「それなりに生きていくことには興味がない」

宮本亜門

2006.11.30 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
火花が散ってからは20代、全力疾走

実家は新橋演舞場の前の喫茶店。もともと松竹歌劇団でダンサーだったお母さんと毎日のように劇場に通っていた。日本舞踊は幼稚園から。謡曲や茶道にも親しむ…演出家としては完璧な経歴だ。だが、中学や高校においては“ちょっと変わった子”になってしまう。人と話をするのが苦手だったということもあり、学校から足が遠のく。約1年半の引きこもり生活。

「真っ暗な部屋でレコードを聴いてました。頭の中にどんどんイメージが膨らんで花火のようになって、“ああ、これを視覚化したい! 誰かに見せたい!”と思うようになったんです」

それが始まりだった。通常、演出家になるためには、劇団や大学のグループなどの演出助手から始めなければならないが、宮本亜門は、まず演じる側に立った。「役者の気持ちがわからないと、一方的に何かを押し付けてしまうのではないか」という恐れを持っていたし、「演出助手の仕事をしているうちに自分の感性が消されていく気がした」から。そのため“オマエは絶対演出家にはなれない”と言われ続けた。

「ちょいちょい不安にはなりました。でも僕の強みだったのは、舞台を愛し続けた母が21歳のときに死んだこと。その日は僕が出演した『ヘアー』というミュージカルの初日だったんです。誰が何と言おうとすごいバトンタッチじゃないですか。“あとはおまえに託したよ”って、言われたんだと思いました」

母上は口ぐせのように“絶対に世界に行きなさい”と言っていたという。どうせ演出家になる道筋はわからないのだ。宮本亜門はそれを実践した。

「21歳ごろから、夜、六本木でバイトしてました。1日おきにキャバレーの女の子にダンスを♪ハイハイハイハ~イ♪って教える結構気楽な仕事だったけど(笑)。お金をためて、年に2回はNYにダンスレッスンに行って。並行してダンススタジオもやってたんですが、これがうまくいかず、借金を抱えて煮詰まってしまって…ロンドンへ行ったんです。でも逃避行なんです(笑)」

公式なプロフィールには留学と書かれてるが、「“遊学”にしてほしいって言ってるんですよ」。ロンドンではアルバイトをし、ほとんど日本人に会わずに友達を作り、本場の舞台を観て過ごした。面白おかしく日々過ごし、1年半ほどが過ぎたある朝、目を覚まして驚いたという。

「僕、号泣してたんですよ。“一生演出家になれないんじゃないか”という恐怖感。こんなに楽しいのにやりたかったことが何ひとつできていないと気づいたとき、ロンドンの町はまったく興味のないものになっていました」

帰国。舞台の企画書を書きまくり、あちこちに送りまくり…玉砕しまくった。ロンドン帰りの自分のことを誰もわかってくれない。電話で愚痴を言い続けていたら、友達が怒り出した。

「“何も作ってない人をどうやって認めればいいっていうの! ナマイキ言わないで何か作んなさいよ!”って。“わかったよ! 作ればいいんだろ”って言ったんですけど、そうか企画書じゃなくて、自分で舞台を作ればいいんだと、そのときに気づいたんです」

わずかな貯金と借金で築地本願寺のブディストホールを押さえ、「たとえ10円でも、絶対にギャラは出すから」とあらゆる知り合いに連絡し、スタッフを編成。「その電話からだいたい3カ月後にできあがったのが、『アイ・ガット・マーマン』でした」。

ブロードウェイの女王と呼ばれたエセル・マーマンを3人の女優が演じるという、奇抜だけれどシンプルな舞台は大成功を収め、翌年、文化庁芸術祭賞を受賞することになる。

「僕にとってはクラブ活動みたいなものでした。それでいろんな友達が観に来て宣伝してくれて、女性誌が僕のことを“灰皿投げそうもなくて面白そうだから”って取り上げてくれたり。そういう出会いが積み重なって大劇場もやらせてもらえるようになり…子どものように“やりたいやりたい”って言い続けてるのを誰かが聞いてくれて実現するようになったり…」

だがこのときはまだ、「演出という道具をもらった」自覚はなかった。それにはさらに10年を要することになる。

演出という道具を手にしていることを実感

デビューしてからの10年間は、疾走してきた20代の余熱のまま、懸命に仕事に取り組んできた。舞台演出はもちろん、テレビやCMにも出演した。

「でも観客が劇場に足を運ばなくなったんです。気力がなくなっていました。舞台を通していろんな人に会いたいと思っていたのに、その舞台を作れなくなってしまっていたんです。といってタレントになりたいわけではない。それで全部やめたいなと思いました」

乗せられ、流れていくことが不安だったのかもしれないという。

「それなりに生きていくことには興味がないんです。社会のレールどころか社会そのものを根底から信じてはいないので、つねに自問自答していたい。だから時折大きなブレーキを自分でかけて、リセットしてしまうんです」

高校時代の引きこもりも、ロンドンへの逃避行もそうだった。そしてこのときは、仕事から1年間離れ、本拠地を沖縄に移すことになった。

「いろんなことができそうだと思えました。音楽を聴いただけで涙を流すことができて、感動して頭の中にイメージがわき、興奮している。おれにはやはり、“これ”を伝えたい気持ちがあるんだ、ということを実感したんです」

4年後。01年9月11日から2週間あと。ニューヨークからタイへ飛んだ宮本亜門は、バンコクの路上で血まみれになっていた。乗っていたタクシーが事故に遭い、フロントガラスを突き破って10mも飛ばされた。呼吸をするために、頭部からの出血をひっきりなしにぬぐいながら考えたのは「ああ、『キャンディード』の初演のエンディングは間違っていた!」ということ。

「再演が迫ってたんです。“あのまま終わっちゃ絶対にいけない”って、血まみれで考えてる自分に気づいたとき、おれはやっぱり好きなんだなあって思いましたね。病的な話ですけどね(笑)」

演出という道具の価値について本当に実感したのは、このときだった。

そしていま手がけているのは、『スウィーニー・トッド』。18世紀のロンドンを舞台にした、殺人と人肉パイと復讐のミュージカルである。この作品をもともとミュージカルにしたのが、スティーヴン・ソンドハイムという作曲家。04年に宮本亜門が東洋人として初めてブロードウェイに進出したときの『太平洋序曲』の作曲家でもある。

「ソンドハイムは、ブロードウェイでも異端児です。この作品も苦い話ですよ。殺人者だから悪であるという、二極化を絶対にしないんです。描かれるのは恐ろしい凶悪犯だけど、単なる悪人とは片付けない。ただ、テーマを訴えるだけなら2時間30分は要りません。僕が見てもらいたいのはいろんな人間の持っている、いろんな面」

作りたいのはあくまでドラマだという。だから、ストレートプレイの俳優も多く登場する。今回は、市村正親と大竹しのぶの共演も話題のひとつ。

「その役にもっとも合っている人たちに演じていただきたいんです。ひとつ共通させたいのは、本番初日に向けてどれだけ自分の身を削り、没頭できるか。“単なる仕事”と思われたら、その作品の持ってる魂が薄くなるんです。とくにこのお二人は長年の経験がここまでのものを作り上げていると思います。しかもそれをもってしても、今回はたぶんハードルが高いと思いますよ。越えることで、もうひとつ違う面を出せるんじゃないかと考えてます」

新たな経験、である。そこは演出する側も同じこと。

「経験を積んだことで、前よりものを考えたり言ったりできると思うんですよ。でもそれ以外は18歳の子とぼくに変わりはない。よく“大人になる”っていうけど、ある日突然大人になるわけじゃないですよね。僕はずっとつながってるだけです。何かを経験したことで、自分の大切なものに次々蓋をしていくならば、そんなことには興味がないし、大人になる必要なんてないと思う。年を重ねるのはステキなことだということを、僕は自分で体験していきたいんです。頼むから静かにしてくれと誰かが言うならおとなしくしますけど、まだ大丈夫みたいなんで(笑)」

1958年東京生まれ。幼稚園時代から藤間流日本舞踊を習う。玉川大学演劇専攻科を経て、80年、ダンサーとしてデビュー。振付師を経て85年、ロンドンへ遊学。帰国後の87年、オリジナルミュージカル『アイ・ガット・マーマン』で演出家デビュー、翌年に文化庁芸術祭賞を受賞。ミュージカルのみならず、あらゆる舞台での演出にオリジナリティーを発揮。04年には、ニューヨーク、オンブロードウェイで『太平洋序曲』を東洋人初の演出として手がけ、翌年トニー賞の4部門でノミネートされる。市村正親×大竹しのぶというキャストでの異色ミュージカル『スウィーニー・トッド』は2007年1月5日~29日、日生劇場で上演。オフィシャルウェブサイトは

■編集後記

『スウィーニー・トッド』の日本での初演は25年前。主演は松本幸四郎と鳳蘭。これを観て驚いたという。「一幕の最後に死体の処理の仕方を相談する曲があるんですが、これが豪華な“ウィンナワルツ”。これはなんぞや、天才の技だと! ねたみとか、憎しみとか愛とか、人間はいろんなものを常に持っていると思います。それを出すか出さないか。コントロールできるかできないかという部分が面白いからお芝居をやってるようなものなので」。この作品にはそれがあった。

武田篤典(steam)=文
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