僕を超えるダンサーを僕の手で育てたい

熊川哲也

2012.09.20 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 稲田 平=写真
「近々でいうと、ロンドンオリンピック。若いビジネスマンがほろ酔い気分で部屋に帰り、ニュースを観たら内村航平くんの素晴らしい演技にくぎ付けになった…」
最初の質問をすると、熊川さん、こんなふうに答え始めた…。

バレエを観に行くための
モチベーションについて

バレエの人である。読者のみなさんに「知っているバレエダンサーを挙げよ」というアンケートをとったら、たぶんダントツだろう。問いが「熊川哲也について知っていることを挙げよ」だったら、まあまあよく知る人は「イギリスのバレエ団の出身で…」とか、「今は自分のバレエ団を率いていて…」みたいな答えが出るだろう。

“イギリスの”は世界三大バレエ団の一つと言われる『英国ロイヤル・バレエ団』。15歳のときに付属のスクールに留学し、翌々年には東洋人として初めてロイヤル・バレエ団と契約した。もちろん最初は群舞の中の一人。しかし、すぐにソロを踊れる“ソリスト”に最年少で昇格。順調にキャリアを重ね、4年後には、最高位となる“プリンシパル”に昇格した。

“自分のバレエ団”は『Kバレエ カンパニー』。1999年に設立。自ら芸術監督として、ダンサーはもちろん、セット、照明、衣装などすべてに妥協のない公演を続ける。

…と、なんとなく熊川哲也のことはわかりましたね? でもまだ「バレエに行くぞ!」とは思いませんよね。さて、冒頭で熊川さんに投げかけた最初の質問(相談?)とは、そんな普通の男子諸君に「バレエを観るきっかけを教えてください」というものだった。

「内村航平くんの演技って一瞬で心を奪われたでしょ? 金メダルは何か他とは圧倒的に違いますよね。動きにムダがなくて、日本人にしては非常に珍しく美しさを追求していることがありありとわかる。そういうのとニュアンスは似ているかもしれませんね」

ふと観た体操の演技に圧倒されるのと同じような高揚がバレエを観るきっかけになる。

「われわれの世界では点数ではなく、美しさをあたりまえに追求してきました。それに、士気を高め興奮させる材料として音楽がある。ふと観た瞬間衝動に駆られ、そこに行動を移し、そして感動を生む。それがベストなルーティーンかなって僕は思うんです」

残念ながら、偶然バレエの公演に出会うケースはほぼない。仮にテレビ中継があっても「家は誘惑が多すぎるものね。メールチェックしたいとか、腹減ったとか、漫画読みたいとか(笑)」。だから、この人には信用が置ける。興味のない作品にメールチェックが勝ることを認めてくれる。

やっぱり観に行くのがベストなのだが、最初の作品は肝心。

「バレエにはすごくバラエティに富んだ演目がある。悲しい、楽しい、哲学的、ストーリーがない、シェイクスピアのすごいストーリー…入り方によって“1回でいいや”になるか“もっと突っ込んで観たい”になるかの差が出る。“そんなに言うなら熊川哲也のバレエを1回観てみよう”って1万8000円のチケット奮発して行ってみたら、あまり耳慣れない音楽が流れてて、わけがわからないまま2時間必死に睡魔と戦いました! ってことも起こりうる。そのお客さんは2度とバレエを観に来ないでしょうね。でもそんな演目も必要。ダンサーとして、カンパニー(バレエ団)としての成長のためにも」

ただ、次回の演目ではそんな心配はまずないのだという。

「あ、ドンキですね」

え、ドンキ!?

伝説の熊川ドンキ、復活。
今は、より踊れている

『ドン・キホーテ』は500年の歴史を誇り、当然、例のお店の創業以前からバレエ界で “ドンキ”と呼ばれてきたらしい。

「本当に娯楽色の強い作品です!派手な動きと派手な音楽、バルセロナでの灼熱の太陽の下、ダンサーたちの技の競い合い。人を楽しませる要素が目一杯詰まっている。ホントに家でお酒飲みながらテレビでオリンピック観て“大技決まった、スゲエ!”というのと同じような感じになる作品ですね。ヘタしたら“もうバレエはおなかいっぱい”ってなるほど(笑)」 

そして、とくに思い入れがある。

「僕にとって『ドン・キホーテ』は“形容詞”なんです。プロの世界で四半世紀やってきたなかで、必ず重要なところで演じてきました。10代のころローザンヌ国際バレエ・コンクールで優勝したときも、ロイヤル・バレエ団でトップになるときにもこれを踊りました」

熊川は現在40歳。自らこの役に取り組むのは6年ぶりだという。「(『ドン・キホーテ』のバジル役は)派手な動きがあり、人の目を魅了して拍手喝采ももらえる。若いダンサーたちは絶対踊りたがる。20代の自分の踊りの映像を観ると、粗削りで力任せで、お客さんを意識しすぎている。若造が調子に乗って“高く飛べばいいだろ!”ってやってるだけなので、全然美しくない。あれは…走り幅跳びです(笑)。今はむしろ飛ぶ前のステップをキレイにして優雅に着地することに意識を置いています。だから今の方がきちんと踊りとして成立してるかな」

その筋のプロによると“熊川哲也×ドン・キホーテ”は、バレエ界が色めきたち、興行主は即飛びつく演目らしい。「とにかくスゴイ!」「ジャンプの滞空時間がハンパない」「10mは飛ぶらしいぞ」と、半ば伝説と化している。

「そのまま伝説にしておくのがいいかなとも思ってたんだけど(笑)。作品が素晴らしいし、こういう年齢まで踊ってこられて、バレエとの向き合い方を重んじていきたいと思って…」

35歳のとき、公演中に右膝前十字靭帯を損傷。そのころから少しずつ考え方が変わってきた。

「満足に踊れず、以前は踊ることでストレス解消していたのが、むしろ溜まる。そんな状況のなかで、バレエという世界をより深く考えるようになったんじゃないかな。自分が踊って観客から喝采をあびるのはもういい。観る人に、今のバレエが先人たちの礎の上に成り立っていることを伝えるのが、僕の出演者としての役割なのかなと思い始めたんです」

若いころは、バレエが職業になるなんて思いすらしなかった。

「中学生のとき、兄とその友達と家で『キャノンボール』という映画観てたんですよ。 “カウンタックがいいなー”って話をしてたら、兄の友達が“こんなの一生乗れねえよな”って言ったんですよ。札幌の普通のサラリーマンの家庭に育って、普通に勤めてもスーパーカーには乗れないだろうに、バレエなんかしてたらなおさらだ! って思い知らされた気になりました。

それを僕、買ったんです。プリンシパルになったとき、生活費を削って削って安~いフェラーリ。それで“ああ、ついに買えちゃったなあ”って」

今はフェラーリ246と206を所有する。けれど、それはかつての“達成感の証”とは少し違う。

「今では作れないものを作ったクラフトマンへの憧れ。バレエに対する気持ちと同じですね。生きていれば普通に時間はすぎるし、自然と未来はやってくる。その一方で過去は忘れ去られていくだけ。“それがあるからこそ今これをやっているんだ”ということを探しに行くのにロマンと使命感を覚えます。まあ20~30代、そのころの自分にできることをやり尽くしてきたから、そう思うのかもしれないけど」

未来像も、そこに起因している。

「僕を超えるダンサーを僕が育てたい。それは最高のバトンタッチだよね。自分を持ち上げるつもりはもちろんなくて。僕はつねに自分を俯瞰してます。“Kバレエ”のトップとして芸術監督として社長として。それで、僕がいなくても興行が成り立ち、バレエという文化と歴史を伝えていける状況を考えているんです。そしてそれがいかに大変かを痛感しているところ。ひょっとしたら夢かもしれない。でもこれが達成できたら…僕、ふんぞり返っていられるんですよ(笑)。家でキャンドルを灯して、グラスを傾けながら骨董を眺めて」

1972年北海道生まれ。10歳よりバレエを始め、87年に英国ロイヤル・バレエ学校に入学。89年にローザンヌ国際バレエ・コンクールで日本人初のゴールド・メダルを受賞。同年、東洋人として初めて英国ロイヤル・バレエ団に入団。93年、プリンシパルに任命。96~98年に「Made in LONDON」をセルフ・プロデュース上演。98年退団、翌年Kバレエ カンパニーを創立。芸術監督として自身の版で『ジゼル』『眠れる森の美女』『白鳥の湖』『コッペリア』『ドン・キホーテ』『くるみ割り人形』『海賊』『ロミオとジュリエット』『シンデレラ』などを上演、主演。今年1月よりBunkamuraオーチャードホール芸術監督も務める

武田篤典(steam)=文
稲田 平=写真

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