知られてなくともスゴイ企業

第5回 サッカーW杯を仕切る会社!?

2009.07.24 FRI

知られてなくともスゴイ企業


サッカーワールドカップで使われた野田鶴声社の笛。一番右が98年フランス大会モデル。左の2つは2002年日韓大会のモデルだ

世界が認める笛の秘密とは?



1998年、日本代表が初めてサッカーW杯出場を果たしたフランス大会。
その時、日本人として初めて審判員に選ばれた岡田正義さんは、ある日本製の笛を携えてフランスへ向かいました。

野田鶴声社の笛。

実はその時すでにサッカーファンの間では有名だった笛らしく、1978年に旧西ドイツのブンデスリーガが審判連盟に推奨していたり、1982年のサッカーW杯スペイン大会以降は多くの審判が愛用しているという逸品。

それを日本の東京都葛飾区にある会社で作っているとのことで、早速うかがってみたのですが。

自宅兼事務所といったたたずまい。従業員数5名。正直、とても小さな会社。
代表取締役の野田員弘さん、ここから世界中にたくさんの笛を輸出しているんですよね?

「世界45カ国に累計で1500万個ほど、輸出してますよ」

スゴイ数ですね。
では野田鶴声社の笛が世界に選ばれる理由はどこにあるのでしょうか?
茶色いのが、一般的な笛に入っているコルク。白いのが野田鶴声社の笛のコルク。写真ではわかりにくいが、鶴声社のものは真球に近く、表面のキメも圧倒的に細かい
「まず中に入ってるコルクが違うんですよ。傷やひび割れのない、まん丸のコルクを使っています。それによって音が割れない。そしてコルクを入れることで音 に強弱がつけられるんです。例えば日本サッカー協会から審判に配られていたものの中にカナダ製の笛があるのですが、コルクが入っていないプラスチック製で 音が一本調子。選手にとって不快な音らしいということです」

笛の音で不快になったら、ゲームに集中できませんからね。
それに強弱をつけられれば審判の意志も伝えやすい。ゲームコントロールしやすい笛ということですね。

「あと、欧州のものなどは溶接やプレス技術が甘く、空気漏れしやすい。さらにメッキも薄くて音が満足に出ない。例えばサッカーの審判はレッドカードを出すときに笛を3回吹かなければならないのですが、そのような粗悪な笛だと息が続かないんですよ」

日本の技術力の高さがなせること。誇らしい話です。はい。
ちなみにサッカーの審判が使用者のメインですか?

「ラ グビーの国際審判員の方も購入していかれましたし、長野冬季オリンピックでも使われていました。アテネ五輪のバレー決勝でも『なんかウチの笛の音がするなぁ』と思って見てみたら、日本人の審判だったり。あと、スポーツ以外にも、岸和田のだんじりや浅草の三社祭では、ほとんどの人がウチの笛を使ってるそう です。他には車掌さんや駅員さんの中にも支給品の笛では満足できなくて注文してくる人が多いですね」

まさしく、日本の笛代表ですね。スゴイです。
お話をうかがった野田鶴声社の代表取締役・野田員弘さん。戦中戦後と会社とともにジェットコースターのような人生を送ってきたそうです

笛を作るようになったきっかけは?



世界45カ国に累計1500万個以上輸出しているという実績。
サッカーW杯ばかりでなく、ラグビーやオリンピックなどの国際大会でも吹かれている、まさに日本を代表するホイッスルメーカーの「野田鶴声社」ですが、実は最初から笛を作っていたわけではないそうです。代表取締役の野田員弘さん、そうですよね?

「えぇ。もともと、東京の荒川区にあったハーモニカメーカー・鶯声社(おうせいしゃ)の工場長をしていた先代が、アメリカから来たバイヤーと商社に『アメリカへの輸出を前提としたハーモニカを作る会社を起こしませんか?』と誘われて、独立したんですよ。社名の鶴声社は、鶯(うぐいす)よりも鶴が大きかったっていうことと、鶴の一声から取ったそうです。ハーモニカは部品が多く、大きな工場を作らなければならないのですが、その資金も向こうが出すということで。それが1919年です」

じゃあ、そのまま会社は順調に?

「いえ、その創業から4年後の1923年、関東大震災に見舞われて工場が焼けてしまいました。それでも建て直して再建するも、今度は第二次世界大戦が始まり、わずか2カ月半の間に空襲で4回ほど焼かれてしまいました」

そのつど、建て直してやり直していたんですよね? それまた、スゴイ。
亀有駅近くに会社を構える野田鶴声社。笛の音を直接確かめたいというユーザーもしばしば訪れるそうです
「戦時中は軍需工場としても稼働しなくては資材が入ってこないというのもあって、航空機の無線の部品なども作っていたのですが、軍需工場は地方などに場所を移動しちゃいけないという決まりがありましたからね。空襲があるとわかっていても、同じ東京で建て直すしかなかった。最後は大変でしたよ。終戦直前ってこと もあってか、建材がなくて、近くの廃屋を4棟買って解体し、その材木で建て直してましたからね」

壮絶な社歴ですね。
そのとき笛は作っていたのですか?

「いや、まだです。笛を作り始めるのは1968年のこと。当時、ガスライターが世に流通し始めていたころで、ウチも作っていたんです。ところが発注元のバイ ヤーが倒産してしまい、困っていたんです。そのタイミングでウチのハーモニカを買っていたニューヨークのバイヤーから相談を受けたんですよ。『ホイッスル が買えなくて困っている』と。それならウチでやってみようかという話になりまして。ホイッスルの製造に必要な研磨、メッキ、ハンダ付けなどの工程がガスラ イターと同様なわけです。すぐに商談がまとまり、1000ダースの注文を受けることになりました」

まさに渡りに船という感じですね。
人生、悪いことばかりじゃないんですね。
それ以降は順調に売り上げを得ていくのですか?

「1970 年代の初めは年に80万個くらい出せていたので良かったのですが、1985年のプラザ合意で一気に円高になり、アメリカへの輸出が赤字に転じてしまい、北 米市場への輸出は大幅に縮小せざるをえなくなりました。それからはヨーロッパとの取り引きがメインとなっていった流れですね」

それでサッカー関係で認められて、他のスポーツ国際大会などで吹かれるようになると。

「そういえば先日、サッカーのコンフェデレーション杯でアメリカがスペインに勝った直後に、アメリカMLS(メジャー・リーグ・サッカー)の関係者から注文が来ましたよ」

今度はアメリカでサッカーが盛んになると、あらためてアメリカの会社から依頼があったわけですね。最近はヨーロッパを中心に取引されている野田鶴声社ですが、再び北米市場を席巻する日も近いのかもしれません。 ちなみに『アディダス』と『プーマ』のブランドで売られているホイッスルも野田鶴声社製です。
世界的に信頼されている技術であると。
現在、工場で働いている人数が5人という会社なのに、ホント、スゴイ。

ただ、残念なお話として、後継者がいないとのことです。
野田員弘さんの代で、野田鶴声社は終わりにするとのこと。
それは息子さんが継ぐ継がないという話ではなく、技術的な問題のようです。
ホイッスルを作る技術は教えてどうにかなるものではなく、センスだと言います。それを持っている者でないと、継ぐことができないと。

いや、逆に言えば、それほどの技術を持った人が日本にいるという事実は、誇るべきことだと思いますし、そのことをここで伝えられたことは有意義であると信じております。はい。

みなさまもそのような方、工場、会社をご存じでしたら、情報をください!
よろしくお願いします。

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