東日本大震災、被災地のR25世代/11回

「楽しみがないなら、自分たちで作ろう」気仙沼・小山裕隆

2011.10.25 TUE


8月4日に場所を移して再オープンした「コヤマ菓子店」の小山さん。取材の間も、近隣住民がたびたびケーキを買いに訪れていた。写真奥は小山さんの父
明治時代に創業し、気仙沼の魚市場前に120年続く「コヤマ菓子店」の5代目・小山裕隆さん(33)。3月11日は店で被災し、近くの新聞社ビルに避難。遠くから火の手が迫ってきていたが、周囲は水に浸かり、逃げ出せる状況ではなかった。そんななか、小山さんは冷静に周りの人に指示を出し、ビルに孤立していた約70人を励まし続けた。

「生き残るために必死だったし、近所のお年寄りなど知っている人たちばかりだったので、絶対死なせないぞって。周りの家を燃やしながらマグマのような炎が迫ってくるのを見た時には、さすがに駄目かもしれないという恐怖もありましたけどね」

深夜になって水が引き、炎が収まってきた頃合いを見て脱出。小山さんが最後のひとりとなり、全員が翌朝5時に避難を終えた。

「そういう経験をしたわけですから、もう怖いものはない。どんなことをしてでも気仙沼を復興させてやろうと思ったんです。ただ、うちだけが店を再開してもしょうがない。気仙沼の復興とわが家の復興は両輪なんです」

店と自宅は津波で流され、しばらくは知人宅での避難生活を余儀なくされた。それでも準備だけは進めておこうと考え、復興の旗印となる新商品「絆カステラ」を構想。市内の同業者の工場を借りて5月末に完成させ、インターネットで販売を開始。すぐに数百件ものオーダーが入ったという。

8月4日には、以前の店舗から西南約2kmの場所に物件を借り、「コヤマ菓子店」は再オープンを果たした。できれば再び魚市場前に店を構え、観光客と触れ合えるような場所にしたい。さらに、結婚式場や福祉施設も作りたい。未来への構想はどんどん膨らむ。

「人を楽しませるのがとにかく大好きなんです。震災後に初めて前の店に行った時、親父は迷わず長年の経験が詰まったレシピを持ってきました。だけど、僕が持ってきたのは、イベントや宴会でよく着ていたフーテンの寅さんの衣装セット。僕にとってはこれが一番大事だったんですね。それくらい人を楽しませることが好きだし、それを商売で実現したい」

小山さんが中心となり、2006年に発足したまちづくりの集まりにも「楽」の文字が入っている。

「この町は娯楽施設が少ないけど、『楽しみがないなら、自分たちで作ろうよ』という思いでやっています。気仙沼を楽しむ会、あるいは楽しくする会ということで、『気楽会』」

本業である菓子店や気楽会の活動のほかにも、復興支援Tシャツの製作・販売や被災した子どもたちのための「青空教室 ドリームティーチャープロジェクト」を実施。さらには市の震災復興市民委員会への参加など慌ただしい毎日を送る。なぜ、それほどまでにすぐ行動を起こすのか。

「やりたいな、と思うからやるんですよ。現状に文句を言って、誰かのせいにしていても始まらない。復興のプレイヤーは誰でもない、僕たちなんですから。いまできることをいま行動しておけば、それがすべて復興につながっていく。みんなでやっていけば、町がどんどん活気づくじゃないですか」

小山さんの活動はたびたびメディアにも取り上げられ、糸井重里さんが現地まで応援に駆けつけてくれたこともある。

「単なるラッキーです。ただひとつ言えるとしたら、頑張っていれば応援してくれる人が現れるということ。強い意志で情熱を持って継続的に行動していたら、いつの間にか力のある人が隣にいて、親身になってくれている。ずっと憧れていた人が、ふいにケーキを買いに来てくれることもありました。驚きましたけど、人生って案外そんなものなのかなって」

(菊地正宏/仙台経済新聞)

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