あの銅像が姿を消しつつあるらしい…

ところで、二宮金次郎ってどんな人だったの?

2007.09.06 THU

二宮金次郎。小学校の銅像(通称、ニノキン像)でおなじみですよね。ところが80年代の調査では、東京23区内でニノキン像がある小学校は約14%。現在となると、たとえば杉並区の小学校にはなんと「44校中、1校だけ」(同区教育委員会)という状況…。

そもそも、ニノキン像ブームの始まりは昭和初期。彼の勤勉・倹約人生が国定教科書に取り上げられたことに端を発する。これを機に、地元の名士や卒業生らがこぞって小学校に寄贈。一方で、国威発揚に利用されたという面もあるようだ。

金次郎(本名は尊徳)は江戸後期、相模国足柄上郡(現在の小田原市)の地主の家に生まれる。10代半ばで両親が死去すると、勤勉と倹約で傾きかけていた実家を再建。その才を買われて各地の農村復興政策を指導し、めざましい活躍を見せた。

「彼の偉大さは思想家であり農政家でもあるところ。『報徳仕法』という独自の方法で600村余りを復興に導きました」(小田原市尊徳記念館解説員・川瀬明徳氏)

今でいう教祖兼カリスマ経営コンサルタントってところか。ところで、ニノキン像には様々なタイプがある。これらの写真を全国から集めて検証しているのが「山ちゃんガハハ」(www.geocities.jp/journey4web/)というウェブサイト。

「大きく分けると“右足が前”型と“左足が前”型の2種類です。前者は着物、後者はモンペを着用。それ以外にも座っているタイプや草鞋を差し出している像などがありますね」(同サイト管理人)

いずれにせよ、戦前に作られたほとんどのニノキン像は、第二次大戦の「金属類回収令」で鉄砲の弾や大砲に化ける。戦後に作られたものも、「薪を背負って読書しながら歩いたという事実が確認されていない」「児童が真似をすると危険」などの妙な理由で少しずつ撤去されていった。

今となっては希少なニノキン像。もし見かけたら、彼の偉業に思いを馳せつつ子細に観察してみてほしい。


関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト