東日本大震災、被災地のR25世代/第5回

「暴力的なノンフィクションに負けたくない」仙台・森忠治

2011.09.13 TUE


中学で演劇と出会い、高校でその世界に飛び込んだ森さん。今も自分を惹き付ける舞台芸術の力を信じ、「物語」を生み出す人々を支援するための取り組みを始めた
仙台で演劇やコンテンポラリー・ダンスなど舞台芸術のプロデュースを行う森忠治さん(34)は、宮城県南部沿岸部に位置する山元町で暮らしていた両親を震災で失った。

「私の実家は、海からかなり離れた山側なんです。震災後すぐ連絡は取れなかったけど、両親は無事だろうと思っていました。ところが2日後に妹が実家へ行ったら、津波は届いていなかったけど家の中がもぬけのからだった。近所の人の話だと、地震直後は無事だったようですが、浜側にある親戚の家を車で見に行ってしまったらしいんです」

翌日から山元町のあらゆる避難所を回った。両親の足取りを追って親戚の家まで立ち入り、自衛隊が入る前の壮絶な光景も目にした。「これはもう駄目かもしれない…」。

そして、地震発生から9日後の3月20日に訪れた遺体安置所。いくつも並べられた亡骸の一つに父と同じ名前が貼られ、その横には母の名前があった。遺体を収納している袋を開けると、青白くはなっていたがいつもと変わらない父と母の顔だった。父の心臓に埋め込まれていたペースメーカーや所持品を確認。「間違いありません」と伝えた。

「両親は昭和51年2月に結婚して、私がその年の12月に長男として生まれました。だから、自分の年齢と両親の結婚生活の時間がほとんど同じなんだなと、ふと思ったんです。その35年間が一瞬で消し去られてしまったかと思うと、悔しい気持ちになりました」

やり場のない怒りと悲しみ。しかし、そんな気持ちを抱えながらも、長く携わってきた舞台芸術の世界でこのつらい現実に立ち向かっていこうと決意した。

「地震や津波という暴力的なノンフィクションに負けたくないと思ったんです。物語やフィクションの力を信じたい。そう思ったのが、また動き出そうと思った最初のきっかけでした」

仙台にはもともと優れた舞台芸術の文化があったが、そこに携わっている人たちやカンパニー(劇団)の経済基盤は強くない。そこを東日本大震災が襲い、弱体化してしまった。そこで森さんは、支援組織「せんだい舞台芸術復興支援センター」の設立に乗り出した。

「市民の力が仙台の舞台芸術を支え、カンパニーやアーティストが専門的な職能を被災地の市民に還元する。その中間に立って双方を支援するのが目的です。最終的には、『復興支援』の文字が取れた官民共同の公立劇場を作りたいですね」

もう一つ。森さんは舞台芸術を通して、被災した子どもたち、なかでも10~15歳の子どもたちを支援したいと考えている。

「小学校低学年の子どもや未就学児に対しては、個々のコンディションに合わせた支援をする専門的な団体があります。また、高校生になると社会の一員として組み込まれ、精神的にも大人になっている。でも、その中間の年ごろの子どもたちは、ただでさえ自意識が大きく変わっていく不安定な時期なのに、被災して両親や友達を亡くすという体験をしてしまった。そうした子どもたちのケアに、物語の力が有効だと思っています」

もちろん、現段階では生活の再建や学業の支援が最優先だ。自分が提供しようと思っていることは、まだ必要とされていない。しかし、復興の段階に合わせて必ず必要とされる時がくる。そう信じているからこそ、森さんは少しずつ準備を進めておきたいという。

「10代の子どもたちは、10年後、20年後に社会の中心的な存在となり、きっと震災という暴力的なノンフィクションに打ち勝つ素晴らしいフィクションをこの世に生み出してくれるでしょう。そのために、物語の力で彼らを勇気づけ、将来彼らが仙台で活動できるための環境整備を行っていきたいと思っています」

(菊地正宏/仙台経済新聞)

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