「来年、ベイルートに新しいお店を。クアラルンプールにも。あと渋谷もね!」

ジョエル・ロブション

2011.11.17 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 サコカメラ=写真
フレンチの神様の
料理と仕事の哲学とは

「この豚肉、火入れが完璧!」

誰かが惚れ惚れと言った。

店の奥までカウンターがスーッと伸びている。ライムやパプリカを見えるようにストックし、生ハムを置いた棚の向こうがキッチン。鋳鉄の鍋から塊の豚肉を取りだし、鉄板で焼くのが見える。

「最初に表面を焼いてから、鉄の鍋で火を入れるんです。寝かせて味をなじませて、今は、バターで焦げ目をつけています」

カウンター越しにギャルソンが笑顔で解説してくれる。ソースは、豚のエキスを煮詰めたもの。

右奥のコンロでカチャカチャと勢いよく作られているのは豚に添えられるポテトピュレだろう。濃厚なバターのコクとゆるゆるの舌ざわり。味わい深い豚とがっぷり四つに組める強さである。

ある土曜の午後、六本木『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』におけるランチの風景である。

…と、肩に手のひらの感触。

「お料理はいかがでしたか?」

振り向けば、そこにジョエル・ロブション! 日本の人間国宝にあたるフランス最優秀職人賞を有し、「フレンチの神様」と賞されるシェフ。そして、この店のあるじである。笑顔で客席を回り、ゲストと記念写真に収まる。

「この仕事には、情熱と厳格さを持って取り組むべきです。そして何よりも愛情。うちの若い料理人たちに必ず言うのが“君たちのお母さんや恋人にするように料理を作れていますか”ということ。もともと愛情を持っている人たちに向けるのと同じ愛情をお客さんに与えることが大切です」

インタビューはこのランチの約90分前。まず仕事に対する哲学を尋ねたら、そんなことを教えてくれた。そして料理に関しては「素材を敬うこと」が大切という。

「食材は、肉でも魚でも野菜でも、生きているものの命を絶って使います。それをおろそかにしてはなりません。旬の物をきちんと使い、素材の持つ味をきちんと味わうことが大切です。たとえば鴨なら、鴨の味を敬って、それを引き出すように調理する。牛や豚のジュ(≒だし)で鴨を味付けしてはならない。素材の味を守ること」

彼の料理は“シンプル・フレンチ”と呼ばれる。冒頭の豚ローストなどがまさにその象徴だ。

「私は高くても、いい食材を買います。もちろん支払うのは適正な価格ですよ。安いにはそれなりの理由があると考えます。たとえば私が買うのは、すべての部分が完全においしく食べられる、美しい野菜です。安い野菜には、葉っぱの色が変わっていたり、一番外側が食べられなかったりするケースがあります。結局、損です(笑)」

素材の味を生かすからこそのこだわりだ。でも同時に「支払いはまさにその場で!」とか言う。すぐ現金で支払う店には、業者も喜んで、最高の食材を優先的に提供してくれるようになるから。  

これって単なる“飲食経営マメ知識”みたいなものかもしれない。だがここでこれを言うのがジョエル・ロブション! 最高の芸術家でありつつ、堅実な経営者。

独立と三つ星と引退、
復帰とDNAと価値

現在66歳。“ロブション”の名のついた店は、世界に20軒を数える。料理の世界に入ったのは15歳のとき。家庭の事情で神学校を辞めて働くことになったのだが、「大志などなかった」と言う。

学校の寮にいたとき、よく修道女の料理を手伝っていたのと「戦後の貧しい時代でしたし、料理人ならばいつでも何か食べられるだろうと思って(笑)」料理人に。

「まあいずれは給食の料理人でもやって、のんびり暮らせればいいかなと思ったんです。時間もそんなに拘束されないし、と」

だが転機が訪れた。66年に『コンパニョナージュ』(職人の協同組合)に参加したこと。そして、68年の五月革命。大学の自治を求める学生運動がベトナム反戦などを巻き込んでゼネストに発展し、政府に政策を転換させたのだ。

「自分の仕事に情熱を持ち、仕事のために生き、つねにより良い仕事を求める職人たちに出会いました。それに反体制的な運動に情熱を捧げる人々もそうです。“完璧”はこの世に存在しないのだ。だからつねに完璧を求めるのだ…という姿勢を目の当たりにして“私はこれでいいのか”と思うようになったんです」

このころいたのは『ベルクレー』というパリの実力店。そこでは折しも“ヌーベル・キュイジーヌ”が始まりつつあった。重いソースで濃厚に味付けする伝統に対し、軽くあっさりと素材の持ち味を生かして仕上げるという“革新”。

「私はこのころから、自分の理想を求めてコンクールに料理を出品するようになったのです」

そして店にかかわるすべてを管理する力を得たいとも思うようになっていた。素材の値段と質、内装、工賃…料理だけでなく、店をやるうえで必要なすべてを。

それらを念頭に、店を移るときには“自分を成長させる新しい経験ができるか”を意識した。『フランテル』では数千人規模の料理をマスターし、29歳で『コンコルド・ラ・ファイエット』の総料理長に就任。厨房のすべてを取り仕切るや、4年後にはホテル『ニッコー・ド・パリ』に移籍。

厨房だけでなく、店のすべてに関して権限を持つ地位に。単なる料理人ではなく、いわば小さな企業を扱うような仕事だったという。

そして36歳のとき、まさに満を持して独立。『ジャマン』という店のオーナーとなり、3年後にはミシュランの三つ星を獲得。店名を『ジョエル・ロブション』に変え、移転して規模を拡大し、さらに名声を得るも、96年に引退。「よく言うんですけど、私がこの目で初めて本物の雪を見たのって、引退した51歳のときだったんですよ(笑)。15歳からずーっと働き詰めでしたからね」

朝8時には店にいて、金銭や仕入れの管理、料理の試作、ランチのサービス、社員の教育、事務処理、ディナーのサービス、知人への挨拶などなどで、帰宅は深夜2時。冬のバカンスなんて…。

「同世代のシェフたちが次々と体を壊して亡くなったんです。それに彼らが50歳過ぎて作っていた料理にも違和感があって。そうなる前に、スパッとやめようと」

ところが03年に復帰。

「15年も20年も一緒に仕事をしてきたスタッフたちが独立したがったんですが、銀行が“ロブションさんがいなければお金を貸せません”っていうから(笑)。それだけではなく、やりたいことができたんです。“Convivialite”(懇親性)の高い店をやりたいと思うようになりました。アットホームであたたかい雰囲気でおいしい料理が食べられる。私、よく人に聞かれたんです。“どこか、雰囲気がよくておいしい店を紹介してもらえません?”って。でも私の知ってる中で、その両者を満たす店ってあんまりなかったんです。ならば自分でやろうと」

それがこの『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』。カウンターが中心なので一人でフラリと行けて、一皿&ワインでも可。このスタイルが六本木をはじめ、世界に現在9店舗。今後の展望を聞いてみても「来年、レバノンのベイルートに新しいお店を作る予定。マレーシアのクアラルンプールにも。それから渋谷にパン屋ができます。まずこれらのことをきちんとやらないとね」と、“未来”より“目の前”に夢中なのだ。

最後にひとつ。今、ランチを選ぶとき、カップ麺なら100円程度。丼でも300円ほどで食べられる。対して“ラトリエ”のランチコースは2900円から。同じ一食。どう折り合いをつければいいのか。ロブションさんに尋ねた。

「この店にきていただいたら、人の五感をフルにしびれさせますよ(笑)。料理人が食材を扱うところを見て、彼らが醸し出す音やサービスの人間の語りかける言葉を聞き、ずっしりとした肉用のナイフに触れる。そしてもちろん…」

ジョエル・ロブション、こちらを見てニヤッと笑った。

「嗅覚と味覚で、ロブションのDNAを堪能していただけたら!」
ランチを終え、店を出るとき、一緒に撮った写真がサイン入りでプレゼントされた…愛である。

1945年、フランス中部ポワティエ市生まれ。15歳で料理の道に。21歳のとき『コンパニョン・ド・トゥール・ド・フランス』のメンバーに。29歳で 『コンコルド・ラ・ファイエット・ホテル』総料理長に就任。31歳でフランス最優秀職人賞を受賞。33歳で「ホテル・ニッコー・ド・パリ」料理部門長に就任。36歳のとき独立。『ジャマン』を開店、39歳でミシュランの三ツ星を史上最短記録で獲得。51歳で引退。58歳のとき、六本木ヒルズに『ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション』を開店。現在世界各国に20の店舗を運営。2011年のミシュランガイドでは、計26個の星を獲得。うち3店舗が三ツ星。世界でもっとも多くの星を持つシェフである。
www.robuchon.jp

武田篤典(steam)=文
サコカメラ=写真

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