名前について調べてみたら…/第2回

日本の難読ネームは伝統だった!?

2015.03.16 MON


「誰でも読めるがフツー過ぎない」が、本居宣長の考える名前のルールだったとか。そこで彼は、自分の三人の娘に、飛騨、美濃、能登という当時の国名を、名前につけていたという ※写真はイメージです hashisatochan/PIXTA
最近、これまでの感覚からすると変っていると思われる名前に、さらに独特の感性で漢字をあてるいわゆる“キラキラネーム”が話題になっています。その難読っぷりに頭を悩ます教師もいるとか。でも意外なことに、こうしたカルチャーは最近になって始まったものではないかもしれません…。

「江戸時代にも、難解な読み方の人は多かったようですね。当時の国文学者、本居宣長も、彼の著書『玉勝間 十四の巻』の中で、最近は読みにくい名前が多くて困ると、嘆いています。彼にはたくさんの門下生がいて、特に読みにくい生徒の名前には、読み仮名を振っていました」

そう語ってくれたのは、本居宣長記念館の吉田悦之さん。日本を代表する国文学者を嘆かせたほどの名前ってどんなものだったのでしょうか?

「たとえば“稽古”という名前。江戸時代でも現代と同じく“ケイコ”と読みました。ところが、宣長の記録には、“トホフル”と読み仮名が振ってあるのです。こんな名前自体も珍しいのですが、読み方もかなり珍しいですよね。他には“馴公”で“ナレキ”と読ませたり、“政要”で“マサトシ”と読ませたりする名前もあったようです」

おぉ、稽古が名前で、しかも読み方がトホフルだなんて、まるで“光宙”と書いて“ピカチュウ”と読ませる現代の感覚に通じるものがありますね。そこでほかにどんな難読ネームがあったのか、今度は『人名よみかた辞典』を出版している日外アソシエーツ編集局にも聞いてみました。


「平安時代に、藤原明子という女性がいました。現代の感覚なら一般の方は、“明子”は“アキコ”と読むでしょう。研究者のあいだでは、便宜上“メイシ”と呼んでいました。ところがこの女性、“アキラケイコ”と読むことが分かったのです。読み方を証明する文献が見つかって、今では“アキラケイコ”と人名辞典にも記載されています」

これなども現代の感覚からすると、難読と思える名前ですよね。もっとも、この時代の人にとってこれが本当に“難読”であったかは、なんとも言えないところですが。それにしても、日本には古の時代から、難読ネームが存在したんですね。そう思えば現代の難読ネームにちょっと覚える違和感も、なんだか少し薄らぐ気がしてきませんか?

(川上光寿)

※この記事は2012年3月に取材・掲載した記事です

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