地味な印象だけど、実は画期的取り組みが多かった…!

「象が応援」!? 選抜甲子園トリビア

2016.03.13 SUN


創志学園高・高田萌生や東邦高・藤嶋健人など、好投手に注目が集まる今大会 写真/PIXTA
春はセンバツから──。第88回選抜高等学校野球大会、いわゆる「センバツ甲子園」の開催が今年も近づいてきた。「夏の甲子園」と比べるとどうにも地味な印象があるセンバツだが、語るべきエピソードは意外と多い。そんな「センバツトリビア」を集めてみた。

◎第1回大会は名古屋開催だった

今年で88回を数えるセンバツ甲子園。といっても、1924年の第1回大会のみ、名古屋市郊外にあった山本球場で開催された。その理由は、当時、野球熱が高まりつつあった東海地区の野球ファン拡大のため。また、それ以前の夏の大会では開催地である関西勢の優勝が多く、他地域にも勝利のチャンスを広げるため、とされている。

当初、毎年開催地を変えて全国をまわる構想もあったが、同年夏に甲子園球場が完成(それ以前は“夏”は、大阪の豊中球場などで行われていた)。翌年春の第2回大会が甲子園で開催されると、以降、当初の構想などなかったかのようにセンバツも甲子園での開催が定着してしまった。

◎象が応援に来たことがある

休部問題で揺れるかつての超名門校、PL学園。PLと甲子園といえば「人文字応援」が有名だが、初めて甲子園で人文字を披露したのは1962年のセンバツ初出場時とされている。

PLに限らず、各校趣向を凝らした応援合戦もまた高校野球の名物シーン。そんな応援スタイルで物議を醸したのが、1951年のセンバツ(第23回大会)に出場した地元、兵庫県の鳴尾高校。隣接する阪神パークと交渉の末、なんと本物の象を借りてレフト通路からグラウンドに入場させたのだ。高野連からはこっぴどく怒られたというが、この象の応援が効いたのか、鳴尾高校はこの大会で準優勝という好成績を収めている。

◎校旗掲揚、校歌斉唱、先導プラカードはセンバツから

勝利チームの校旗掲揚と校歌斉唱がはじめて導入されたのが1929年のセンバツ(第6回大会)。大会主催者である毎日新聞の社員だった陸上選手、人見絹枝氏のアイデアだった。この前年、アムステルダム五輪の陸上・女子800メートルに出場し、日本人女性初のメダリストになった人見氏は、表彰式での国旗掲揚と国歌斉唱にいたく感動。帰国後、甲子園での校旗掲揚と校歌斉唱を提案すると、翌春のセンバツ大会から採用されるに至った。

ちなみに人見氏のアイデアで始まったものには、ほかに開会式の入場行進における校名プラカードの先導がある。これも五輪開会式での実体験をもとに1929年のセンバツから採用されたものだ。

◎日本における「背番号」採用はセンバツが初めて

ユニフォームに縫い付けられた「背番号」。メジャーリーグで背番号が導入されたのが1929年。一方、日本の野球シーンにおいて、はじめて背番号が導入されたのは1931年のセンバツ(第8回大会)から。広い甲子園球場において、どの選手がどこを守っているのか認識しやすくするため、とされている。

ただ、この背番号制度、採用されたのはなぜかこの年のみで、翌年からは背番号なしのユニフォームへと逆戻り。その後、1952年の夏の甲子園大会で背番号が採用され、それにならう形でセンバツでも翌年から背番号が復活した。

この他にも、高野連連盟旗の掲揚(1949年)、耳付きヘルメットの義務化(1972年)など、センバツがキッカケで始まったものは多い。「21世紀枠」に代表されるように、新しい取り組みができる柔軟性、対応力もまたセンバツの魅力だ。

今大会には、初代優勝校の高松商が20年ぶりに出場を果たすなど、歴史を振り返るには絶好の機会だろう。注目のセンバツは3月20日(日)に開幕を迎える。
(オグマナオト)

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