リオ五輪金メダリストが新社会人へメッセージ

登坂絵莉「どれだけ嫌でもやりきることが大切」

2017.02.27 MON

フレッシャーズ 生活白書「R22」 > ロングインタビュー
登坂絵莉
とうさか・えり
1993年富山県生まれ。至学館高校に入学し、全国高校女子選手権を2連覇。世界選手権3連覇中。2016年に東新住建へ入社、レスリング部所属。同年リオオリンピック女子レスリング48㎏級で金メダルを獲得。次の目標は東京オリンピック。「今から気持ちが向いています。絶対に勝ちたい!」と気合十分だ
リオオリンピック女子レスリング48㎏級で金メダルの栄光を掴んだ登坂絵莉選手だが、かつて「やめたい」という思いに駆られたことがあったという。それは、中学時代から活躍し、憧れの吉田沙保里選手の背中を追い、名門・至学館高校の門を叩いたとき。

「チャンピオンがたくさんいて、練習にもついていけないし、一番小さいし、誰にも勝てない現実を思い知らされたんです」

唯一の相談相手は中学時代の恩師。吐いた弱音が父親の耳に届き、1通のメールが届いた。

応援も期待も悔しさも、成長のためのバネになる


「進路は絵莉の好きなようにしてください。怪我に注意して毎日誰より練習して、一番になれる日を願っています…という内容でした。裕福な家庭じゃないのに、いつかチャンピオンになれると唯一信じて支えてくれた家族を裏切りたくないと思い、続けると決めました。そうしたら、高1で全日本2位になれたんですよ」

当然練習はがむしゃらに続けていたが、暗中模索の日々だった。だが一度“指針”ができると目標が生まれ、行動に具体性が伴う。

「もう少し頑張れば勝てるって。すると翌年の2012年の全日本で優勝できました。でもロンドン五輪の年で、前回負けた小原日登美さんが代表として欠場した大会で。世界選手権にも出ましたが、決勝で逆転負けを喫してしまいました」

誤審とも言われた判定が下り、悔しさに駆られた。だがそれは大きな“自分の失敗”だと振り返る。

「大差で勝てなかった私の弱さで、誰かに結果を変えられるような戦い方をしちゃダメだと思いました。それに全日本だってラッキーで優勝できたようなものだし、ちゃんと実力で段階を踏んで、もう一度世界を目指したいと思ったんです」

帰国した夜から練習を始め、携帯の待ち受けは相手に判定が下る旗の写真。悔しさはバネになる。練習の鬼と化し、翌13年、みごと世界選手権で優勝を果たす。

乗り越えるたびに壁がそびえる。でもそれはとても幸運なこと


「でもチャンピオンだったマリア・スタドニク選手(アゼルバイジャン)が産休で欠場した年で。真のチャンピオンじゃないと、私も周囲も思っていました」

適度な目標がその都度現れる人生を「幸運だ」と語る。勝者の重圧に潰れることも、慢心に溺れることもなかったからだ。翌年の世界選手権で2連覇するが、産休から復調できなかったスタドニクとは、一度も戦うことがなかった。

「ようやく翌年の世界選手権で、接戦で勝てたんです!」

気づけば世界選手権3連覇。だが、初めてのスランプに陥ってしまった。間もなくもっとも大きな目標が控えていたにもかかわらず。

「沙保里さんに『オリンピックチャンピオンを目指してきたんでしょ? 出られない子たちもこうやって練習しているんだよ。絵莉が頑張らなきゃ失礼じゃない?』と言われ、その瞬間に気持ちが切り替わりました。何かを成し遂げるには、絶対に強い意志が必要で、どれだけ嫌でもやりきることが大切だと思います」

迎えたリオ五輪の決勝の相手は、またしてもスタドニク。追い上げたものの、なおも1ポイント差で苦戦が続く終了12秒前。隙を突いて相手の右足を抱え込み、逆転勝利の栄冠を手にした。笑顔とガッツポーズは、失敗の苦難を乗り越えてきたゆえのものだろう。

吉州正行=取材・文/林和也=撮影

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