乙武洋匡の「自問多答」

[対談]乙武洋匡×熊谷俊人(1)

2014.01.03 FRI

乙武洋匡の「自問多答」


「会社員だった人が、一念発起して市議になり、そして市長になったキャリアは、R25読者にとっても刺激的なものであるはず」(乙武) 撮影=後藤 渉

熊谷俊人「身近な街の風景から、地方行政の存在を知った」



乙武: 熊谷市長とは同じ早稲田大学卒というだけでなく、学部まで同じだったんですよね。政治経済学部。学年は1つ違いだけど、同じ校舎に通っていたなんて、なんだか不思議な気分です。

熊谷: そうなんですよ、乙武先輩にはぜひ一度お会いしたいなと思っていたので、こういう機会をいただけてうれしいです。

乙武: 基本的なことからお聞きしますが、そもそもなぜ、市長になろうと思われたんですか? 会社員から市議会議員になり、そして市長になった経歴は、非常に興味深いです。

熊谷: 私はもともと、中学生くらいの頃から政治オタクだったんです。毎日、新聞の政治欄を読みあさり、日曜は早朝から討論番組をハシゴするような子どもでした。ですから政治家になりたいという夢は持っていましたけど、一方で、自分のような一般人がなれるものでもないだろうとも思っていました。ひとつの転機になったのは、阪神淡路大震災でした。

乙武: 阪神淡路大震災の時、熊谷市長は関西に住んでらっしゃったんですよね。その被災体験が、どのような転機に?

熊谷: 私が住んでいた街に大きな被害はなかったのですが、すぐ近くには、焼け野原になってしまった地域もありました。「両者を隔てたものは一体何だろう?」と考えてみると、焼けてしまった地域には、道路幅や区画の問題で消防車が入れなかったりしたことがわかりました。つまり、それまでなにげなく歩いていた街が、じつはいろんな課題を抱えていたことに気付いたんです。

乙武: なるほど。地方行政の一端にふれる、貴重な体験でもあったわけですね。

熊谷: そうなんです。それまでは国政にばかり目が行っていましたが、こういう身近な街づくりを行っているのは、むしろ地方行政なのだな、と。ただ、それでも自分がその世界に行けるとはまだ思っていなくて、大学卒業後は大手通信会社に就職しました。世は、「IT革命」真っただ中の時代です。

乙武: そこから選挙に立候補というのは、一大決心であったかと思います。何が、熊谷市長にそのような決意を促したのでしょうか。

熊谷: 仕事はとても面白かったのですが、1年後に統一地方選挙を控えた28歳の時に、ふと感じたんです。このまま役職がついたりすると、いっそう辞めにくくなる。結婚だってするかもしれない。おそらく、政治家になるなら来年の統一地方選挙が最後のチャンスだろう。そう考えて焦り始めたんです。そんななか、直属の上司が「そんなに政治に関心があるなら…」と、知り合いの議員に会わせてくれました。そこで、千葉市議会議員選挙の候補者を公募していることを知り、応募することにしたんです。

乙武: そして、見事に合格。つまり、その上司の方がいなかったら、現在の市長の姿はなかったかもしれませんね。

熊谷: まさか、本当に部下が辞めて市議になるなんて思っていなかったでしょうから、上司もけっこう悩んでいました(笑)。でも、こうして市長にまでなれたことで、少しは顔向けできたのかな、とも思います。

乙武: その通りですよ。その上司の方も、千葉市に貢献した1人ともいえるわけですから、いまでは喜んでいらっしゃるでしょうね。

(構成:友清 哲)


【今回の対談相手】
熊谷俊人さん
1978年、奈良県生まれ。千葉市長。早稲田大学・政治経済学部卒業後、大手通信会社勤務を経て、2007年の千葉市議選に稲毛区選挙区から出馬し、トップ当選。09年、千葉市長選に立候補し、当選。現在、2期目。

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