乙武洋匡の「自問多答」

[対談]乙武洋匡×藤沢烈(4)

2014.03.28 FRI

乙武洋匡の「自問多答」


「被災地には、友達ともう3年会えてないような子供たちが大勢いる。そんな彼らの交流の場を設けることも、復興支援のひとつです」(藤沢) 撮影=後藤 渉

乙武洋匡「官と民がもっと連携するために必要なことは?」



乙武: 復興とひとくちにいっても、津波による街や産業への被害と、原発事故によってふるさとや人とのつながりを断たれてしまった被害と、大まかに2通りあると思うんです。それぞれ、支援体制もまったく違ってきますよね。

藤沢: そうですね。たとえば我々RCF復興支援チームの場合、津波被害の方は釜石市にひとつ拠点を設け、産業支援などを行っています。一方、原発被害の方は、双葉町から避難された方々への支援を行っていますが、こちらは数千人が分散して避難しているので、情報を整理するだけでも大変な作業です。友達ともう3年も会えていないような子供もいますから、いかに交流の場を設けていくかを考えていかなければなりません。

乙武: なるほど。この3年、「復興支援」というキーワードで語られてきたことの大半は、津波被害に対するものだったように感じます。壊れてしまった道路や建物を直すことが急務なのは当然なんですけど、原発事故による被害者の皆さんに対しては、どのような支援が必要なのかという情報すら知られていないのが気になります。

藤沢: たしかにそれは現状の大きな課題のひとつです。これにかぎらず、日本にはもともと過疎化による影響など、表面化されにくい問題が多々ありました。

乙武: 背景には、問題を一元化できないがゆえの難しさがあるような気がします。避難されている方々が全員一致で「故郷へ帰りたい」なら、まだ方策も立てやすいのでしょうが、現状そうではないわけですよね。

藤沢: そうですね。被災者の意見も様々です。

乙武: 避難区域のなかでも、放射線量が比較的低くて帰ることも可能な地域では、帰りたい人と帰りたくない人に、真っ二つに分かれているようですね。もし、戻りたい人だけが戻った場合、より少人数で自治体を維持していかなければならなくなり、いっそう深刻な過疎化に悩まされることになる。

藤沢: そうなんです。そして、そういった少数の人のために、コストをかけて新たな街づくりをするのはいかがなものか、という声もあります。個人的には、たとえ少数であっても戻りたいと願う人がいるのであれば、新たに街を作り直す努力をするべきだと思いますが、これは非常に難しい問題です。

乙武: ところで、現地で復興に取り組む人々からは時折、「頭の固い行政のおかげで、うまくいくものもうまくいかない」という愚痴も聞こえてきます。藤沢さんの実感としては、いかがですか?

藤沢: 私の場合は予想外に頭の柔らかい人が多いなと、驚くケースの方が多いんです。行政による復興支援というのは、議会を通して民主的な手続きを経た“復興計画”にのっとって行われるもの。公務員はその計画の範疇(はんちゅう)でしか動けない立場なのに、そのルールを知らないがゆえの誤解を受けやすいように思いますね。たとえばこちらがやりたいことを提示した際、「こうすれば我々も支援できるよ」とアドバイスしてくれる方だってちゃんといますから。

乙武: なるほど。官と民が連携することで、さらに効果的な、きめ細やかな支援が可能になると思います。官民それぞれの強みを生かし合いながら、4年目を迎えた復興に取り組んでいかなければなりません。そのうえで、僕たちも一人ひとりに何ができるのか、あらためて考えていきたいですね。

(構成:友清 哲)


【今回の対談相手】
藤沢烈さん
1975年京都府生まれ。RCF復興支援チーム・代表理事。一橋大学卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て独立。NPO・社会事業等に特化したコンサルティング会社を経営。東日本大震災後、RCF復興支援チームを設立し、情報分析や事業創造に取り組む。文部科学省教育復興支援員も兼務。共著に『ニッポンのジレンマ ぼくらの日本改造論』(朝日新聞出版)、『「統治」を創造する 新しい公共/オープンガバメント/リーク社会』(春秋社)。

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