2輪ロードレース界のスター逝く

世界中に衝撃を与えた“ノリック”阿部典史の死

2007.11.08 THU



写真提供/AFLO
“ノリック”こと阿部典史選手が不慮の交通事故で逝去してから、1カ月が経とうとしている。

スターティンググリッドの順位が低くても、あっという間にトップグループにつけてしまうロケットスタートや、背筋を立てた独特のライディングスタイルなどの「理屈を超えた走り」で、多くの人を魅了した。2004年まで2輪ロードレースの最高峰MotoGPを戦い、表彰台獲得は3度の優勝を含む17回。全日本選手権に戦場を移した今季、レース環境の向上にも率先して取り組み続けていたなか、10月7日の夕刻、一般道を大型スクーターで走行中に、転回禁止の場所で突然Uターンしてきた車両と衝突、32歳の生涯を閉じた。

事故の1週間後、オーストラリア・フリップアイランドではMotoGP第16戦が開催されている。いまだに熱狂的なファンを持つスター選手の突然の訃報に、多くの関係者が様々な形で弔意を表した。

たとえば、イタリアが誇るスーパースター、バレンティーノ・ロッシが自らを「ろっしふみ」と名乗るほど阿部氏の大ファンだったことは有名だが、その死を悼み同国の新聞一面で追悼文を発表している。決勝日には125cc、250cc、MotoGPの3クラス全選手やチーム関係者全員がスタートラインに集合して1分間の黙祷が捧げられた。同日の午後に行われた決勝レースでも、全クラスの日本人選手やロッシ、ヤマハのチームスタッフなど、親交のあった全員が腕に喪章を巻いてレースに臨んだ。

また、このレースを報じるスペインの雑誌では、決勝前日に日本で行われた阿部氏の葬儀の模様も併せて伝えられた。その翌週に行われた第17戦マレーシアGPでは、250ccクラスで青山博一が優勝を飾り、「ノリックさんが力になってくれました」と、腕に巻いた喪章にそっと手を触れた。

享年33。今後の日本ロードレース界へ果たしたであろう貢献や、世界と日本をつなぐ架け橋としての役割を考えると、我々が喪ったものはあまりにも大きい。


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