過去の失敗はリカバーした

村田諒太

2014.09.04 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 稲田 平=写真
2014年6月30日
現在の村田諒太の思い

『101%のプライド』は村田諒太の自伝的な著書である。インタビューのときにこの本をテーブルに置くと、彼は「本はコワイですね」と言った。この本は2012年のロンドン五輪の直後に書かれ、同じ年の冬に出された。本のなかでは指導者を目指すと書かれているが、翌年、彼はプロデビューした。
この件のみならず、「考え方は変わるのに、本の中で固定されるのはコワイ」というのが、彼の思い。次に自伝を出すなら、死ぬ間際にしたいらしい。そして「何年何月現在の考えですってただし書きを入れないと」と笑った。
取材が行われたのは、14年6月30日。9月5日のメキシコ・ミドル級王者、アドリアン・ルナ戦は、この時点では発表されていなかった。それゆえ「試合に臨むボクサーの声」ではなく、一風変わった「普段のボクサーの生の声」というインタビューになった。

―変わりました?

それはもう全然違うと思いますよ。本が出たのは、プロに来てからの新しい世界を知る前の話で、あれから1年半たちましたし

―日常はどういう感じで過ごしてらっしゃるんですか?

朝8時ごろ起床、子どもを保育園に送って、約10㎞走ります。帰ってきてごはん食べて、練習するのが2時ごろから。5時ごろに終わって、あとは会食とか仕事があるかとかで、家でごはん食べるかどうかが決まります。

―それが標準的な1日。

わりといい1日ですね。ルーティーンが崩れてなくて。

―練習後の“会食”とか“仕事”というのが、プロならではですね。

というより、そこはオリンピック以降ですね。オリンピックってみんなが見てるものだけど、ボクシングの世界戦なんてそうでもないでしょ? ボクシングの世界チャンピオンって、今、日本に何人いるかわかります?

―あ、すみません…。

そうでしょ(笑)。オリンピックだったら内村航平しかり羽生結弦しかり、スポーツとしての認められ方が違います。ボクシングは、ボクシング好きしか見ないけど、オリンピックだったらレスリングでも体操でもアーチェリーでも水泳でもみんな関心があって、メダル取るとドカーンと有名になりますよね。プロの世界チャンピオンになって、何回も防衛したら…たとえばフロイド・メイウェザーなんて年間100億以上稼ぎますから、そうすると人間変わるかもしれない(笑)。でも、“無名から名が知れる”という点では、あのときほどのことは、今後はないと思いますよ。

―あの本は、まさにそこにさらされるタイミングに書かれた。

過渡期ですね。それでずっと考えてたんですよ。僕自身は、ボクシングが好きで「自分自身の強さの証明」として、ボクシングをしてるんです。

―本にもありましたね。中学時代からそうだったとか。

でね、たまに岩手県の釜石の知り合いのところに遊びに行ったりもします。そうするとみんな喜んでくれる。僕も現地の子どもたちと触れ合うと楽しくて、モチベーション上がるんです。喜んでもらえると僕も嬉しいし。でもそこで、自分の存在が認められて嬉しいっていう感情もある。それを考え始めると、素直に相手を喜ばせたり助けたりすることに取り組めなくなる気がするんです。メサイアコンプレックスという考え方があるように、実は自己満足なんじゃないかと。

―無名だったらそこは何も考えなくていいんですけどね。

金メダル以降チヤホヤされて、ホントの自分とかけ離れた自分の像みたいなのを見せられると、“じゃあホントの自分ってどうなんだ”っていう迷路に入っていくんですよね。だから、考えて考え抜いた結果…あんまり考えるなと(笑)。何をどうしても、いろんな見方はあるから。考えに考えたわりにはすごくシンプルな答えなんですけど。

―自分が出てる雑誌って見たりします?

必要じゃないかぎりは見ないですね。ファッション撮影とかしていただいても、途中で写真を見せてくださるんですけど、“いや、いいです”って見ないです

―どうしてですか?

恥ずかしいから(笑)。僕じゃないみたいで。自分の見慣れない姿がこっ恥ずかしいんですよ。いい歳の男がまじまじと自分の姿なんて見ないでしょ…あ、そういう意味ではこれも変わった点ですけど、携帯のなかに自分の写真がえらく増えました。Facebookとかで必要なんですけど、“オレ、なんぼほど自分の写真撮っとんねん!”って思いますよ

人生に向かう姿勢は
基本、ネガティブ

―5月末にデビュー第4戦があって、年内2試合やってから来年ランキング戦という流れになってるみたいですが、試合はプロモーターが決めるんですか?

そうですね。試合は興行でもあるし、テレビ放送もありますから、その枠も考慮して決まるみたいです。まあここは僕がタッチする部分ではないんですけど、個人的にはもっとたくさんやりたいですね。選手によっては、デビュー以降、1カ月半に1戦ペースで試合している人もいますし。そこで自信をつけてランカーとの試合に臨み、日本チャンピオン、東洋チャンピオンという手順がある。僕はデビュー戦の相手がいきなり東洋チャンピオンでした。地道なキャリア作りが許されない環境は覚悟してます。ぶっちゃけ、育てる側にもプレッシャーはあると思いますよ(笑)。でも僕は帝拳の本田会長をすごく信頼してるので、その人が課してくれる試練はクリアしたいですね

―見てる方だって、“村田が負ける”とは思ってないですし。

いや、“負けろ”と思ってる人、意外といるんじゃないかな。やってる人間への好き嫌いは絶対あるので。キャラクターが立てば立つほどそこははっきり出るでしょ。僕なんかせいぜい“いいパパ”ぐらいの存在だと思う。

―その辺は、何か戦略的に話し合ったりはしてないんですか?

してないです(笑)。

―なぜプロに?

周囲のオリンピックの金メダルへの反応が想像と違ってたから。それによって“自分が一番強い”ということが証明できると思ってたんです。この階級では、日本人はずっと外国人に勝てないって言われ続けてきたし、事実48年間、日本人の金メダリストは出てなかった。だから達成したらすごいだろうと。でも、実際に僕がなれたのは“一番強いスポーツ選手”でした。“一番強い男”ではなかったんです。だからプロで世界チャンピオンになればそれが実現できるんじゃないかと。

―村田さん自身も“外国人には勝てない”って思ってた時期もあったんですよね?

はい。それを思い知らされたのは、2006年のドーハアジア大会の一回戦でした。相手はアテネ五輪のウェルター級金メダリストでしたが、そのとき僕はものすごく練習していてすごく自信があった。ミドル級で日本人は勝てない?そんなことない! 行くぞ!絶対勝つ!…って臨んだ結果、半端なくボコボコにされたんです。その瞬間、僕のメンタルは崩壊したんです。そのときに学んだのは、ポジティブになり過ぎない、ということですね。

―面白いなあ。

フランクルというユダヤ人心理学者の本を読むと、むしろネガティブな方が、そもそも予防線を張っていることで、何かあったときに安全だと書かれてました。ナチの収容所で「解放される」という噂が流れて、それがデマだとわかったとき、体力を失ったり、自殺したりするのはポジティブな人たちだったと言っています。

―その後、ネガティブシンキングを手に入れたと。

オリンピックで金メダル取ったときってものすごく練習したし、神様に背かないような生活を送って臨んだ。“勝ち負けに大した差はない。実力を出すんだ”っていうメンタルで行った。でも負けてたら、もうボクシングなんてしようと思わなかったと思う。たぶん結果を残せっていうことだと思う。成功体験がメンタルの裏付けになるんじゃないかと思うんですよね。今の僕は、ロンドンオリンピックでの金メダルで過去の失敗は全部リカバーしたと思っています。プロになってからも…2戦目のときに“倒そう”っていう思いが強すぎて、練習してきたのとは違うヘンなボクシングをしてしまったけど、それも3戦目4戦目で取り戻せた自負はあります。

―今はそれが正しいと思っていても、また覆されるときはあるかもしれないですね。

あるでしょうね。でもフランクルが言うには「人生が人間へ問いを発するのであって、人間が人生の意味を求める必要はない」と。僕らは人生がしてくることに対してどう答えるかが重要なんだと思ってるんです。

1986年、奈良市生まれ。WBC世界ミドル級11位。プロの戦績は4戦全勝(4KO)。中学時代からボクシングを始め、名門・南京都高校で生涯の恩師・武元前川先生と出会って開花。インターハイと国体合わせて5冠を得る。進学した東洋大学では日本選手権を制するも、卒業とともに引退。母校の職員兼コーチとして勤務しながら、09年に復帰。12年ロンドンオリンピックで日本人としては48年ぶりのボクシングでの金メダルを獲得。13年よりプロボクサーに。

武田篤典(steam)=文
稲田 平=写真

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