ニコライ・バーグマン、日本で培った”我慢”の美学

ニコライ・バーグマン

2016.03.10 THU

ロングインタビュー

ニコライ・バーグマン
1976年デンマーク・コペンハーゲン生まれ。98年より日本でフラワーアーティストとしての活動をスタート。2001年「ニコライ バーグマン フラワーズ & デザイン」を創設。国内外で様々なプロジェクトを手がける。6月9〜12日には太宰府天満宮で2度目となるフラワーアートエキシビション「新花(SHINKA)」を開催する
色とりどりの花々がぎっしり箱に詰まった”フラワーボックス”。それを生み出したのは、デンマーク出身のフラワーアーティスト、ニコライ・バーグマンだ。初めて来日したのは19歳のとき。一度デンマークに帰国するも、改めて日本で挑戦したいという思いから再来日。以来18年、日本語はペラペラになり、日本はもとより、海外でも名を馳せるようになった。その世界観は、マニッシュにしてミニマル。そしてどこか和の雰囲気も感じさせる。この日は、その美学がたっぷり詰まったインスタレーション「Singing Nature」の公開日。古賀敬司の開発による植物が音楽を奏でる“植物スピーカー”を使い、ニコライが手がけたオブジェの草木から、大沢伸一が作った楽曲が流れる。先進的でアーティスティックな取り組みだ。

人がくぐれるほどの草木のアーチがあって、四方から音が聞こえる大規模な演出。ボックスのような目の前に存在するアレンジメントを想像していたので、意外に感じる人も多そうだ。

「この話をいただいたときに、まずどんな植物が音を通しやすいか色々試してみたんです。その結果はユリや葉っぱでした。人が中に入れるドーム状のオブジェにすることで、包まれているような感覚になり人が植物や音楽と一体になれると考えたのです」

ドーム状のオブジェは、大小様々な葉が木を覆ったような、幻想的な様相を見せる。

「僕のやり方は、基本的にはスケッチなどをせずにアドリブです。草木と出会ったときに生まれる新鮮な感覚を大切にしていて、その場で作り上げていきます。今回はかなり自由にやらせてもらったので、『葉を綺麗に感じてもらう』がテーマ。求められていることを大事にしながら、自分のやりたいことを加えていくのが大切です」

その作業は「すごく楽しいです!」。ただ一方で、これらを含め様々なプロジェクトを抱えている。すべて自分で手がけることは当然できないはずだが、アーティストとしてジレンマはないのだろうか。

「おかげさまで常に何十個ものプロジェクトを抱えています。現場に行けないことも多いですが、大事なことは、ニコライ・バーグマンのクリエイティビティをスタッフと共有することです。10年以上働いているスタッフもいるので、信頼して任せていますよ」

今や150人以上を抱える法人の代表でもあるが、もともとはデンマークでフラワーショップをやりたかったという。

「16歳のころ、専門学校に入ったんです。28人ほどのクラスで、先生が『花屋さんをやりたい?』って聞いたら、そのときは全員手を挙げました。でも3年後、もう一度その質問があったとき、僕を含め3人しか手を挙げなかった。授業や研修を経てフラワーショップで働く大変さがよくわかったんですね。19歳のときに卒業旅行で日本に来て、フラワーショップで3カ月働いてみたんです」

卒業旅行で「働く」というのは日本人にはなかなか想像がつかないが、ニコライにとっては“チャレンジ”が人生の醍醐味なのだ。

「人も言葉も食べ物も違う場所で何かチャレンジがしたかったんです。和の文化も洗練されていたし、日本の経験はすごく刺激的だった。そこで帰国してデンマークで働いた1年後、もう一度チャレンジしたんです。そこからしばらくは、がむしゃらに働きましたね。仕事仲間もヨーロッパで学んだことに興味を持ってくれた。それが落ち着いてきたら、日本の文化を学んで、自分の花がおもしろくなるにはどうしたらいいか、突き詰めていきました。ようやく形になったのは、2003年くらいですね」

ニコライ・バーグマンの名前が世に出始めたのは、ちょうどそのころ。セレクトショップ「ESTNATION」の一角にあったアレンジは世間に衝撃を与えた。箱に花をぎっしり詰め込んだフラワーボックスは落ち着いたカラーを基調に、ビビッドなカラーが織り交ぜられ、人気商品となった。

「こういうフラワーショップは、日本になかったと思います。デンマークでも珍しかったと思います。お花というと、女性的でふわふわ~っとしたイメージでしたから」

やがて、いたるところで“模倣”も生まれたが、「そこは自分ではなんとも言いにくいけれども(笑)。ただうれしかったのは、市場の人にフラワー業界が健康的になったと言われたことです。すごくうれしかった」と笑う。むしろ、それどころではなかったというのが適切かもしれない。

「あのころは全部自分でやって、毎日ショップに立っていました。自分でどうにか無理矢理回して、もう24時間じゃ足りない!…ってなったときに、少しずつ仕事を振り分けていきましたね」

失敗の経験を尋ねても、「う~ん、失敗…。がんばりすぎたのはありますけど、それは仕方のないことだから」。前向きだ。

「日本の考え方で最高に勉強になったのは、『我慢する』という考え方ですね。今でもすごく大事にしている。あとは若いうちに日本に来たのがよかったのかな。30歳とかで来ていたら、『言葉も通じないし満員電車だし…もうイヤだ!』というのにとても耐えられなかったと思う。自分の限界の山を何度も乗り越えてきた。苦労するなら、若いうちだよね」

矢切渡司=取材・文/林和也=撮影

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