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ツイッターに信長、光秀ら降臨「本能寺の変」再現

2011.06.07 TUE

噂のネット事件簿


天正10年(1582年)6月2日は、織田信長の家臣・明智光秀が謀反を起こした「本能寺の変」が起きた日だが、その429年後となる2011年6月2日、なぜかツイッター上で本能寺の変が再現された。

ツイッターに登場したのは、織田信長の別名「第六天魔王」(@oda1582nobunaga)とその家臣「明智光秀」(@akechi1582)、そして信長の後継者「織田勘九郎信忠」(@oda1557nobutada)と信長が寵愛したといわれている「森乱丸(成利)」(@mori_oran1582)の4人だ(編集註:「」内がユーザー名で()内がツイッターアカウント)。当然だが、4人とも2011年には存命しておらず、いわば“成りきりユーザー”ということになる。

この4人は、6月2日以前からつぶやいていたのだが、森乱丸が「風邪で弱気になっておられるのか、殿が可愛い(笑)。看病看病!」とつぶやいたり、信長がフォロワーの「今どこにいらっしゃるんですか?!?!」という質問に「本能寺なうだよー」と答えたりなど、かなりくだけたやり取りが展開されていた。

そんななか、6月1日の午前11時20分ごろ、光秀が「いざ出陣。京へ向かう」とつぶやいたあたりから、徐々に事件の雰囲気が高まり始める。そして6月2日の午前1時12分ごろ、床に伏せていた信長が「……なんか、うるさいんだけど……」と周囲に異変を感じると、本能寺の外を見た乱丸が「あの…殿、凄い軍勢が…」と本能寺が包囲されたことに気づく。そうこうしている間に、光秀が「敵は本能寺にあり」と、あの決め台詞をつぶやき、“ツイッター版・本能寺の変”が勃発することとなったのだ。

その後、これまでと同様にくだけた雰囲気のまま4人のやりとりは展開し、信長と信忠が自害したであろう時点で、一旦“ツイッター版・本能寺の変”は終幕となった。しかしながら、6月5日には信長は「【速報】生きてた」とつぶやき、「帰ってきた第六天魔王」というユーザー名で復活している。現在でも“ツイッター版・本能寺の変”に登場した4人は、史実とは関係なく、“成りきりユーザー”としてつぶやき続けている。

このツイッター版本能寺の変は、ツイッターのまとめサイトTogetterで「ドキュメント本能寺の変」として紹介されているが、「これは力作」「クオリティ高っw」といった意見が多く、どうやら多くのネットユーザーが存分に楽しんだようだ。

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