ルーツは花柳界にあった!

関西風お好み焼き、実は東京発祥?

2014.10.08 WED


「風流お好み焼き 染太郎」の「豚玉」。キャベツ、卵、豚肉、揚げ玉が入った、昔ながらの重めの生地が特徴だ。『R25』2013年10月3日号(No.337)の特集記事では、このほかにも合計6種類の元祖グルメの店と、6種類の手みやげを紹介。バックナンバーは、下記のURLをチェック! http://r25.yahoo.co.jp/backnumber/list/ 撮影/大久保 聡
鉄板の上でジュウジュウ焼ける音。ソースのちょっと焦げた匂い。粉モノ料理の代表格であるお好み焼きの本場といえば、多くの人が大阪を挙げるだろう。だが、ルーツを探ってみると、関西風お好み焼き発祥の地は、実は大阪ではないらしいのだ。

お好み焼きの原型となったのは「どんどん焼き」と呼ばれる子どものおやつだ。もとは「もんじゃ焼き」から発展したもので、小麦粉を水で溶いた生地にイカやエビ、紅ショウガなどをのせて焼き、最後にソースを塗ったもの。関西では「一銭洋食」と呼ばれて広まった。

「どんどん焼き」が「お好み焼き」に変化したのは、1935(昭和10)年前後、東京の花柳界でのこと。旦那衆や芸者、踊り子がカップルで頬を寄せ合いながら、生地の上に好みの具を落としてつつく。こうして遊びながら食べる風流な料理は「お好み焼き」と呼ばれ、屋台で食べる子どものおやつから、座敷で食べる大人の一品料理へと変貌を遂げたのだ。

東京・浅草にある「風流お好み焼き 染太郎」は、そんなお好み焼き黎明期の面影を残す店だ。1937(昭和12)年に創業し、現存する最古のお好み焼き屋のひとつだといわれている。店で原稿を書いていたという坂口安吾をはじめ、多くの芸人や文人が通った。店内に所狭しと飾られた色紙から、当時のにぎわいが偲ばれる。

客が自分で焼くようになって、料理にも変化が生まれた。客が自分で焼くなら、具を生地の上に重ね焼きするよりも、あらかじめ生地と具とが混ざっていた方が焼きやすい。店にとっても、一度に1つの器で提供できた方が好都合だ。おまけに同じ頃、具にキャベツが加わって嵩(かさ)が増えたこともあり、焼くのが簡単な「混ぜ焼き」式が主流となっていく。そしてこれが関西にも伝わって定着し、今に至る。ということはつまり、「混ぜ焼き」式のお好み焼きのルーツは、もとをたどれば東京の花柳界だったのだ!

(澁川祐子)

※この記事は2013年10月に取材・掲載した記事です

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