あの経済偉人たちのR25世代

第8回 20代で社長になった任天堂の3代目

2010.07.23 FRI

あの経済偉人たちのR25世代


山内溥(1927~)。多くの経済偉人と異なり、成功者として一線を退いたあとは、経済団体などの財界活動などに一切参加していない。それも、企業経営の目的をあくまで「雇用創出」と「納税」に見いだしていたからだとされている イラスト:うぬまいちろう

100人のストライキが起きた社長就任時



ファミコンの開発以降、国民的知名度を持つ企業に成長した任天堂。ゲーム文化に与えた影響は絶大で、同社の製品が今や世界的な定番となっているのは周知の通り。今回スポットを当てるのは、その任天堂の3代目社長、山内溥氏だ。

任天堂の創業は古く、1889年。工芸職人であった初代社長・房治郎が、花札の製造を目的に立ち上げた「任天堂骨牌」が始まり。山内氏はその房治郎の曾孫にあたり、2代目である祖父・積良の跡を継いで社長に就任したのが1949年のことだ。

当時の任天堂は今日のようなテレビゲームメーカーではなく、京都で地道に花札やカードゲームの製造販売を行う、どちらかといえば地味な企業であったが、花札の売れ行きは良好だったという。

山内氏が社長の座に就いたのは、弱冠22歳の時だ。それまで渋谷区・松濤の豪邸に暮らしながら、ビリヤードに熱中する贅沢な大学生活を送っていた山内氏だったが、先代社長である祖父が病に倒れたのを受け、大学を中退して家業を継ぐことに。

しかし、伝統ある企業だけに頑固な職人が集まっていたのか、突如現れた若き新米社長は決して歓迎されてはいなかった。就任当初には、何の業務経験も持たない新社長の手腕を疑問視したスタッフ100人がストライキを起こすなど、全社的に不穏な状況に陥ってしまう。 しかし山内氏は、そんな逆風ムードを蹴散らすかのように、新しいアイデアを次々に実現し、業績をぐんぐん伸ばしていく。たとえば、それまで紙製だったトランプをプラスチック製にしたり、裏面にキャラクターの絵柄を用いたりするなどの手法は当時斬新で、その後のトランプ文化の発展に大きく寄与している。

そうしたなか、虎視眈々と「脱・花札」路線を目論んでいた山内氏は、オイルショック時の不安定な時期を乗り越えると、テレビゲーム進出にかじを切る。携帯型ゲーム機『ゲーム&ウオッチ』のヒットに続いて開発した『ファミリーコンピュータ』が、革命的なヒットとなったのはご存じの通りだ。

一部、独裁的な手腕を批判的に見るメディアもあったが、02年に社長業引退を発表した際には任天堂の株価が急下落するなど、まさしくカリスマ的な経営者であったといえる。

ファミコンは時代とニーズに合わせて進化を続け、やがてニンテンドーDSに姿を変えた。一時期、任天堂の時価総額が10兆円を超えたのは、山内氏が残した大きな勲章のひとつだ。 R25時代を知りたい経済界の偉人のリクエスト。当企画にコメントなどありましたら右下の投稿ボタンからおねがいします

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