東日本大震災、被災地のR25世代/第9回

「できることを考える前に答えは出ていた」仙台・中村維俊

2011.10.11 TUE


家族連れが集う仙台市内の商業施設でフリーライブを行うTHE YOUTHの中村維俊さん。写真奥はドラムの相澤大樹さん
宮城県名取市閖上(ゆりあげ)で生まれ育ち、仙台を拠点に音楽活動を続けてきたロックバンド・THE YOUTHのボーカル、中村維俊さん(29)。東日本大震災では、名取市の自宅で被災した。しかし、その直後から音楽のことばかり考えていたという。

「ちょうど自宅で曲作りをしている最中にグラッと揺れたんです。そのままギターを抱えて逃げ出したぐらいなので、『こういう時だからこそ、音楽が必要だ』なんてテンションになったのかもしれません。別のバンドのサポートで県外に出ていたメンバーたちの無事を信じて、電気も通っていない、携帯も通じない閉ざされた環境で、必死に音楽を作り続けていました」

余震が続くなか、家財が散乱したままの部屋で新曲「アイ」を書き下ろした。そして、電気が復旧した仙台市内へ行って録音。その楽曲をYouTubeにアップし、被災地から全国に発信した。県内のラジオ局に出演し、電波に乗せて歌声を届けることもあった。

「自宅は津波の被害もなかったし、被災地にいるけど被災者とも言いきれない微妙な立ち位置でしたね。ただ、僕は単純なので考える前にとにかくすぐ動こう、と。だから、ギターを持って被災地を回り始めました。自分ができることは何かなんて深く考えなくても、答えは出ていましたから」

被災地での音楽活動に対して、否定的な反応を目にすることもあった。周囲のミュージシャンから「歌なんか歌っている場合じゃない」という言葉をぶつけられることもあった。それでも、どこかで音楽を必要としている人がいるなら、そこへ歌声を届けたい。

インターネットで呼び掛け、反応があった地域に足を運んだ。交通手段がなく、ギターを抱えて徒歩で訪問したこともある。そういった経験を通して、歌に対する考え方も変わっていった。それまで多く手がけていたラブソングから、「一日一日を生きる」というシビアなテーマを描いた曲を作るようになり、「生」を意識するあまり詞が書けなくなった時期もあったという。

「僕、自分に自信が持てないタイプなので、常に悩んでいます。すげぇ、悩んでいます。音楽そのものにも悩みます。このまま音楽を続けていいんだろうかみたいな、ネガティブ思考も持ち合わせています。でも、そういう負の気持ちに対する反動があって、また前へ出ていくんですけどね」

震災から1カ月。バンドのメンバーたちとも無事再会を果たし、THE YOUTHとして県内各地でフリーライブを実施した。さらに、大規模な音楽イベントを仙台で実現するため、日々精力的に活動している。

「宮城には『ARABAKI ROCK FEST.』という大規模なフェスもあるけど、おじいちゃんと子どもが一緒に参加できるような、誰もが気軽に足を運んで楽しめるイベントを開催して、仙台の人たちを勇気づけたい。県外からたくさんのお客さんに来てもらうことで、経済的なことも含めて街全体を盛り上げたい」

そう考え、地元の音楽関係者や親交のあるミュージシャン、企業などに働きかけている。少しずつ賛同の輪は広がっているが、一時の復興支援ムードから覚めてしまったような温度差のある反応を目の当たりにすることもある。

「ちょっと嫌な言い方ですが、震災直後は『復興だ!』って盛り上がっていたのに、半年も経つと『もう震災ネタはね…』みたいな感じになってきている。けど、実際にはまだまだなんです。被災地の一部ではガレキが撤去されて表面上はきれいになってきたかもしれないけど、本当はこれからなんですよ」

イベントに付けようと思っている名称は「POWER OF THE MUSIC」。音楽の力で、もう一つの復興を行っていきたいと中村さんは話す。

「物理的に街を直すだけじゃなく、精神的な復興も大切だと思っています。僕はいろいろな場面で音楽に助けられてきた人間で、同じような人たちも多いはず。12年間活動を続けてきた地元への恩返しとして、これからも住み続けるこの街で、音楽による復興に取り組んでいきます」

(菊地正宏/仙台経済新聞)

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