結論はまた来週

高橋秀実「生き残っている私たち」

2015.06.26 FRI


イラスト・小笠原 徹
船旅といえば、思い浮かぶのは映画『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)である。子供の頃にテレビの洋画劇場か何かで観て心に焼きつき、大人になってあらためて鑑賞しても胸を打たれる。私にとっては不動の傑作なのだ。

豪華客船が津波にのまれて転覆する。逆さまになって沈みゆく船の中で人々が船底を目指す、というパニック映画なのだが、脱出劇の中に様々な人間模様が描き込まれ、一種のラブストーリーにもなっている。中でも印象的なのはラストシーンだった。結局6人が船底に辿り着き、救助隊が船底を焼き切って一筋の光が入る。無事助け出されるのだが、その時、彼らは皆、絶望的な表情を浮かべる。ハッピーエンドのはずなのに、むしろ深い悲しみに包まれるのだ。なぜなら彼らは脱出の途中でそれぞれ愛する人を失ったから。助かったというより、愛する人を助けられず、自分だけ助かってしまったという絶望感が描かれていたのである。

子供の頃はよく理解できなかったが、歳を重ねるとこの境地がだんだん身に沁みてくる。大切な人を失い、自分だけが生き残る。そもそも生きているということは生き残っているということではないだろうか。胎内で受精卵として生き残り、その後も様々な災厄をくぐり抜けて生き残っている。ちなみに私の両親は横浜大空襲の生き残りで、私は生き残りの末裔。生きている人たちは生き残った人の子孫であり、生き残りが失った命をもつないでいるのである。

ビジネスや進化論などは生き残ったほうが勝ちとされるが、人生は勝ち負けではない。生き残った者はせめて「生き残り」の自覚を持つべきではないだろうか。

このところ安倍政権は「国の存立がおびやかされる事態」に備えて集団的自衛権の行使を可能にする法律を成立させようとしているが、これも「生き残り」であることを忘れていると私は思う。日本はついこの前まで戦争をしており、東京、横浜などに大量の爆弾を落とされ、さらには広島、長崎に原子爆弾まで投下され、多くの方々が犠牲になった。その後もアメリカ軍は日本に駐留し、軍事的には今もなお占領状態にあり、独立国としては存立していない。集団的自衛権は実質的には権利ではなく、他国を集団として守らされるという義務であり、生き残った私たちとしては「もうこれ以上は勘弁してください」と訴えるべきところなのである。

はっきり言って日本は弱い。弱いなら弱いなりの立ち回りを考えるべきで、世界平和に貢献するなどと無闇に勇ましく振る舞うべきではない、というのが前の戦争から得た教訓である。生き残った者のつとめは「あやまちを繰り返さない」ことだが、状況は常に変わるので、また別のあやまちをおかしてしまう。あやまちを避けるためにあやまちをおかしたり、あやまちを糾すためにあやまちをおかす。それが生き残りの性(さが)なのだろうか。

生き残りといえば、もうひとつ忘れ難い映画がある。香港映画の『インファナル・アフェア』(2002年)。潜入捜査官 vs. 警察に潜り込んだギャングの攻防を描いたサスペンスで、最後にトニー・レオン演じる潜入捜査官が警察に潜入していたギャング(アンディ・ラウ)に殺される。ギャングが生き残り、こんなテロップが流れる。

「仏佗曰く、無間地獄に死はない。長寿は無間地獄の最大の苦しみなり」

地獄の中でも最も過酷なのが無間地獄。隙間の無い苦しみに苛まれる地獄で、そこでは長生きすることが最大の苦しみだという。生き残るとは苦しみが続くということ。仏教でいう「一切皆苦」。そう考えると何やら憂鬱になってくるが、もともと苦だとあきらめれば気は楽。そして苦だからこそ私たちはがんばれるのである。


文・高橋秀実(たかはし・ひでみね)
1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」 開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。他に『TOKYO外国人裁判』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『男は邪魔!「性差」をめぐる探究』など。

※本記事は、『R25』2015/6/25号(特集「世界&日本を巡る海旅の魅力」)より転載しました。

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