「プロ野球の勝ち負けで一喜一憂して、みんな元気になってほしい」

中畑 清

2012.03.15 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 サコカメラ=写真
やりたかった監督が
今できる喜び

「完璧やん! よっしゃー、イェイイェイ!」

宜野湾市立野球場のロッカールームから、愉快そうな声が聞こえてくる。モーニング娘。の「恋愛レボリューション21」に合わせて踊る選手に親指を立て、にっこり笑う。そして3塁側ベンチに現れた。

デカイ。185cm・90kgらしい。だが笑顔が異様に人なつっこい。性格のいい大型犬のような佇まい。中畑 清58歳、横浜DeNAベイスターズ初代監督である。

このインタビューは、2月末、キャンプ終盤に行われた。ずっとチームに張り付いているのであろう、スポーツ紙の担当のみなさんが、我々から5mほど離れて、扇形になって見守っている。

就任以来、中畑監督は紙面やニュースを賑わせ続けてきた。取材当日も監督の行くところプレスあり、ファンあり。正直、チームでもっとも注目を浴びるスターである。

「このチャンスにどうやって報いるべきか。オファーをくれた会社にはもちろん、野球界に対しても恩返しがしたい。そのために注目してもらうことが大切なんです。プロっていうのは、観られてナンボの世界ですから」

この日の監督は、ブルペンキャッチャーの横にしゃがみ、キャッチャー目線で投球を確認。練習場の外から見ていた数人のプレスに「どっちが檻の中か外かわからないね。見てるのか見られてるのか」と話を振って「俺は百獣の王だぁ」とおどけ、アルバイトスタッフの学生さんたちに丁寧に「ご苦労さん!」と声をかけた。練習終了後ギリギリまでファンのサインに応じ、車に乗り込んでからウインドーを下ろして手を振った。ちなみにこの“ウインドーを下ろして去り際に手を振る”行為だが、かのAKB48の小島陽菜が、さる男性誌のグラビア撮影終了時に、スタッフ全員に「ええ娘やー」とため息をつかせたのとまったく同じアクションであった。

中畑 清は80年代前半からジャイアンツの4番を打ち、「絶好調!」で人気を博したスターであったが、そうした“華”にだけ頼って、今、これほどの注目を集めているわけではないのだ。いや、そもそも「絶好調!」のフレーズだって、長嶋監督に調子を問われて「まあまあです」と答えていたのを、当時の土井コーチに見とがめられ「嘘でもそう言え」と助言されてから口にするようになったのだから。

「まあ、そんなわけでワタシもどういう動きをし、どういう言葉を発信すればメディアに取り上げてもらえるかをよくよく考えて表現してきたんです」

そういう計算はしている。だが、それだけではない。中畑 清は「日々充実している」と満面の笑みを浮かべる。仕事を楽しんでいる。だって、監督は夢だったから。

「いくらやりたくても、“はいどうぞ”ってできるもんじゃありませんよね。そのチャンスが突然、僕のところに舞い降りてきたわけです。今はね、“こんなに幸せでいいの!?”っていうぐらいの幸せをいただいています(笑)」

不安もないではなかった(もっとも選手の前ではおくびにも出さなかっただろうが)。駒澤大学野球部の太田 誠や、巨人の長嶋茂雄・王 貞治・藤田元司ら、過去に師事した監督のやり方に思いを馳せた。でも、吹っ切れた。

「みなさんに“絶好調”とか“お祭り男”とか呼ばれてきた人間ですけど、そんな僕の野球人生をそのまんまぶつけて監督業を務められたら最高だな、って」

そう決意できたのは、監督就任会見のとき。

「マスコミ全社集まったなかで、“素”で笑いを取りにいって1時間以上の会見を盛り上げることができた。みなさんは “なんだこの監督は!?”“ヨシモトなんじゃないの!?”って思われたかもしれない。でも僕はあのときの盛り上がりを感じながら“あー、このままいけばいいんだ”、俺は俺のやり方でいいんだ、と」

笑いを取りに行くのも、目立つのも、すべては“見られてナンボ”を実践するため。去年は4勤1休だったキャンプを、今年は6勤1休というハードな体制にし、なお、「選手たちはホントに前向きに乗り越えてくれたと思うし、監督としての僕のキャラを受け入れてくれた」と自負する。

「それを自分で言わなきゃならないのがツラいけどね(笑)」

ゼロからのスタート。
一番面白いチーム

昨年まで、横浜ベイスターズは4年連続最下位。ホームゲームの観客動員は平均1万5308人で、こちらも最下位。ちなみにトップは阪神タイガースで4万256人であった。

「空席の目立つ球場では、プロ野球選手として自分が持つ存在感を出し切れないと思うんだ。プロって、観られることで自分の力をもっともっと高いレベルに持っていこうという努力をしていくわけです。閑散とした球場だったら、自分たちのテンションも上がっていかない。その積み重ねで悪い方へ悪い方へどんどんいってたんじゃないかと。球場は野球人にとってのステージ。観られるために、自分自身を磨くんですよ」

中畑監督は、「観られること」と「強くなること」の因果関係をこんなふうに説明する。

「磨いていかなかったら、喜びも感動も与えられない。“ウォーッ!”っていう歓声が、自然にスタンドから生まれてくるような野球、そんなプレイヤーになることがプロとしての義務なんです」

そして、そのために高い年俸をもらっているのだと力説する。

「契約を更改する相手は球団だけど、プレーを見せる相手はファンなんです。仮に2億円もらっているなら、自分にその価値があるということをちゃんとファンに示さなくてはならない。そう考えると、おのずとプレーの質も上がってくるもんですよ」

中畑監督が言うのは、姿勢の問題だ。あらゆるプレーに華があるわけはない。常に派手な試合にはなるはずもない。

「負けていても最後まで粘るんです。負けているときこそ元気を出して勢いを呼び込めるかどうか」

事実、この取材の2日後、巨人とのオープン戦は、相手のミスを誘い、ガマンと粘り、そして機動力でなんとかするような試合展開となった。そして巨人に逆転勝ち。3月8日現在、横浜DeNAベイスターズはちょっと地味にだが、オープン戦4勝1敗とまずまずの成績。

巨人戦での、ベンチのみんなが立ち上がり、グラウンドに発破をかけ続ける姿が印象的だった。

「こんなに面白いチームは12球団探してもうちだけですよ。(球団そのものが変わって)ゼロからのスタートが切れる新しいチームであるということ。そして一番弱いということ。そこに1年生監督がやってきた。自分たちでチームを作っていく喜びがある。他のチームは役者がそろっているけど、ここには役者がいないんだから、みんなにチャンスがある!」

シーズンの目標を聞いたら「とにかくてっぺん取るだけ」と自らの太ももをパチーンと叩いた。シーズンや球団を問わず、中畑 清としての未来を尋ねたら「野球の復権」と目を輝かせる。

「僕は野球がスポーツの中心でいてほしいなと思います。切なる願いですね。プロ野球の勝ち負けで一喜一憂して、みんなが元気になってくれたら最高じゃないですか。僕の時代はそうでした。だからもう一度、スター選手がいて、野球界全体が盛り上がるような」 

今、監督になったのはそのためであるのかもしれない。

「何かを受け継いでいくんじゃなくて、自分たちで踏み出していく。そうして歩いたあとに、すばらしい足跡をしっかりと残していこうと思っているんです。僕たちにしかできない野球をやれるチャンスをもらったんだから」

なるほど、高村光太郎ですね…というようなことを言うと、中畑 清はこのうえなく力強く言い放ったのであった

「ちょっとそれはよくわかんないけど…中畑 清ですっ!」

開幕がとても楽しみである。

1954年、福島県生まれ。駒澤大学卒業後の76年、ドラフト3位で讀賣ジャイアンツに入団。3年目オフの日米野球、対シンシナティ・レッズ戦でホームランを放ち注目を浴び、79年より1軍定着。81~82年、巨人の4番を張る。“お祭り男”“絶好調男”の異名を取り、中心選手として人気を博す。89年に引退、生涯打率は.290。引退後は野球解説者を経て、93年から長嶋巨人で打撃コーチを務める。04年のアテネオリンピック野球日本代表ヘッドコーチ。このときの監督・長嶋茂雄が倒れて以降、監督代行を務め、銅メダルを獲得。そして2012年シーズンより、新球団・横浜DeNAベイスターズの監督に就任。

武田篤典(steam)=文
サコカメラ=写真

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