野茂英雄の偉大なる業績を振り返る

日米通算200勝達成!開拓者・野茂の次なる挑戦は?

2005.06.23 THU

10年経った。野茂英雄が日本を離れ、MLBでデビューしたのは95年のことだった。日本でプレーした5年間で積み上げた勝ち星は78。それから野茂はアメリカで投げ続け、ついに6月15日(日本時間16日)、日米合わせた勝ち星が200を数えるに至った。

大食漢の肥満対策として出会った野球に、少年野茂はのめり込んだ。しかし、高校時代は甲子園とは無縁。唯一、2年夏の大阪大会2回戦で完全試合を達成したことが目立つくらいだったが、卒業後は素材を買われて社会人・新日鉄堺に入社。それでも当時の野茂は「僕はここで一生、働くんだなぁ」と思ったというから人生はわからない。野茂はストレートに磨きをかけ、フォークをマスターすると瞬く間に全日本入りし、五輪で銀メダルを獲得。社会人3年目、21歳の時にはプロ8球団が指名する存在となった。その後の活躍はご存じの通りである。

野茂は日本人メジャーリーガーの開拓者として賞賛されるが、それはプレーの話ばかりではない。02年には米独立リーグのチームを共同買収。「野球をしたくてもする場所がない選手やメジャー志望の日本人のため」という願いからだった。04年には「どうしても野球を続けたい、もう一度挑戦したい」という選手の受け皿として、さらには自らを育ててくれた社会人野球への恩返しのため「NOMOベースボールクラブ」を設立。不況の影響で企業チームの休廃部が続く社会人野球の状況を見かねての行動でもあった。彼の地にいても野茂の視野は広い。最近のクラブチーム流行りを見ていると、野茂の先見性にはあらためて頭が下がる。かつて近鉄、メッツで野茂と同僚だった吉井理人(現オリックス)はこう言った。「野茂は僕らと次元の違うことを考えている」。ならば野茂はこの先、どこへ向かうのか。曲がり角を迎えた世界の野球界をどう見つめているのか。ぜひ聞いてみたいが、ひとまずそれは将来の楽しみとしよう。200勝は通過点。野茂は明日もまた、投げ続けるのだから。

関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト