東日本大震災、被災地のR25世代/第7回

「観光は、土地の人が発する光を観ること」松島・千葉伸一

2011.09.27 TUE


松島の海と五大堂を一望する絶好のロケーションに位置する「松華堂菓子店」。震災で観光客が減少した町を見つめながら、千葉さんはこれからの町づくりに思いを巡らせる
宮城県松島町で、2軒のカフェを営んでいた千葉伸一さん(36)。いかにも観光地らしい土産物店が並ぶなかで、「カフェロワン」と「松華堂」はひときわ洗練された雰囲気を持つ店だった。他県からの観光客はもちろん、仙台からわざわざ足を運ぶ人も増え始めていたという。しかし…。

「松華堂は2010年8月にオープンしたばかりだったのですが、津波で1階が1.2mほど浸水。カフェロワンは地震の揺れで建物が損壊して、現在も営業再開の見通しは立っていません」

松華堂の営業を再開させたのは4月23日。観光客はゴールデンウィークを境に戻ってきたが、それでも震災前の半分以下に落ち込んだ。そもそも松島は他の観光地と同様、団体客が減少傾向にはあった。近年は中国からの旅行者が増加していたが、震災と原発事故の影響で今後も外国人観光客の減少は避けられない。そんななか、どういう方向に進んでいくべきか。

一つの回答として、千葉さんが自分の店で貫いてきたのは、地元の観光地ではおなじみの宮城名物「ずんだ餅」や「牛たん」を出さないこと。これは単に商品に限った話ではなく、従来の観光サービスからの脱却に向けた明確な意志だ。

「僕は震災前から、仙台やその近郊の人たちにも松島をもっと身近に感じてもらい、地元のリピーターを増やすことを考えていました。団体客のように一度にたくさんお金を使ってくれるわけではないお客さまに、きちんとした料理、サービスを提供していくわけですから、一時的に売り上げが落ちることは覚悟しなくちゃいけない。でも、仙台など近郊に住む人々が松島を生活圏に入れてくれるようになれば、それぞれの店がリピーターを獲得しようとクオリティを高めていくことになる。結果的に、口コミで全国からお客さまが集まってくると思うんです」

そのためには、「地元の人たちが、松島に誇りを持つことが大事」と千葉さん。そうした考えから今年8月、夏の観光の目玉だった花火大会に代わる祭り「海の盆」を観光協会に提案し、開催した。寄付を募って、毎年恒例の花火大会を開催する道もあっただろう。地元の観光関係者には、そういった考えの人も少なくなかった。しかし、千葉さんは丹念に「海の盆」の趣旨を説明して回った。

「観光イベントから地元のお祭りに原点回帰し、まずは松島の人自身が楽しみましょう、と。それも、誰かに頼って何かを誘致するのではなく、自分たちで考えて行動して作ることに意味があると思ったんです」

「鎮魂」と「希望」をテーマに、700年続く大施餓鬼会(おせがきえ)と灯ろう流しを中心としたプログラムを組み立てた。盆踊りや縁日がある古来のお祭り。3日間で訪れた人の数は4万7000人に上った。

「1日で15万人を集める花火大会に比べれば小さいものではあったけど、地元の人がたくさん来てくれましたね。お年寄りから子どもまで一緒に楽しんで、お盆で帰省した人は久しぶりに旧友に会う。実に地元のお祭りらしいお祭りになりました」

空に浮かぶ月が五大堂を照らし、海には無数の灯ろうの明かりが広がった。その荘厳な美しさは、8000発の花火にも引けを取らない。

「その光景を見ていてふと思ったんです。松島でしかできないことをやっていけば、それが結果的に観光資源になるんだな、と。松島でしか見られない景色があって、地元の人が笑顔で盆踊りや縁日を楽しんでいる。そして、観光客も一緒になって楽しんでいる。『観光』は光を観ると書きますが、まさに土地の人たちが発する光を観に来てくれることなんですよね」

これまで続いてきた観光産業のスタイルを変えていくには、大きな困難がともなう。千葉さんは多くを語らなかったが、開催までの道のりは決して平坦でなかったはずだ。それでも、地元の参加者からは、「こういう祭りもいいな」という声が聞こえてきた。一緒に祭りを準備してきた20~30代の仲間たちが、松島の未来を真剣に考えるその表情に希望を感じる。

「今年の『海の盆』は、いわば“種まき”でした。この種が育っていけば、5年、10年と松島がより良い町になっていくと思う。そうして町が次の価値観へ向かっていくことが、本当の意味で震災を乗り越えるということではないでしょうか」

(菊地正宏/仙台経済新聞)

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