東日本大震災、被災地のR25世代/10回

「伝えなきゃという使命感で書き続けた」仙台・荒川洋平

2011.10.18 TUE


震災後初の公式戦に臨んだ「閖上バスケットボールクラブ」。コートに入るとすぐに円陣を組み、黙祷を捧げた。写真中央奥、黒いロングタイツをはいているのが荒川さん
仙台市内のweb制作会社に勤める荒川洋平さん(29)は仕事場で被災した直後、岩手に出張していた父親の無事を確認した。そして、行方の分からない母と弟を探すため、翌日の夕方から実家のある名取市の避難所へ。その日は見つからず、翌朝あらためて同市閖上(ゆりあげ)の自宅へ向かい、そこで凄惨な光景を目にする。

「車を降りて歩いて我が家へ向かう。5分と経たずに涙があふれてきた。変わり果てた街の姿を目の当たりにし自然とあふれてくるのだ。車、木片、船、ありとあらゆるものがそこには散乱していた。足を進めるたびに絶望感に包まれた。そこにはとてもじゃないがなんの希望ももてない」(原文ママ)

これは3月15日、震災から4日後に荒川さんが初めてブログに記した閖上の様子だ。この日から、荒川さんは自らの体験を毎日ブログに記録していく。被災地の状況、遺体安置所の様子、盗難の被害、家族との思い出。そして、弟の遺体の確認、父や兄との衝突…。つらく悲しい被災後の出来事を包み隠さず記している。

荒川さんはこれまでブログを書いていたわけではない。たまたま震災の前日、仕事の勉強を兼ねてブログのアカウントを取っていたのだ。

「震災後、僕が閖上出身だと知っている友人たちから、『大丈夫か?』『今どうなっている?』と、連絡をたくさんもらっていたんです。それを一つひとつ返していくのも大変だし、冷静に話せるとも思えなくて、ブログに自分の思いを書くことにしました」

閖上の現状と震災後の日常、リアルな心情。荒川さんの人柄を感じさせる率直で穏やかな言葉がブログにつづられていく。個人的な連絡手段だった彼のブログは、「Yahoo!ニュース」のトピックスに取り上げられたことで爆発的にアクセスが増加。気づけば全国から注目を集めるものになっていた。

「こうなるとはまったく予想していなかったのですが、現地の状況をより多くの人に知ってもらえることになって、少しは地元にも貢献できているのかなと思います。読んでくれる人がいるというのが毎日更新するモチベーションになりましたし、伝えていかなきゃいけないという使命感も強くなりました」

ブログには、バスケットボールの話もたびたび登場する。荒川さんは小学生でバスケを始め、現在も閖上バスケットボールクラブ(YBC)に所属。国体予選やクラブチームの大会などで好成績を収める強豪チームだが、メンバーの6人が被災。一時は集まって練習する場も失った。

しかし震災後、「みんなで思いっきり楽しめるような大会をつくろう」と考え、「SMILEバスケ」大会を企画・開催。県内だけでなく、東京、青森、山形、福島からもバスケチームが参加して成功を収めた。現在は公式戦にも復帰している。

「また仲間たちと一緒にバスケをプレーできるようになり、こういう小さなコミュニティが僕たちの心の支えになっていたんだなと、あらためて気づきました」

気持ちが高ぶるなかで毎日書き続けてきたブログは、弟といまだ見つからない母の葬儀の日を境に一区切りを付けた。

「今後は、以前のように読んでくれる人の心に訴えかけるような内容にはならないかもしれませんが、復興の様子などを中心に情報を発信し続けていきます」と荒川さん。次第に薄れてしまう被災地への関心をつなぎ止めるために、そして、離ればなれになって生活を続けている閖上の人たちのために。

「僕らは年齢的に今が働き盛りだし、生活のためにもっと稼がなくちゃいけない。家族がいればなおさら、収入につながらないことばかりやっているわけにはいかないでしょう。だけど、こんな状況だからこそ、みんなが楽しめることを考えたり、被災地から復興の様子を発信することも忘れてはいけないと思う。僕たちはもう一度、この町を作っていかなければいけません。そのために自分ができることは何か。仕事をどう復興に結びつけていけばいいのか。これからの大きな課題ですね」

(菊地正宏/仙台経済新聞)

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