先輩が熱く語る!俺たちのR22時代

田中良和「仕事は選り好みしない」

2015.02.26 THU


たなか・よしかず 1977年東京都生まれ。99年大学卒業。「当初はビジネスになるイメージがまったくなかったんです」という「GREE」だが、その後モバイル分野へ進出しソーシャルゲーム事業などのヒットで急成長した 撮影/小島マサヒロ
大学時代、「とにかくインターネットの会社に入りたかった」というグリーCEOの田中良和氏だが、就活中の1998年はネット=ビジネスという考え方はまだあまり浸透しておらず、選択肢は限られていたとか。そこで入社したのが、ソニーコミュニケーションネットワーク(現So-net )。

「経営企画に配属されたんですが、『カスタマーサポートで研修してこい』といわれ、3カ月電話を受けていました」

その後、海外のプロバイダーとの交渉や、サービス料金の設計にも関わるが、「やりたかったコンシューマ向けのサービス開発の仕事はこの会社ではできない」と気づき、入社半年で楽天への転職を決意する。

「そのころネットベンチャーはまだ海のものとも山のものともつかない業界でしたから、多少の抵抗感はありました(笑)。ただ、ゼロからサービスを作り、世の中に価値を出したかった。給料は少し下がりましたけど」

当時祐天寺の雑居ビルにオフィスを構えていた楽天は、50人程度の規模。だが毎月20人くらい増え、成長フェーズにあった。

「社長の三木谷さんに『営業だ』といわれて入社したんですが、出社初日『やっぱり企画で』といわれて。パソコンを1台だけ渡されて『僕、何をすればいいんでしょう?』みたいなスタートでした」

よくいえば自由な空気のなか、がむしゃらに働いたという。

「何もわからなかったので、ユーザーからのメールに返信することから始めました。するとヘルプページがないことに気づいたので自分で作ったり、メール返信用のテンプレートを作ったりしました。入社直後に『ネットに詳しいから』という理由で、中途採用した営業マンを相手に『ネットとは何か?』という研修の講師を任されたことも(笑)」

家には着替えに帰る程度で、休日もないような働き方だったが、充実していたという。

「だってやりたいことでしたから」

スキルがなくても、果敢に挑戦をしていたという。

「1年たったとき、新規サービスを立ち上げることになったのですが、エンジニアが足りなかったんです。仕方ないので1週間独学してプログラミングをどうにか覚えて自分で開発しました。『やらされている感』はまったくなく、新しい価値を生み出す喜びを感じていました」

その2年後、趣味で運営していたSNS「GREE」の規模拡大にともない、独立。そんな思い切った行動ができるからには「若者は起業すべし!」という考えの持ち主かと思いきや、「高確率で失敗するし、人にだまされることもある。基本的にオススメしない」と語る。覚悟のうえでいずれその道を選ぶにせよ、就職先で経験を積むことが大切だという。

「たとえ嫌な仕事でも、やった方がいいんです。やれば細部までわかる。会社はお金までくれて仕事を教えてくれる学校みたいなもの。若手のうちは、やりたい仕事ができないと思うかもしれませんが、上司も先輩も、本当は早く仕事を振って楽になりたいんです。任せたら不安だから任せられないだけ。好きな仕事をする近道は、仕事を選り好みせず、“できる”人材になることです」
(吉州正行)

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