朕は国家なり!?

ロシアのプーチン大統領はなぜ強大な権力を維持できた!?

2008.01.24 THU



写真提供/ロイター/AFLO
1999年に故エリツィン前大統領から権力の座を引き継いだウラジミール・プーチン大統領。今年3月の大統領選には出馬せず、ドミトリー・メドヴェージェフ第一副首相を後継者に指名し、自身は首相の席に移ることが確実視されている(憲法で大統領の三選が禁じられているため)。しかし、メドヴェージェフ氏はプーチン大統領の腹心中の腹心とされており、大統領辞任後も「プーチン新首相」が院政を敷くのは疑いようがない。それにしてもなぜプーチン大統領は、8年間権力を保ち続けられたのだろうか?

「自身と同じサンクトペテルブルクやKGB出身者を“プーチン号”に乗せ、まとめあげたことが、成功の一番の要因ですね。また、90年代後半、混乱の極みだったロシアには、強力な指導力を持つ独裁者を待望する声が渦巻いていました。プーチンは、その空気に上手く乗れたんです。だからこそ、権力の座に留まり続けられたのです」(ユーラシア21研究所の吹浦忠正理事長)

よく言われているように、プーチン大統領は、軍事大国から資源大国にロシアを転換させることで“強いロシア”を蘇らせた。エリツィン時代に栄華を極めた「オリガルヒ」と呼ばれる新興財閥から石油やガス企業を次々と買い叩いて国有化し、側近を新たなトップに送り込んだのだ。メドヴェージェフ氏も副大統領就任前は、国営ガス企業ガスプロムの会長職を務めていた。だがその一方で、政敵や反体制的なジャーナリストの追放・暗殺疑惑も西側メディアを中心に報道されている。

「プーチン号から落ちた人間は、みんなからひどい仕打ちを受けます。オリガルヒの代表でエリツィン時代に権勢を誇ったベレゾフスキーなども、イギリスに亡命を余儀なくされました」(吹浦氏)

大統領の権力強化はロシアという国家の復権と歩調をあわせて進められた。「朕は国家なり」という言葉は、プーチン大統領にこそふさわしいのかもしれない。

関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト