「出会いの不思議」

松本幸四郎

2010.08.19 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
出会いがあって決断がある。その不思議さについて

「僕は歌舞伎俳優で、3つのときから歌舞伎をやっているんですね。その一方、ブロードウェーとウエストエンドでそれぞれ『王様と私』と『ラ・マンチャの男』をやってきました。そういう俳優人生を送ってきた自分が、『カエサル』というお話をいただいた」

27歳のときにはブロードウェーで10週間、48歳のときにはイギリスでおおよそ半年、現地のキャストに交じって、もちろん英語だけで歌い、演じてきた。相当な決断があった。そして同時に「人生は出会いである」とも言う

「歌舞伎以外の現代劇を初めてやったのが17歳。シェイクスピアの『ハムレット』です。文学座のある俳優さんがご病気で倒れられて、代役を抜擢しようと、福田恆存先生が僕に白羽の矢を立ててくださったんですね」

初めてのミュージカルは22歳、越路吹雪と共演した『王様と私』だった。ミュージカルのレッスンなどまったく積んでいなかったが「中途半端な気持ちではなかった」と振り返る。

「ミュージカルをやる以上、いつかはブロードウェーの舞台に立とうと。そのぐらいの意気込みで決めたんです。22歳の僕は“それで歌舞伎に戻ってこられないならしょうがない”って思ってました。いや、もう本気ですよ」

そして“ブロードウェー”は、その5年後には叶ってしまうのだ。

『ラ・マンチャの男』の日本公演を思い立ったのは、そもそも父上。『勧進帳』をブロードウェーで現地の俳優たちにレクチャーしたとき“発見”。東宝プロデューサー・菊田一夫氏に「染五郎(当時の幸四郎)でやろう」と勧めたのだ。実現したのは数年後、幸四郎さんが『スカーレット』というミュージカルのオーディションに落ちたのがきっかけ。

「僕が腐ってたら、菊田さんが『これをやれよ』と『ラ・マンチャの男』を振ってくれたんです」

翌年、世界中から俳優を集めた『国際ドン・キホーテ・フェスティバル』がブロードウェーで開催。日本人としてただ1人、出演を打診される。ここで大きな出会いと決断があった。

「父が『勧進帳』を教えたブロードウェーの俳優さんが、そのとき日本にいらして。『僕はお父さんから歌舞伎を習った。そのご恩返しに、僕は君にラ・マンチャのセリフを教えよう』って。それで、僕は決断できた。そういう不思議な出会いがあったから、ですね」

いや、不思議という言葉ではつまらないんだな、と幸四郎さん、つぶやく。

「…海音寺潮五郎さんがおっしゃってましたね、『歴史は歴史家ではなく、小説家がつくる』って。自分が役者だから強く思います。今でこそテレビやビデオがあり、映像は残ります。でも…。僕はこれまで『勧進帳』を1000回以上、47都道府県でやってきましたが、1回1回の演技、セリフ、踊り、歌は、表した次の瞬間消えるんですね。二度とできないわけです。僕は自分が一瞬にしか生きていない気がするんです」

俳優のありようは、出会いから受け手の目や耳を通して語り継がれていく。

「60億の人類がいる地球の上で、自分が幸四郎という俳優としてあなたにお話ししてる、このシチュエーションだって、僕にはとても不思議なことなんですよ…ちょっと神懸かりっぽくなるけど、人間の営みとはまた別の力、運命…そういうものがあると思う」

だから『カエサル』に関しても「受けたときの印象というより、その前の段階が面白いと思った。『カエサル』が僕のところに来るというミラクル。普通だよっておっしゃる方もいるかもしれないけど、僕みたいな仕事の人間は、そんなふうに思うんですよ(笑)」。

毒喰らわば、皿まで。「なんでもやれる」人に

完全に俳優の生理で動く幸四郎さんだが、子どものころは歌舞伎俳優なんて大嫌いだったという。

学校を早退し、三味線や鼓、義太夫、狂言などの稽古をして、劇場に入り、お化粧して舞台に立つ毎日。首筋に白粉など残っていようものなら、いじめっ子の格好の標的となった。

「1日たりとも楽しくなかった。3人のいじめっ子の名前は今でも覚えてます(笑)。それで僕がどうしたのかというと“毒喰らわば皿まで”。イヤないじめっ子より、もっとイヤなことに自分を突っ込んじゃおうと思ったんです」

それが稽古場巡りであり舞台。

「そしたらイイ意味でも悪い意味でも“なれて”きた。そしてこういう…読者の男性にとってためにもなんにもならないようなことをしゃべってる人間ができちゃったんですね(笑)」

そして高校時代にはラジオのパーソナリティに、前述の『ハムレット』。当時の歌舞伎俳優として、マルチな展開は一般的だったのだろうか。

「全然そんなことないです。今、僕が9人目の幸四郎で、父が8人目、祖父が7人目なんですが、この七代目幸四郎が面白い人だった。なんと大正年間に旧帝劇で日本最初のオペレッタをやってるんですね。それこそジュリアス・シーザーも。その一方で『勧進帳』の弁慶を1600回もやったり。孫である僕のカラダにもそういう血が流れていることは間違いないですよね」

今日ならば、おそらくプロダクションがあって、俳優の展開の仕方を考えるはずだ。当時の幸四郎さんの活動、一体誰がどう決めていたのか。

「プロダクションはおろか、そういう考え方そのものがなかったんです。大げさな言い方ですが、純粋に芸術的な結びつきだけで成立していたんです。こう売ろうとか、こっちにアピールしようとか、芸能界の枠組みに従って動いていたのではなく、市川染五郎という17歳の若い俳優に、福田恆存というシェイクスピアの大家が目をつけた。芸術的にストレートにすぽんと結びついた。そこには“商売”という概念が介在していなかったと思うんです」

『カエサル』に出会ったことを、幸四郎さん「ひさしぶりのステキな恋人との出会いみたい」と称した。

「ここしばらく、きちっとした歌舞伎という奥さんと一緒にいましたからね(笑)」

そんなふうに、新しい出会いを心待ちにし、ミュージカルもストレートプレイもTVドラマもコマーシャルもやり続けてきた。やっただけではない。

「ある人に言われたんです。『なんでもやるのと、なんでもできてるのは違うよ』って。『なんでもやるのは、誰にでもできること、なんでもやれるというのは、誰にでもできることではないんだ。そこに違いがあるんだよ』って。僕はとてもうれしかったな」

なんでもやれる。だからといって「あ、これならやれそう」ということを探して、箔をつけるみたいにやってきたわけではない。決死の覚悟。22歳でミュージカルに挑戦したとき…いや挑戦ではなく「戻ってこられなくても構わない」と取り組んだときの気持ちは変わらない。だからこそ、なんでも“そこそこ”ではなく、やれるのだ。

「まああれは22歳だったから(笑)。今思えば大変な決断だったかもしれないけど…人間ってね、あんまり考えすぎるといいことないよね(笑)」

無鉄砲に飛び込むことを勧めるわけではない。当時22歳の若者には、3歳からの稽古があった。それはうぬぼれではなく、確かな自信だった。

「最近、“ぶってる人”って結構いるよね。学校で勉強したり、人生でいろんなことに出会ったりして人間は自信をつけていくわけですけど、“ぶってる人”にはそれがない。だから学者ぶったり役者ぶったり政治家ぶったりしなくちゃならないんですね」

過去の努力や苦労話を尋ねると「まあそこはいいじゃないですか」と微笑。

「みなさんだって同じ。それぞれの人生でやるべきことをやってますよね。幸四郎は幸四郎の人生の中でこれが必要だと思ってやってるだけであって、価値観は1人ひとり違う。何を取って何を捨て、何を重視するかはみなさんの人生にもありますよね。僕はそれを幸四郎としてやってるだけのこと」

そしてニヤリ。一言だけ付け加えた。「ただな、やっぱり、1日35時間ぐらいはほしかったなあ…。あ、それ以上は申しません。野暮になるから(笑)」

1942年、東京生まれ。父は八代目松本幸四郎。3歳で初舞台、17歳で六代目市川染五郎を襲名。同じ年、舞台『ハムレット』に主演。22歳のとき、『王様と私』でミュージカルデビュー。26歳のとき、『ラ・マンチャの男』に主演。翌年にはニューヨーク・ブロードウェーに進出。81年、九代目松本幸四郎を襲名。91年、ロンドン・ウエストエンドほかで半年にわたり『王様と私』に主演。97年、演劇企画集団・シアターナインスを旗揚げ。三谷幸喜、マキノノゾミらと新しい演劇を生み出す。00年には 歌舞伎企画集団・梨苑座を旗揚げ。08年『ラ・マンチャの男』の上演回数が通算1100回に。08年に上演回数1000回を達成した『勧進帳』が10年7月には全国47都道府県での公演を達成。『カエサル』は10月3日~27日、日生劇場にて。8月21日(土)より前売り開始。問チケットホン松竹TEL0570-000-489 オフィシャルサイトはhttp://Play-ceasar.jp/

■編集後記

『ラ・マンチャの男』のニューヨーク公演が、27歳のとき。奥さまと共に渡米、マーティン・ベック・シアターで2カ月半、60公演をこなした。ブロードウェーのカンパニーに日本人はたった1人。日本でアメリカのホテル住まいという慣れない環境に、日々の英語での公演などがあいまって毎日クタクタ。終演後、ホテルに帰ってベッドに倒れ込むと、翌日の夕方まで目覚めない、なんてこともしばしば。ターニングポイントのひとつだった。

武田篤典(steam)=文
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稲田 平=写真
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