当時のマネージャーにいわれましたね。『ギルガメ終わったら、お前も終わるぞ』って。タレントとして終わりだから、ものまねのオーディションに行けと。そうやって諭されて、しぶしぶ行ったら温かく受け入れてもらえて。どうにかものまねの道を開いたんですけど、それでもなかなか出られなかったですね(笑)。『ギルガメの人』から『ものまねの人』として認知されるまでに3年から5年はかかりました。今、高速ベロの人ですけど。また戻っちゃった(笑)」

じつはエロタレントとしての復活は、2001年の27時間テレビで劇的に行われている。深夜の「裏めちゃイケ」におけるスーパーエロ司会ぶりは、いまや業界では伝説である。
これが超高速でレロレロさせることができる神の舌だ! 一説によれば、最高秒間18回上下運動させることが可能だといわれている
「『めちゃイケ』総監督の片岡飛鳥さんが『今度の27時間テレビで、イジリーさんのためにコーナーを用意しました』と話を持ってきてくれたんです。夜2時くらいからエロクイズ番組が始まって、前半は矢部くんの仕切りでやって、途中から『もうこんなクイズできません。このクイズを仕切るにはこの人しかいない、という方を呼んでおります』という流れで僕が出るんですけど、台本もらったら1行目に、イジリー『よろしクリクリ、クリトリス!』って書いてあるんですよ(笑)。スゲエ台本だなと思って。ウチの会社のお偉いさんも交えて、『飛鳥さん、これ本当にいうんですか』っていったら、『ぜひ、いってください!』と。『大丈夫なんですか!』って聞いたら『放送禁止用語ではないですから』って。やるなら、これはもう最高の滑舌と最高の笑顔でいうしかないなと(笑)。本番ではものすごくウケましたね。いろいろ反響も大きかったです(笑)。そこで、ちょっとふっきれました」

現在は、ものまねとエロタレントを両立しながら、アイドルのプロデュース業や自ら旗揚げした劇団『東京アンテナコンテナ』にも力を注いでいる。

「僕はもともとアイドルオタクなんですよ。イジリー岡田という名前をつけてくれたのも、当時連載があったアイドル雑誌『Momoco』の編集長ですし。節目、節目でアイドル仕事はしてるんですよね。去年は、田代さやかちゃんのDVDをプロデュースしました。イジリー岡田プロデュースというと、やっぱりちょっとエロく感じるじゃないですか(笑)。劇団は、一番の夢ですね。ギルガメのイメージとは違う、欽ちゃんみたいな正統派のお笑いに挑戦するイジリー岡田を見せたいと思ってやり始めたんですけど、2時間の舞台をやった時の満足感といったらなかったんですよね! 年に2回は公演して、常に満席の状態にしたい。それは本当に夢です。あとはテレビとかで好きなことをやっていければいいなあと。下ネタを封印していたころより、ずっと気持ちは楽になったんで。『やりすぎです!』っていわれるギリギリまでチャレンジしますよ!」

ギルガメの時代はもう戻らないが、ギルガメの遺伝子を持ったイジリーさんは今も健在だ。もちろんエロ以外の芸にも磨きをかけている。今後はまた違った角度から、様々なフェイスを見せてくれるであろう。 苦手と公言していた下ネタを名人芸にまで昇華する
イジリーさんの才能は疑う余地がありません。

2007年、劇団『東京アンテナコンテナ』として初挑戦した第19回池袋演劇祭では
舞台『チャンバラフィーバー』でいきなり大賞を受賞しています。

けしてエロだけが売りのキワモノではない。
ものまねもしゃべりもじつに達者で、優秀なアイデアマンでもある。

まだ本当のイジリー岡田を、僕らは知らないのです。


さて、ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

今回で、本コーナー「あの時の話、聞かせてください!」は終了いたします。
短いあいだでしたが、たくさんのお便りをいただき、楽しく連載させていただきました。感謝、感謝です。
まだ、読んでいない回がありましたら、この機会にぜひ閲覧くださいませ。

それでは、またどこかでお会いしましょう。
さよなら、さよなら、さよなら~。

■イジリー岡田プロフィール
1964年生まれ。86年、CX『ものまね大賞』敢闘賞を受賞、同年コントコンビ「キッドカット」を結成、ホリプロお笑い部門の第1号タレントとなる。90年コンビ解消、以後ピン芸人として活動。翌年『ギルガメッシュないと』レギュラーとして注目を集める。ギルガメ終了後は、ものまねタレント、アイドルプロデュース、劇団「東京アンテナコンテナ」の旗揚げなど、マルチに活躍。09年8月3日24:30スタートのテレビ埼玉『復活! ミニスカポリス』にレギュラーMCとして出演決定。学研『BOMB』で「イジリー岡田のアイドルソムリエ」、徳間書店『月刊ENTAME』で「イジリー岡田のこのアイドルDVDに高速ベロっっ!!」を連載

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