「僕はほら、天の邪鬼だから」

野田秀樹

2010.09.02 THU

ロングインタビュー


兵藤育子=文 text IKUKO HYODO 稲田 平=写真 photography PEY INADA スチーム=編集 e…
目的のためだけにやるべきことを限定しない

「僕の運が良かったのは、早くに演劇と出会っちゃったことですよね」

初めて戯曲を書いたのは、高2のとき。学内で上演した芝居が思いのほか喜ばれたことを、今でも鮮明に覚えている。一浪して東大に入学後、20歳で劇団「夢の遊眠社」を結成。勉強そっちのけで、演劇にのめり込んだ。

「大学で勉強しなかったぶん、何かを学ばなければいけないという強迫観念がありました。それで大学へ行かない時間は、本を読もうと自分で決めていたんです。『ザ・キャラクター』は、ギリシャ神話を取り入れているのですが、ギリシャ神話を深く読み込んだのもその時期でした。目先のことにプラスになるかどうかはわからないけれど、興味を持ったことはやっておこうと思ったのかな。結局、何の役にも立たなかったこともいっぱいあるけれども、目的のためにこれだけをすればいいっていう決め方は、しない方がいい」

彗星のごとく現れた劇団、というイメージが強いが、やっている本人の捉え方はちょっと違っていた。

「世間的にはそう見えたのかもしれないけれども、非常に焦りもありました。今の役者みたいに、テレビに出て活躍するなんてことも一切ない時代だったので、どうやったら食えるようになるんだろうっていうところに、結局行き着いてしまうんです。だけど芝居だけでは、どう考えても食えるわけがないから、辞めていく仲間も多かった。注目されることが大事ではあったのだけど、同時に僕には、東大生という冠を必ず付けられてしまうことに対する反発が非常にあったんです。別に、東大の学生という面白さだけで俺の芝居が面白いんだったら、観に来てもらわなくていいやと思っていた。何でもいいからとにかくパーッとやっちゃえばいいのにって、周りの人間はちょっと歯がゆかったかもしれないですね」

やがて25歳で大学を中退。構内にあった駒場小劇場を飛び出した夢の遊眠社は、アマチュアからプロへと転向し、小劇場ブームを代表する劇団へと成長していく。

「30歳くらいのときですけど、ちょうどバブルがやってきて、公演に企業スポンサーがつくようになったんです。そんなの今欲しいよ!って感じなんですけどね(笑)。地に足が着いていない制作体制で、そのころ初めて、自分たちが消費されているという感覚が、僕の中に生まれていました。お客さんは面白いと言ってくれるけれども、ブームになっている劇団だからキャーキャー観ているだけのように思えてしまって。それが全部ダメだとは思わないけれども、どうもそういう匂いしかしなくなっている気がしたんです」

もう辞めよう、というセリフがのどまで出かかった状態が3、4年続いた。しかし結婚して家庭を持つ劇団員も少なくないなか、自分ひとりの都合で辞めるわけにはいかなかった。

「そのころには、劇団以外の仕事もやるようになっていました。『から騒ぎ』というお芝居で、こちらの希望をすべて飲んでもらって、自分の好きな役者と一緒に、やりたい放題のことがやれたんです。それがすごく面白くてね。そのとき自分は、劇団以外のことに魅力を感じてしまった。要するに浮気をしたようなもんですよ。それと32歳のとき、海外公演の話が降って湧いてきて、エディンバラの演劇祭に劇団で行ったのも大きかった。僕は非常に興味を持ったのだけど、劇団員にとっては、テレビとかに出て国内の仕事を大事にしたい時期でもあった。その気持ちは、今は非常によくわかりますけど、そういう理由で思うように海外へ行けなかったりして、最終的に劇団を辞めて、単身で海外へ行きたいと思うようになったんです」

劇団を解散したのは92年。野田の言う25歳から35歳の“貯めどき”は、夢の遊眠社の歴史とともにあった。

壁は脳の中の想像物。そんなものは存在しない

現在は、東京芸術劇場の芸術監督や多摩美術大学の教授を務め、下の世代を育てる立場でもある。若手に向ける言葉には、遠慮がない。

「みんな育ちがいいような気はするかな。なんか礼儀正しいんですよね。どぎつい芝居を書いているから、どれほど得体の知れないヤツが出てくるんだろうと思うんだけど、会ってみるとすごく心優しい人だったりする。僕の上はアンダーグラウンドの世代ですから、寺山修司さんにしても、唐十郎さんにしても、会うとやっぱりそれなりに、面倒くさいものが体にくっ付いていましたよね(笑)。今の子たちの書くものも、それなりにどぎついんだけど、ホラー映画から学んだりしていて、自分のリアリティの中から生まれていないんだなって最近思うんです。上の世代の面倒くささや胡散くささには、戦後のカオスを生きてきた人たちのリアルな暴力性がありますよね。今の若い人たちが、同じことをやろうとしても、あの暴力性は無理だと思うけど、逆にリアルなことをやろうとしたら、どういう言葉で向かってくるのかなっていう期待はあります。今のところ年寄り世代からは、幼稚にしか見えないけどね。だけど僕らが若いときも、年寄り世代からそう見られていたし、明治時代の年寄りは明治時代の若者を幼稚だと言っていますから。これは不思議なくらい、いつの時代も同じなんです」

最後に、テーマ主義的質問であることは承知のうえで、壁にぶつかっているR25世代にアドバイスを求めてみた。

「そのくらいの年代のときに、壁なんてないんじゃないかな。壁っていうのは、自分が勝手に脳の中で作った想像のものですからね。そんなのを作っちゃうからいけないだけで、やり方はいくらでもある気がします。まあでも『あんたは今、こうやってうまくやれているから言えるんだよ』なんて言われると、『ああそうですね』ってしか言えないんだけどね」

天の邪鬼は、にやりと笑った。

1955年長崎県生まれ。76年、劇団夢の遊眠社を結成。作・演出・出演の3役をこなし、『走れメルス』『贋作・桜の森の満開の下』など数々の名作を生む。92年に劇団を解散後、1年間の英国留学を経て93年にNODA・MAPを設立。以後、『キル』『パンドラの鐘』『赤鬼』などを多数発表。06年にはロンドンのSOHO THEATERで、英語による戯曲『THE BEE』を上演し、高い評価を得る。中村勘三郎と組んで古典を大胆にアレンジした“野田版歌舞伎”も好評。08年からは多摩美術大学で教鞭を執り、さらに09年には東京芸術劇場の初代芸術監督に就任。NODA・MAPオフィシャルサイトwww.nodamap.com/ なお、NODA・MAP番外公演『表に出ろいっ!』は全ステージ当日券あり。

■編集後記

東大に入ったのはいいけれど、演劇に夢中になりすぎて中退した。肩書きなんて、どれほどのものかと思っている。「どこの大学を出たかで、人生の半分くらいが決まったようなつもりになっている人たちがすごく多い。この年になっていまだに『どこの大学?』なんて聞かれたりすると『はあ?』って言いたくなる(笑)。大学以降の人生の方がはるかに長いわけだから、人はさらに変わるはずなのにって思いますけどね」

兵藤育子=文
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