「みんなの笑顔が見たいから」

志村けん

2009.11.05 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
それが何であれ、好きなことを見つけること

『となりのマエストロ』という新番組である。マエストロとは「その道ひと筋、ひとつのことに夢中になって、それを追い続ける人」のこと。毎週日曜、“志村家”にそんな人々がやってくる。

「まあ本業のコントと違って、気楽に取り組めるからね。イイ意味で力入りすぎずにできましたね。みんなもあんまり肩肘張らずにやってる感じがよく出てたかな。でも、だんだん自分色に染めていこうとは思ってます。最初は相手(制作陣)の“こういうことをしたい”というのを受けて泳いでみる。でもやっていくうちに、こっちの方が泳ぎやすいと思った方向に行きますね。ただ急にはしません。それが正論で、みんなの支持を得られたと感じたときに、変えればいいと思ってるんです。番組を作り上げるのには時間がかかります。1回目で“変えよう”とか言い出すのは単なる横暴ですから(笑)」

初回にはふたりのマエストロが登場。ひとりめは爆発の衝撃波を利用した調理法の研究者。ものすごく大層な機械を使って危険をともなって爆発で浅漬けを作ったりする。もうひとりは、農業界に次々と革命的な流行をもたらした雑誌編集長。「種を食べよう」という提案をした。他人から見たら些細なことにこだわりを見いだす人たちなのである。

「たとえば“浅漬けだったらビニールでできんじゃん”とか言いますけど、あんまりそこを突っ込むのは好きじゃない。まだ開発中のものだし、一点にこだわるあまり他のことがどうでもよくなっちゃう人の気持ちはよくわかる」

もちろん堅苦しい番組ではない。

「“好きなことを一所懸命やるのはいいことだ”って、思ってもらえればいいですよね。この番組観てると、何にこだわったっていいんだってことがよくわかると思う。そういう好きなものを見つけることが大事だよね。僕もできればコントでずーっとやっていきたい、職人になりたいってタイプだから。仕事は、やってる人にしかわからないんだよね。…まあ、話を聞いてると、そういうふうに一所懸命やってる人はだいたい家庭がうまくいってないんだね、独身だったりとか(笑)」

笑いへの姿勢を決めたふたつのターニングポイント

志村けんは、高3でザ・ドリフターズの付き人としてこの世界に飛び込んだ。キャリアは今年で41年。といっても最初は、ドリフの全国巡業での肉体労働や雑用がほとんどだった。弟子というよりはバンドボーイ。仲間は3人。最初からビジョンは明確だった。

「付き人は3年と決めていたんですけど、1年半でいったんやめて、べつの仕事に行ったんです。その時代のコメディアンの方っていろんな仕事してるんです。食えないからだと思うんですけど。それがコメディアンとしてためになってるような気がして」

道路標識を作る会社やスナックなどで、普通の仕事を1年間。そして加藤 茶の口利きで付き人に戻ってさらに1年半。22歳のときにマックボンボンというコンビを結成して独立。様々な歌手のコンサートの前座で人気を博し、レギュラー番組も得るが、解散。荒井 注の脱退によってドリフターズに加入するのは24歳。付き人からの昇格は異例中の異例であった。

「僕ね、付き人のころから台本書いてたんです。稽古場でドリフのメンバーが煮詰まってるようなときに、“ちょっと場所お借りしまーす”なんて、コントの稽古してみたりね。コンビのときも相当ウケてました。そういうので、加藤さんが“アイツいま面白いぜ! 使いやすいじゃん”って言ってくれてたらしくて。普通に付き人だったらどうにもならなかったんじゃないかな。偶然ドリフに入ったんじゃなくて、それは自分で動いたからだと思います」

これがひとつ目のターニングポイント。『8時だョ!全員集合』にドリフの新メンバーとして登場し、「参加して2~3年目からは、とくにやりたいことがやれるようになってきました」。

番組後半の小さなコーナーで実力を発揮。『東村山音頭』『ヒゲダンス』、バカ殿様というキャラ、そして『スイカの早食い』などで人気を得ていく。

「加藤さんと仲本さんと3人でやりたいことがやれましたね。いかりやさんに“ウチのパターンじゃない”って言われたのもあったけど、やり通すことで“ホントはそういうのもやりたかったんだ”って(笑)」

もうひとつのターニングポイントは、『全員集合』が終わったこと。35歳、加藤 茶と2人で『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』をスタートさせた。

「それまで5人だったのが、加藤さんと2人。こうしたいっていう意識を前面に出して、僕が主導権握っちゃったんですね。この翌年から『バカ殿』が始まってるんです。ずっといかりやさんがリーダーでいて、その下にいればいい状況だったのが、ここから僕個人がトップに立ってスタッフの面倒も全部見るようになったんです。相当なプレッシャーだったけど、心地よかった。コントを作るのはとてもつらくて、とても心地いい。そんな感情、ドリフのみんなでやってるときにはなかった」

登場人物がそれぞれに役割を担い、きっちり作り込みながら、キャラクター同士の関係性も見せていく。そんなコントづくりを続けてきた。“本業”だ。「台本を作り、セットや小道具の発注も自分たちでし、カメラアングルや照明も考えて。全部が全部、自分たちのやりたいことなので。お話をもらってやる番組は、正直、トータルの責任はないわけです(笑)。持ってきたものをどうやって食べるか、だけだからね」

たとえば『バカ殿』。2時間の番組を作るのに、ネタづくりは1カ月前から。直前の6日間はそれだけに没頭できる環境を作り、最後の3日は作家とふたりでホテルにカンヅメになって仕上げていくという。尋ねるとエピソードを語ってくれるけれど、裏側を披露したい気持ちはまったくない。

「毎年やってる舞台では、3時間ちょっとの間に15回着替えるんですね。パンツ一丁で走り回って、これがなかなかすごい。DVD出すときに、特典映像で入れようかっていう話になったんですけど、そういう大変なの見たら笑えないんじゃないかと。でも笑いに限らず、どの仕事も一所懸命やる限り楽なことはないんですよ(笑)」

仕事の後に行われる飲み会も、“その日の反省”以上に重要な役割を持つ。

「一番いいのは壁がなくなることですね。お酒が入ると和むし、カッコつけなくなる。みんな最初はオレを怖がってると思う…怖くはないんだけど(笑)。それをなくさないとね。桑野くんとかダチョウ倶楽部とも打ち解けるまで相当時間かかりました。普通にしゃべれるようになると、“この人はこういう間でこんなことを言うんだ”ってわかる。するとその間をそのまま自然にコントに持っていくことができるんです。それっぽく見えるんです。相当お金つかったな(笑)」

そんなふうに飲み、ゴルフでは人間観察をし、映画はコントでの照明やカメラアングルのヒントにする。食事もコンサートもすべてが“コントにつかえんじゃないの?”だった。

「職業病でしたね。何年か前に3回目の胃潰瘍になって、それからは意識して考えないようにしてますけど(笑)」

すべて「みんなの笑顔が見たいから」なのだそうである。“みんなを幸せにしたい”ととらえれば、ヒューマニズム。もちろんそれもある。だがそれ以上に、お笑いひと筋にやってきた者しか持ち得ない深い深い欲望があるのだ。

「50歳になったら舞台をやりたいって言い続けてて、最近実現したんですけど…客席の千何百人が一斉にドカーンって笑ってるのを舞台の上で見るのって、とてつもない快感なんです。パワーをあげてると同時にもらってるというか。ちょっとした快感じゃなくて、ものすごい快感。そのために、裏で苦労して考えて考えてより面白いことを追求することができるんだと思います。これは僕らの商売しか得られないものじゃないかなあ」

そしてまた、さらなる快感を求めて、さらなる笑いが生まれていくのだ。

でもここで語られた、志村けんの笑いへの執念は、ここで忘れること。次またテレビで観たら、何も考えず「アハハ志村おもしれー」。それでいいのだ。

1950年東京都生まれ。18歳のとき、ザ・ドリフターズの付き人となり、22歳でお笑いコンビ・マックボンボンを結成。24歳でザ・ドリフターズに加入。『8時だョ! 全員集合』で東村山音頭やヒゲダンス、カラスの唄などで人気を博す。年3回スペシャルが放送される『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ)は今年で23周年を迎える。変なおじさんやひとみ婆さんなどのキャラクターを擁した『志村けんのだいじょぶだぁ~』は12月と1月にDVDのリリースが決定。また06年より、志村けん一座を率い、『志村魂』と題した舞台を制作。日々理想の笑いを追求し続ける。www.ken-shimura.com/

■編集後記

20代前半、付き人のころ。「基本的には“いかに気がつくか”ですよね。求められてることを察知してさりげなく叶えると、相手はすごく気持ちいいんです。それによって僕も信用を得る。“おい、タバコ”って言われてからじゃ遅い。察知して出す。あるいは“この人はこれを必ず使う”ということを学習しておく。でもさりげなく、ですよ。何をすると人が喜ぶか…思えば、いま僕が笑いで追求してることと同じですよね。人が喜ぶことを進んでやるっていう」。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
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