東日本大震災、被災地のR25世代/第1回

「早く商売始めろ。魚が呼んでるぞ」 大船渡・八木健一郎

2011.08.16 TUE


津波で建物を流され、周辺で唯一残った空き物件に移って営業を再開した「三陸とれたて 市場」の八木さん。外に目をやると、ガレキの向こうに静けさを取り戻した海が見える
岩手県大船渡市三陸町。八木健一郎さん(34)は、地元の漁業生産者(漁師)と全国の消費者をつなぐネット通販サイト「三陸とれたて市場」を運営していた。しかし、東日本大震災で発生した大津波は、現地の事業所や設備などすべてを流してしまう…。この絶望的な状況から1カ月後、八木さんは事業を再開していた。静岡県出身の彼にとって、地元へ戻る選択肢も当然あっただろう。しかし、彼は帰らなかった。はたしてどのような思いで被災地に留まり、再び海と向き合ったのか。

「津波から3日後、ガレキのなかで生産者の一人に再会しました。お互いの無事を喜びあった後、『ここまで壊れたんだから、儲からない漁業ならもうやらん。しっかりしたものを一緒に作っていくべし』と言われたんです。船も家も番屋も、財産すべて流されて誰よりも泣きたかったはずなのに、泣き言ひとつこぼさず『こんどはいいもの作っぺし』ってね」

被災後、八木さんが初めてネットに接続できたのはそれから数日後のこと。メールボックスを開くと、数百件の未読メールの山。運営スタッフや生産者の安否を心配する声、そして「もし生きていたら、何年でも待つから仕事を再開してくれ。あのとき食べた魚の味を、届けてくれ」――そんな熱いメッセージが“大漁”に届いていた。

「生産者はすでに前を向いていて、お客さんからは励ましの声が大量に寄せられて、それでもう僕たち販売者が決めることは何もありませんよね。周りが道を固めて、お前たちが走るのはこの道だよ、と言っている。そうなったら、僕たちが『やーめた』なんて投げ出している場合じゃない」

だが、どこから立て直せばいいのか。港もなければ船もない。魚がいるかどうかもわからない。はっきりしているのは、目の前に海があることぐらい。どう考えても2~3年は無理だ。そう思っていたとき、仲間の生産者から一本の電話がかかってきた。

「『刺し網を入れたらすごく獲れたぞ!』って。電話の向こうで興奮する声を聞いて、はっと我に返りました。浮いた豆腐みたいなもので、津波は水中の魚をつぶせない。過密養殖で海が疲れて年々漁獲量が落ちていたけど、この津波で海のなかの泥から何から悪いものが全部かき出された。これでやっと上に向いていく次の周期に入ったんだ、と。僕らが陸の惨状を見て放心している間に、海が商売道具を全部ととのえてくれていたんです。それを生産者も感じて、みんな海へ誘い出されていきました。『お前、早く商売始めろ。魚が呼んでるぞ』って」

八木さんの仲間が沖へ出たのは、震災からちょうど1カ月後の4月11日。

「遺体がかかるんじゃないかと、みんなビクビクしていましたね。でも、かかったらかかったで、弔ってあげないといけない。大切なことなんだ。そうみんなに言い聞かせて、漁に出てもらいました」

次々と船に飛び込んでくる魚たち。大漁だった。

陸に揚げられた魚の写真は、すぐさま「三陸とれたて市場」で公開した。事前に営業再開を告知する時間がなかったにもかかわらず、魚がどんどん売れていく。「お客さんが心配して、僕たちの動向をずっと見てくれていたんでしょうね」と八木さんはうれしそうに笑う。

「とてもありがたいことに、いまは東北地方のためにお金を使ってくださるお客さんが増えています。これは水産の現場にとって、まさに復興の支え。この機会に三陸の味を知ってもらうことができれば、もうお涙頂戴なんていらない。『こんなにうまいものがあるなんて知らなかったよ』と思ってもらえる商品が、大船渡にはゴロゴロある。日本中から応援をもらった分、本当においしいものでみんなの胃袋を満たしてあげること。僕らにはそれぐらいしかできませんから」

(菊地正宏/仙台経済新聞)

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