歴史的“雪解け”と騒がれたけど…

真言宗vs天台宗1200年の確執はデマだった?

2009.07.16 THU



写真提供/産経新聞/ゲッティイメージズ
ちょっと前に、天台宗と真言宗の確執が1200年ぶりに雪解けという気になるニュースが報じられていた。きっかけは、天台宗のトップである座主が、高野山で行われた真言宗の法要に公式に参列したこと。天台座主が高野山を公式に訪れたのは両宗が開宗した平安時代以来初めてとのことで、1200年も座主の訪問がなかったのは、双方の開祖である最澄と空海がある時期から絶縁状態にあったためだという。でも、天台宗と真言宗といえば歴史の教科書でもおなじみの超メジャーな宗派。両宗に、どんな確執があったというのだろう。真言宗を研究している大正大学・仏教学部の苫米地誠一准教授にたずねてみた。

「日本仏教の研究者の間では、真言宗と天台宗との間に1200年も続く確執があるとは考えられていません。貞和5年に最澄さんの一番弟子が建てた建物の落慶式に空海さんの一番弟子が出席したなど、両宗が交流している記録は数多くありますよ」

両宗の確執説は史実ではない!? だとすると、天台座主の高野山への公式訪問が初めてだというのもガセネタ!?

「それは事実のようですが、そもそも天台座主とは宗派の象徴のような存在で比叡山にいることが多く、江戸時代までは京都を出ること自体、あまりなかったんです」とは、天台宗を研究している大正大学・仏教学部の塩入法道教授。

「真言宗側から言うと、江戸時代まで宗の中心の寺は名目上は東寺で、実質的に力を持っていたのは仁和寺と醍醐寺です。高野山は聖地として仰がれているだけで、何か特別な目的でわざわざ参詣に行くことはあっても、それ以外に普段外から人が入る寺ではなかったんです」(苫米地准教授)

確かに最澄と空海の間には主義主張による論争はあったが、個人的な確執があったという記録は見つかっていないという。

どうやら最澄と空海の確執説は、2大カリスマ高僧の違いを特徴づけるためにいつしか生まれた伝説のようです。


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