“超高層”ブームから40年

元祖「超高層ビル」である霞が関ビル成功の秘密とは?

2009.03.12 THU



写真提供/時事通信社
21世紀を迎えた現在では、すっかり当たり前の存在となった超高層ビル。新丸ビルや六本木ヒルズなど、最近の建物に関しては、すでに超高層という感覚でとらえる人のほうが少ないような気がする。しかし、日本の超高層の歴史は、それほど古いものではない。1968年、千代田区に建った『霞が関ビル』(地上147m/36階)が、日本初の本格的超高層ビルとされる。

「地震の揺れを柳に風と受け流す〈柔構造〉の採用をはじめ、超高層建築に適した〈H型鋼〉や〈デッキプレート〉など、現在の超高層建築の基礎技術の大半が、霞が関ビルで初めて登場しています」(当時を知る、元:鹿島/現:小堀鐸二研究所・金山弘雄専務)

だが面白いことに、霞が関ビルから生まれたものは、建築技術だけではないという。

「当時のスタッフは、都市計画の観点から、これからの日本には超高層建築が不可欠なものである、と考えていました。そこで建築だけでなく、あらゆる方法で超高層普及のための工夫をしたのです」(金山氏)

たとえば。今では常識となった、上層階ほど賃料が高くなる、というシステムを採用したのも霞が関ビルが初。これにより、超高層ビルならではの収益性、というメリットをアピール。後の超高層ビル計画を後押しする一因となった。さらにすごいのが、1969年に全国公開された映画『超高層のあけぼの』。豪華俳優陣を起用し、霞が関ビル完成までを描いたこの作品は、同年の興行成績2位を記録する大ヒットに。なんと、この映画の製作元が、霞が関ビルを建設した鹿島建設が設立した映画会社なのである。

「この映画によって、超高層という言葉が流行語となり、日本中に超高層ビルの意義が知れ渡りました」(金山氏)

以来40年。霞が関ビルは、超高層ビル建設という巨大プロジェクトを様々な手法で成功させた好例として、研究対象にもなっているという。今はすっかり地味な存在の霞が関ビルだが、経緯を知ればその姿も一味違ったものに見えるだろう。


関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト