誰もが知る有名な“あのお墓”も…

宮内庁が認めた「見学」で日本古代史は動く!?

2007.02.08 THU


写真は教科書でもおなじみ、大阪府堺市にある「仁徳天皇陵」。古墳時代(4~6世紀ごろ)を代表する前方後円墳だ。こうした天皇家が眠る古墳を「陵墓」といい、その陵墓への “見学”を宮内庁が認めたというニュースが先月報じられた…のだが、なぜ“見学”がニュースになるのか?

日本では4~5世紀ごろに近畿を中心としたヤマト王権(大和朝廷・大和政権とも)が力をつけ、大阪や奈良などに巨大古墳を建造している。日本という国のルーツといえるヤマト王権だが、どのように誕生し国をまとめていったのか、じつは謎だらけなのだ。というのも、266年に邪馬台国が中国に使者を送って以降、およそ150年のあいだ日・中の政治的関係が途絶え、中国の歴史書から日本は姿を消してしまう。これは「空白の4世紀」「空白の150年」といわれる、日本史上にぽっかりとあいた大きな穴で、邪馬台国がそのままヤマト王権になったのか、あるいは別の勢力が邪馬台国を飲み込んだのか、といった議論がいまだにまとまらないことの一因でもある。

また、当時の日本にはまだ歴史書がなかったため、150年の穴を埋めるには各地に残る古墳の研究がたいへん重要だ。それが時の天皇家が眠る陵墓となればなおさらだが、陵墓への立ち入りには宮内庁による制限があり、古代史の研究者や研究団体からは不満の声があがっていた――そこが今回のニュースのポイントだ。

「かねて研究団体から要望のあった陵墓をふくめ、管理上問題ないかぎりすべての陵墓への見学を認め、明文化しました。もちろん研究目的が原則で一般の方の見学はできません」(宮内庁書陵部)

“見学”の言葉が示すように人数や日程、立ち入りできる範囲などに限度があるため本格的な調査へと直結するものではないが、まずは大事な一歩。歴史の穴を埋められるか、はたして日本古代史は動くのか…今後も気に留めておきたい “見学”なのだ。


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