次の1000円札の顔はこの人かも!?

日本経済の父渋沢栄一ってどんな人?

2007.03.15 THU

「銀行という訳語を考案した」「商工会議所を作った」等々、最近本誌でも何度か見かける渋沢栄一の名。幕末~明治にかけて活躍した人らしいけど、歴史の教科書で見た記憶がなくて…(苦笑)。しかし、実は「日本経済の父」と呼ばれるほどの重要人物なのだ。

渋沢氏の最大の功績は、大蔵省(当時)在籍時に日本経済システムの基盤を作ったこと。時は明治4年、江戸時代に藩単位だった通貨制度を国単位にするため、国内初の銀行である第一国立銀行を創設。さらに、当時日本の輸出の要である養蚕業に目をつけ、国内初の器械製糸工場、富岡製糸場を設立し、産業の機械化と同時に輸出力を強め、日本経済の国際化を推し進めた。

「渋沢の活動の根底には、『人々の生活の基盤にあるのは経済であり、富国強兵のためには経済を立て直し、強化せねばならない』という考え方があります」(渋沢史料館館長・井上 潤さん)

そもそも渋沢氏は、現在の埼玉県深谷市の農家出身。青年時代には尊皇攘夷に目覚め、高崎城乗っ取り計画に参加した過激なエピソードを持つ。だが、京都で一橋慶喜(のちの徳川15代将軍)に仕え、慶喜の実弟に随行してヨーロッパを訪問。万博のため整備されたパリの文化施設や公共施設、欧州諸国の企業を見学し、見聞を広めた。

「欧州訪問の際には、未知の食べ物を積極的に口にし、髷を切って洋装に身を包むなど、知らない世界へ果敢に飛び込んだそうです。この旺盛な好奇心が、渋沢の行動力の源だったのではないでしょうか」(同)

ちなみに、渋沢氏は第一国立銀行の創設に尽力したにもかかわらず、63年は伊藤博文に、04年は野口英世に競り負け、1000円札の顔になり損ねている。これもまた、知名度の低さが一因になっている気も…。

次々と企業不祥事が発覚し、いまだ楽観できない日本経済の先行き。こんな時代に生きるビジネスマンとして、渋沢栄一氏の残した功績やその志をしっかりと胸に刻んでみては?


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