乙武洋匡の「自問多答」

[対談]乙武洋匡×荻上チキ(2)

2013.04.12 FRI

乙武洋匡の「自問多答」


「いろいろ考えすぎず、まずは自分が興味のあること、自分の得意分野で考えてみてはどうでしょう?」(乙武)

荻上チキ「ヒーローじゃなくても世直しはできる」



乙武: いま社会問題に取り組んでいる方々って、何かその活動に取り組むようになったきっかけがあったのではないかと思うんです。荻上さんの場合、社会問題に興味を持ったきっかけって何ですか?

荻上: これは、いつも答えに困っちゃうんですよね…。たとえば今、いじめをテーマとしたウェブサイトを作り、その拡充に取り組んでいます。その理由を聞かれた際、僕自身が小学生から中学2年生くらいまでいじめられ続けてきたという経験を語ると、皆さんすんなり納得してくれるんです。でも実際には、僕のなかの動機の所在って、決してそれだけではありません。いじめ問題をまったく考えていなかった期間もあるし、いじめられた体験は共感ポイントのひとつに過ぎないわけですし、いじめられた人がみんな同じことをするわけでもないし。

乙武: なるほど。振り返ってみれば、行動を後押しする材料にはなっているけれど、唯一絶対のきっかけというものでもないということですね。

荻上: そうですね。大人になってからたまたまそのテーマに関心を持ち、たまたま手を動かせる場所に立っていた。そういう「たまたま」の積み重ねなんです。

乙武: じつはまさしく、そこが語ってほしいポイントなんです。この対談を読んでくれている若い人たちに、「社会問題に取り組んでいる人たちは、もともと特別な理由や資質があった人なんだな」とは思ってほしくなくて、普通に生活してきたなかで様々な疑問や好奇心が積み重なり、今の立ち位置に至ったんだと知ってほしい。もっといえば、社会問題と対峙するのに、何も特別な経歴や資質は必要ないんだ、と。

荻上: そうなんですよね。それと同時に、何の当事者でもない人なんてじつはいないはずで、ただ気づいていないだけの人も多いはず。そうした引っ掛かりどころがまだつかめていない状態で、漠然と世の中のことを考えましょうと語りかけたところで、ピンと来ないのは当たり前。そこでまず、「自分は何の当事者なのか」「隣に誰がいるのか」をもう少し見えやすくすることが、メディアの役割のひとつだと思うんです。僕も「たまたま」、友人に障害者がいる。僕にとってはその友人自体がもうメディアなんですよね。そうした人物が少しでも暮らしやすい社会をつくるためにはどうすればいいか、“参照点”を見つけながら想像してほしいな、という。

乙武: そのためにも、荻上さんが日頃からおっしゃっている、「シングルイシューを掘り下げる」という視点が大切なんだと思う。たいていの社会問題って、そのジャンルひとつのなかで解決するものではなく、経済や政治など様々な要素が複雑に絡み合っていますよね? だから、ひとつの問題を解決しようとして勉強すると、じつはあっちにもこっちにもバグがあることを知り、かえってこんがらがってしまいます。だからまずは、目の前の身近なテーマをひとつ掘り下げてほしい。

荻上: ヒーローじゃなくても世直しはできるんですよね。スポーツでたとえるなら、必ずしも選手じゃなくても、マネージャーやマッサージ師であっても貢献できるわけじゃないですか。一見ヒーローに見える人だって、「何をしたいのか」と「何の役割を果たせるのか」という問いかけを常にして、悩みながら活動しているんじゃないでしょうかね。

乙武: 誰もが社会問題のヒーローになろうとしたら、尻込みしてしまいますものね。でも、問題を解決するためには、間違いなくいろんな役割が必要。そういうなかのひとつに関して「自分にもできるかも…」と感じてもらうことがまずは大切ですよね。

(構成:友清 哲)


【今回の対談相手】
荻上チキさん
1981年、兵庫県生まれ。評論家・編集者。「シノドス」編集長。主な著書に『ウェブ炎上――ネット群集の暴走と可能性』『検証 東日本大震災の流言・デマ』『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか――絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想』『彼女たちの売春(ワリキリ)――社会からの斥力、出会い系の引力』ほか

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