先輩が熱く語る!俺たちのR22時代

若田光一「全体像を意識すること」

2015.02.26 THU


わかた・こういち 1963年埼玉県生まれ。九州大学大学院工学部卒業。5月にはJAXAの後輩である油井亀美也宇宙飛行士が、ISSの第44次/第45次長期滞在クルーとして宇宙にフライト予定。現在はNASAミッションコントロールセンターでのキャプコム(通信担当)の訓練を重ねている 撮影/稲田平
さすが宇宙飛行士! という正確さで、取材時間きっかりに若田光一さんが現れた。とはいえそれはオンラインにつながったモニタ越し。若田さんは現在、勤務先のヒューストン、NASAにいる。

「時間に正確なのは、航空機の整備士時代からです。定時運航の妨げになる可能性がありますから」

“前職”は旅客機の整備士。九州大学で航空工学を学んでいた若田さんは、1985年の日航ジャンボ機墜落事故、86年のスペースシャトル「チャレンジャー号」爆発事故を目の当たりにし、「飛行機の構造を学び、社会の役に立ちたい」と考え大学院に進む。社会に出たのは、25歳のときだ。

「JALに入社後3カ月の研修のあと、約2年間成田整備工場で航空機の構造整備に携わりました。毎日大きな飛行機の近くで、ときに油にまみれて。目指してきた道ですから、充実した日々でした」

夜勤もあれば、自分の技量不足で苦労したこともあったが、「それも楽しかった」と振り返る。

「目立った失敗はありませんでしたが、小さな亀裂が生じた構造部材にアルミ合金の補強材を製作して取り付けるとき、うまく部材のカーブに合った形状を作れず、何度も板材を曲げ直した記憶があります」

その後、羽田空港整備場の近くのシステム技術室で、機体構造の修理や改修のための技術指令書の作成業務に従事。学生時代に研究した航空機の構造学や、整備工場の現場で学んできたことが生かせる部署だったが、転属から1年で大きな転機を迎える。「無理だろう」と思いつつ受けた宇宙飛行士候補者募集試験に合格。JALを退職することになったのだ。

「JALには3年間しかいなくて、整備技術者として一人前になる前に退職したんです。振り返ると、素晴らしい先輩の指導の下で、航空機構造の整備技術の基礎を学べ、充実した会社員時代でした。その経験は、宇宙機の整備や修理に関する作業を担当する上でも非常に役に立っています」

ミッションスペシャリストとして宇宙船外のロボットアーム操作などを行うことになる若田さん。学んだノウハウが役立ったようだが、それ以上に会社員の経験自体も大きな財産になっているとか。

「技術者だけに専門分野に集中しがちでしたが、組織全体の流れを見られるような研修も受けました。世の中には自分ができないことの方が多いわけですからね。組織の中での自分の役割をきちんと把握するためにも、全体像を意識することが大事だと思います」

自分の仕事は、組織や社会全体の中でどんな位置づけにあるのか俯瞰する目を持つこと――これが地球の全体像を視野に収めた先輩のアドバイスである。

「自分の知識を深める、仕事の幅を広げる、趣味を充実させるなど、人生にはいろいろなテーマがあると思います。そのためにアンテナを広く張り、世界中から発信される多くの情報をタイムリーにうまくキャッチして役立ててほしい。取捨選択は自由ですが、世の中にはすばらしいことが満ちあふれているという事実を、忘れずにいてほしいですね」
(吉州正行)

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