人間への興味だと思います。 ― 土屋敏男、『電波少年』と『ライフビデオ』の共通点を語る。

土屋敏男

2015.06.25 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 稲田 平=写真
誰かの人生を、
プロの技術で映像化

最初に説明すると、ライフビデオとは土屋さんをはじめとするプロのテレビマンが、人生を映像化する事業だ。本人が自分の功績を称えてほしくて作る場合もあるし、亡くなったお母さんの思い出に息子さんが発注する場合もある。個人だけでなく、家や会社の歴史、取り組んでいる伝統産業や事業などを紹介する映像も作ってくれる。著名人との対談も、ご予算に合わせて応相談らしい。

公式サイトにはそんな映像がいくつかアップされている。たとえば愛媛県生まれの見知らぬ女性の人生。いかにしてガソリンスタンドを経営し事業を拡大し、孫に愛されたか。知らない人の関係ない話なのに、なぜか胸を打たれるのだ。

「そもそも多くの人に観てもらうようには作ってないんですけどね(笑)。本来80年の人生は80年ないと語れません。それを二十数分のビデオで安直なダイジェストにするのは、実はたやすい。ハイライトになるシーンを並べてつないで、感動的な音楽をつければ完成します。でも僕たちは人生の縦軸をきちんと見つけ出して、それに添って編集していきます。ディレクターが責任を持って“あなたの人生を僕はこう受け止めました”というフィルターを通じて表現しないと、相手の方に対して失礼です」

―土屋さんをはじめ、ベテランのテレビマンのみなさんは発注に対してある程度経験値で作れそうな気がするんです。でも一件一件真摯に向き合う。そこの折り合いはどうつけてるんですか。

「実は、経験値で回答を出すことはないんです。それは番組を作ってたときから、変わりません。“なるほどそう来たか、じゃあこうだな、ハイ完成!”なんてやってる番組、つまらないじゃないですか。そう作ったら制作者として負けだと思いますね。作ったものが100点を取ることは絶対にあり得ないので、毎回ゼロに戻って作る。『電波少年』で猿岩石にヒッチハイクをさせているのを突然やめることはないけど、今週たどりついた地点から先の作り方は、無限大じゃないですか。毎度毎度そこからどうすれば面白いかを考えるわけです。ライフビデオもまた、その人と初めて会って、その人の人生を“自分はこう感じてこう残したい”と考えることが大事。すべての人の人生は違うし、作る人の受け止め方によっても変わってくるので、やっぱり毎回ゼロからのスタートです」

―土屋さんが、日本テレビに企画を提案して始められたんですか。

「はい。すると“やるがよい”と(笑)」

―狙いは何だったんですか?

「テレビが持ってるアーカイブとか、テレビが映像を作る力をテレビ以外の未知の領域で使うこと。将来的には誰もが自分の人生をビデオで残すようになる、その先陣を切ることができればいいなと思ったんです。そういう時代になったら、たぶん、最初にやり始めたわれわれはきっと儲かってることになると思います(笑)」

編成部長という転機。
テレビからの離脱

92年から始まり、アポなし企画とヒッチハイクで一世を風靡した『電波少年』のシリーズは02年に終わる。01年に編成部長となって以降の土屋さんは流転だ。CS日テレで『電波少年的放送局』という企画を始め、03年からはメディアコンテンツ部局次長に。05年から『第2日本テレビ』編集長を兼務。その後、セカンドライフをテレビで本格的に取り上げ、間 寛平がマラソンとヨットで地球一周に挑んだ『アースマラソン』の演出・プロデュースをした後、ライフビデオにたどりついた。

―全然テレビじゃないんですね。

「それもこれも編成部長になったからです。編成部長というのは日本テレビの番組表を作る人です。そのときだけじゃなく、未来でもなるべく勝てて儲かるものを作らなくてはいけません。で、過去の各局の視聴率を自分なりに分析したら、僕のなすべきことが世代交代だとわかった」

―どういうことでしょう。

「番組をヒットさせてバリバリ働く人たちって、自分たちの番組が下降線を描いてきてもあきらめずに踏ん張るんです。しばらくジタバタしてから次世代にバトンを渡す。でも渡されたヤツらは番組を作ったことがないので、モノになるまでまた時間がかかるんです。旧世代が負け始めて3年、次の連中がチカラをつけるのに3年、ようやく当て始めるのに3年…だいたいテレビ局って9年で復活するんですね。ということが過去のフジテレビとうちの数字を見ていてわかった。ならば、そのサイクルを早めれば、それだけ早く栄光の時代が来る。ということは、今がんばってるヤツらができるだけ早くあきらめて表舞台から去り、次の若いヤツにどんどんやらせること」

―で、率先して舞台を降りたと。

「そうです。でももの作りはしたいので、“なんとかテレビをやらないでものを作るには”ということを模索し始めたんです」

―作る場所はテレビじゃなくてもよかったんですか?

「むしろ、テレビを次世代に引き渡すことが大切だったので。CSが始まったときには、スタジオ作って、寝てるところまで24時間生放送したし。第2日テレではインターネットで広告・有料のハイブリッドを目指した。全然成功しなかったけど(笑)。ただ『アースマラソン』はナントカ黒字にしましたよ」

―「やっぱりテレビやりてえなあ」とは思わなかったんですか?

「誰もが開拓していない荒れ地みたいなところを探して、“ここは耕せばなんとかなるかもしんないのに…”ってブツブツ言いながら、木の根っこ抜いてるみたいなことが好きなのかもしれないですね」

―もともと土屋さんのなかにそういう傾向があるんですか?

「サンプルで自分のライフビデオを作って気づいたんですけど、あるかもしれません。高校のときの仮装行列では、みんなが竹と紙でハリボテを作るなか、僕らだけはビニール袋を貼りあわせてヘリウム入れたりしてましたし、大学祭でも学生だけのコンサートを企画したり。ただ、おそらく“誰もやらないことをやろう”と強く決意したのは、仕事を始めてからですね」

―そうなんですか。

「僕が『電波少年』を始めたのは35歳だったんですが、その3~4年前に『ガムシャラ十勇士』っていう番組を作ったんです。『元気(が出るテレビ!!)』を2年半で離れて、いわゆる一本立ちですね。金曜夜7時からの30分番組でしたが、最低視聴率が1.4%(笑)。半年で終わりました。その後、別の枠で『恋々!!ときめき倶楽部』っていうのをやるんですけど、3%台。それで“コイツ制作ダメだ!”って一度編成に戻される。『ガムシャラ』はTBSの『風雲たけし城』のパクリで、『恋々』は関テレの『ねるとん紅鯨団』のパクリでした。当時、上の方から“ああいうのを作れ”という指令が来まして(笑)。パクってうまく作れるヤツはいるけど…」

―土屋さんは苦手だった。

「ド下手クソです(笑)。一本立ちしたばっかりのときに、こんな痛烈な失敗をしたので、骨身に沁みたんですね。僕はもうパクリはしない、と。パクリというのは、いわば“当たる保証があるもの”ですよね。よそが当ててるから、うちでもやろうっていう。だから『電波少年』を始めるときには、当時の35年のテレビの歴史のなかで誰もやってこなかったような番組を作ろう、というところから始めたんです」

―ライフビデオも同じですよね。

「そうですね」

―あの悪逆非道な『電波少年』の“T部長”と、真摯に誰かの人生を汲み取る今の土屋さんを同一人物として見るには、どこに共通項を見いだせばいいんでしょう?

「人間への興味だと思います。猿岩石も松村(邦洋)くんのアポなし取材も、“人間って追い詰められるとこんな顔するんだ、こんな雰囲気を醸し出すんだ”っていう。それがチャーミングだと思うんですよ。従来のバラエティって、実績のあるタレントさんが面白いことをするものでした。たとえば当時の猿岩石なんてほぼ素人だったんですよ。そんな彼らが追い詰められることで“人間誰しも面白い”ということを証明してくれた。それは『ウリナリ!!』で社交ダンスに挑戦していた南原(清隆)しかり。彼だから面白さは増幅していましたが、“がんばって練習して勝った! うれしい!”っていうのは、誰もが感じるところですよね。ライフビデオのこの3年で40本以上のビデオを作ってきましたが、世の中の人は誰もみんな、ホントに面白いんですよ。たとえば最初に撮った、区役所を定年退職した女性。子どもを産むときに直感的にお母さんのところに行きたいと思ったこととか、その日のことを克明に語ってくれる瞬間、それは樹木希林にも森光子にもできない“100点の間”なんですよ。それを切り取るにはこっちもゼロからひたむきに向き合わないとできないですね…最後に最近思ってること言っていいですか?」

―はい、ぜひとも。

「みんな“メシ食いたい”と思いすぎだと思うんですよ。“メシ食わないと死んじゃう”っていうけど、今の日本、必要最低限のメシなんて、食えます。“少しでもいいメシ”を食いたいから、そっちに向かってしまう。すると“いかにハズさないか”がチームの目的になってしまう。僕たち一人一人は本来“ハズさないこと”を目的にもの作りをしてるんじゃない。でもチームになるとそうなってしまう。だから“オレはメシを食わなくても平気!”って一回決めて自分の仕事を見直してみる。そうすると失敗なんてこわくなくなる。“コレ外さないと思われる”っていうのは、ものを作ることとは違う次元の話。そこを離したりくっつけたり見方を変えてみるといいと僕は思います」

日本テレビ放送網編成局ゼネラルプロデューサー、LIFE VIDEO株式会社代表取締役社長。1956年静岡県生まれ。一橋大学卒業後日本テレビに入社。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』でテリー伊藤に師事。メインプロデューサー兼演出を担当した『電波少年』シリーズでは自ら登場し、出演者に過酷な企画に挑戦するか否かを問うた。『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』なども担当

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