先輩が熱く語る!俺たちのR22時代

佐藤可士和「入社時の苦い思い出」

2015.02.26 THU


さとう・かしわ 1965年、東京生まれ。多摩美大卒業後、博報堂入社。最新著作『佐藤可士和の打ち合わせ』(ダイヤモンド社)は、ユニクロ、ヤンマー、三井物産と名だたる企業との打ち合わせを有意義に展開してきた可士和さんならではの、打ち合わせに革新をもたらす1冊 撮影/小島マサヒロ
「いわゆるR22時代のことは、ものすごくビビッドに覚えてる。もう25年以上前なんだけどね」

本人いわく「本当に苦い思い出(笑)」だったから。その年、博報堂の新卒デザイナーの採用は4人。憧れていたクリエイティブディレクター(CD)の大貫卓也さんと同じ会社に、狭すぎる門をくぐり抜けてたどり着いた。「オレが広告業界を変えてやる!」と意気揚々と社会に漕ぎ出したら、いきなり座礁。関西支社勤務の辞令が出たのだ。

当時も大きな広告の仕事はほとんど東京に集中していた。

「僕は、会社でエラくなりたいとは思っていなくて、帰属意識はかなり低かったと思います。それよりもアートディレクター(AD)として認められたかった。それで、制作局のトップに“会社辞めます”って言いに行ったんです。そしたら“始まってもいないのに辞めてどうする!”って怒られた(笑)」

大阪ではとにかく「僕にアートディレクターやらせてください」と言いまくったという。東京の博報堂には制作室が5つあり、200人以上のクリエイターがしのぎを削っていた。普段から面白い新入社員は、部署の枠を超えて注目された。対して大阪の制作室はひとつ。広告の案件も、若者が面白さを見せるチャンスも東京より圧倒的に少なかった。

「だからとにかくアウトプットしないと認めてもらえないというプレッシャーが強くて。できもしないのに“ADやりたい”“ADやりたい!”って(笑)」

それでホントに仕事ができてしまうのが、当時の大阪の規模のほどよさとノリのよさ。あるCDから「オマエおもろいやっちゃな」と声がかかり、気づけばいくつもの案件で、ADを担当する。

「いえ“ADもどき”です(笑)。“要はアイデア考えて作ればいいんでしょ”って思ってた。カメラマンへの発注の仕方とか予算とか何にも知らなかったけど、とにかく周りが手取り足取りサポートしてくれたんです。仕事は博報堂という会社で受けているわけで、営業もマーケッターも入れて10~30人ぐらいの社員が関わっているから、そこの安心感はありました。全員が成功させようと一生懸命働いているし、誰かが見ていてくれた」

会社組織の良さとチームプレイを学び、結局3年半、大阪でのびのびと仕事ができたのだった。

ただクリエイティブに関しては悩みが尽きなかった。

「美大に入ってから20代はずーっと悩みっぱなし。広告で取り上げた商品が売れるのは、当然の評価。でも、クリエイティブ業界では別の見方があります。広告の効果がどうであれ、クリエイション自体を評価されるものもいっぱいある」

商品は売れなくてもその広告は「良い」と言っていいのか。広告本来の役割を果たしたうえに、クリエイティビティを発揮しなければならないのはわかってはいるが、簡単にはできない。憧れの大貫さんのチームと仕事をしたのはそんなときだった。

「大貫さんにはそんなつもりなかったと思うけど、この時代は『デザイン虎の穴』でしたね(笑)」

とにかく話すのだ。たとえばサントリーの案件なら、ウイスキーとは何か? サントリーとは何者だ? ウイスキーの価値は? どんなウイスキーのシーンがかっこいいのか?…広告の案などには手も付けず、夜通し話し合う。

「そういうふうにして、まずはいかにして本質をつかむか、というところから始めるんです。大貫さんは普通に走っていたけど、こっちは全力疾走でついていく感じ」

それが30歳で実を結ぶ。ホンダ、ステップワゴンのキャンペーンだ。ユッスー・ンドゥールが歌うビートルズの「オブラディ・オブラダ」に乗って、絵本のような素朴で楽しいグラフィックのなかにクルマがいる。コピーは「こどもといっしょにどこいこう」。

「固定観念とか既成概念が自分のなかでパッと取り払われたんだと思うんです。本質に向き合っても、アウトプットには自分のセンスや考えにこだわるのがクリエイティブだと思っていました。でもこのときは、自分がイメージしていたのとはまったく違うものができたんです。より一層本気で本質に向き合っていった結果、クリエイターのエゴを捨てられて、やるべきことが見えたんですね」

自信作で、かつクルマが売れ、最後にはずっとほしかったADC賞も獲得した。

「ここで、僕は“自転車に乗れるようになった”んだと思います。遅いしヨロヨロするけど、少なくとも転ばなくなった。クリエイティブとビジネスを両立させる仕事の方法論が、ようやく、わかった瞬間です。“広告キャンペーン”はスプリント競技のようなものだから、0コンマ数秒を縮めることを目指すようになり、今、取り組んでいる“ブランディング”は、どちらかというと長距離のロードレース。まったく違う競技だけど、一度自転車の乗り方を覚えたからいろいろなプロジェクトができるのは間違いないですね」

大阪勤務が決まったとき、辞めなくてよかったのである。

「まあ、みんなが希望の仕事につけるわけじゃないですよね。でも、少し様子を見た方がいい。僕がやってるブランディングの仕事も、最低3年はかかります。ヒアリングを重ねて課題を整理し、ゴールイメージを設定して戦略を組み立てる。スタートして、ようやく1年ぐらいで何かを発信し、その後、最初とは違う展開をしていくこともある。つまんない、と思ってもまず3年かな。そうすればいろいろ変わるものですよ」
(武田篤典/steam)

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