あの経済偉人たちのR25世代

第9回 ブリヂストンがタイヤ事業を始める前

2010.07.30 FRI

あの経済偉人たちのR25世代


石橋正二郎(1989~1976)。社名の「ブリヂストン」が、創業者の姓である『石(stone)橋(bridge)』を英語にしたものであることは有名なエピソードだ イラスト/うぬまいちろう

アイデアにあふれた20代の企業家



著名なタイヤメーカーであるブリヂストン。しかし、その前身が着物や襦袢(じゅばん)を取り扱う仕立屋であったことは、あまり知られていない。

家業であった仕立屋を一代で巨大なタイヤメーカーに育てたのは、石橋正二郎だ。1889年、福岡県久留米市で石橋家の次男として生を受けた正二郎は、やや病弱ながらも成績優秀な少年であったという。

久留米商業学校卒業後、二代目である兄と一緒に家業を継いだ正二郎だが、兄はすぐに徴兵されたため、正二郎は実質1人で経営を切り盛りすることとなる。ここで、思いがけない才能が開花するのである。

それまでは着物や襦袢、足袋(たび)などを受注生産していたが、正二郎はこれをまず、最も利幅のある足袋の生産に絞った。また、当時の手工業者養成制度として、7~8人の徒弟を毎日無給で働かせるのはごく一般的な体制であったが、給料を支払い、労働時間を短縮するという近代的な労務改革を実現。こうした徒弟制度からの脱却が従業員の士気を高め、商売の成長を支えたであろうことは想像に難くない。

さらに足袋の価格設定についても、正二郎には先見の明があった。サイズや品種によって価格が変わるわかりにくさを解消しようと、すべてを均一価格で販売すると、これがまた消費者にウケた。19歳の時には、早くも大工場を建てるほどにまで事業は伸びていたのである。 当時まだ九州に1台もなかった自動車を宣伝に活用する手法も、大いに話題を集めた。九州全域を走る宣伝カーの周囲には常に人だかりが生まれ、もともと60万足ほどであった足袋の年産が、25歳の時には200万足を超えたという。

やがて第一次大戦が終わると、戦時需要の反動で不況が訪れる。正二郎は経営を維持するためにさらにアイデアをしぼり、足袋にゴム底を付けた地下足袋を開発する。これが土木作業員や炭鉱夫の間で「動きやすい!」と熱烈に支持され、満州にまで市場を広げるメガヒット商品となった。

ところが、売れ過ぎたためにゴムの調達が追いつかず、正二郎はゴムの自家生産を決意する。その、巨費を投じたゴムの生産ラインを活用するため、やがて同社がタイヤの生産販売に乗り出すのは自然な流れだったのかもしれない。現・ブリヂストンが設立されたのは昭和6年のことだ。

その後、日本経済の急成長に比例してタイヤ需要は伸び続け、ブリヂストンは巨大企業に成長する。すべては秀逸なアイデアに基づく経営改革の繰り返しがもたらした成功なのだ。 R25時代を知りたい経済界の偉人のリクエスト。当企画にコメントなどありましたら右下の投稿ボタンからおねがいします

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