勝利の瞬間、コートに倒れ込んだあの人

男子バレーを五輪に導いた植田監督ってどんな人?

2008.07.17 THU



写真提供/中西祐介/アフロスポーツ
バレーボールの北京五輪アジア最終予選で、実に16年ぶりとなるオリンピック出場権を手にした全日本男子。もはや古豪に成り下がっていたチームを、世界で戦える集団へと再生させたのが植田辰哉監督(43歳)だった。

全日本の監督に正式に就任したのが2004年。最初に当時35歳だった荻野正二を7年ぶりに全日本に呼び寄せ、北京を目指すチームの主将に命じた。安定感抜群のサーブレシーブや国際経験はもちろん、若い選手の精神的支柱という役割も期待してのことだった。かつて日の丸を背負ってともに戦った荻野を、心の底から信頼していたのだ。

しかし、合宿で行う練習は容赦なかった。若手にも荻野にも同じトレーニングを課し、一切の妥協を許さない。それは、日本の一流選手がたまらず悲鳴を上げるような厳しさだったという。ただ、選手たちがそんな過酷な日々を乗り越えられたのは、植田監督が言い続けてきた「五輪に行けば人生が変わる」という言葉を、支えにしていたからである。

植田監督は現役時代、新日鐵でセンタープレーヤーとして活躍。日本リーグで5年連続ベスト6に選出され、全日本でも主将としてバルセロナ五輪に出場するなど活躍した。闘志を前面に出して戦う姿は当時も今も変わらない。しかし、根性論だけで突き進んでいるかに見える植田監督も、実際は世界の潮流にならい、データバレーにしっかり対応している。スタッフが収集した情報を綿密に分析し、それを試合で生かすわけだ。予選での強豪相手の勝利には、そうした科学的な要素も不可欠だった。つまり今の植田監督は、冷静に試合を進めるクールさと、バレーボールに懸ける熱い情熱を持ち合わせた指導者といっていいだろう。

8月の北京で対戦するチームは、どこも世界ランク上位の強豪ばかり。おそらくは一勝さえ困難な、厳しい試練が待ち受けているはずだ。それでも世界最終予選直後に、「北京ではメダルを狙う」と言い切っている。キャプテン荻野を中心に、全員バレーで立ち向かう植田ジャパンの闘いに期待したい。


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