「遊びは真剣に、仕事は遊び心で」

Bro.KONE

2006.12.14 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
中1から夜の巷にデビューすべて身をもって知る

「たまたま糸居五郎さんのものまねをやったりしていて、何でもいいからこの業界にとにかく入ろうと思ってて。当時、あのねのねが司会をしていたものまね番組でチャンピオンになったんです。そしたら、あのねのね事務所に来いなんて話になって…」

大学に通いながらタレント活動。“関東乙女組”という4人組で文化放送のみのもんたの番組にも出演していた。「出だしがあのねのね事務所で、『ヤンヤン歌うスタジオ』でロボットダンスとかコントとかやったりしながら、それがはまってきちゃって」

結局、大学は7年通って6単位を残して中退。結果的に、25歳でタレント1本になる。『ヤンヤン歌うスタジオ』とは、あのねのね司会のバラエティ濃度高めの歌番組で、コーンはコントのオチに欠かせない人材だったが、ゲストのアーティストたちの夜遊び導師としても活躍していた。

「マッチとかトシちゃんとか、そうですね。チェッカーズを六本木に初めて連れてったし。とんねるずはあいつらが高校生のころから知ってる(笑)」

自慢ではなく、事実である。何しろ“デビュー”は中1、筋金入りだ。

地元は高円寺。中央線に乗り、立川で乗り換えれば、あとは福生まで1本。

「牛浜駅のそばに『BP』っていう、黒人のレストランバー(昔のディスコ)があって中学・高校時代はそこを根城にしてた。お客はみんな黒人ばっかで、マスターが片言の日本語で言うんですよ、 “オマエら最高だ! 日本人でそんなに若いのに、こんな曲聴いて踊ってるなんて!”。また調子に乗ってね」

福生の『Kブラザーズ』というテーラーでテンプテーションズが着ていたような玉虫地のスーツ(コンポラという)を誂えた。スーツを着て大晦日、ベースに遊びに行ったりもした。

「高校生のときかな、中に知り合いを作ってこっそり入れてもらうんです。中じゃ、黒人と白人が別れてパーティやってて、もうこんな楽しいところ、ないなと思ってた。徹底してきましたよ。遊びっていうのは真剣にやんないといけないと思ってたから。結局スーツ、20着ぐらい作って、後にライブの衣装でも着たし、いまも残ってます。今、51歳なんですけど、なぜクラブに行くかって聞かれると、答えようがないんですよね。根本がそうだから。ちょっとお茶してしゃべるなら、クラブでも行ってみんなが踊ってるの見ながらビールでも飲もうって、なるから」

バブルガム・ブラザーズを結成するのは83年。コーン28歳の年。これもまた、夜遊びの延長線上にあった。

好きなことをやり続けるため一発かまさねばならなかった

「トムと僕はよくブルースを歌ってたんです。六本木と新宿の弾き語りの店で。ブルースってね、今思うとラップなんですよ。その日あったことをスリーコードに乗っけて歌う。♪俺は新宿からここまで歩いてきたよ~そしたら渋滞で~こんな時間になったよ~♪ 掛け合いなんですよ。そこで、オマエはどうだと。♪俺はお前を待ってたんだ~♪なんてことをやっているうちに、バンドやろうよということになって」

81年公開の映画『ブルース・ブラザーズ』を2人とも観ていて、“あんなバンドがいいじゃん”という話になった。

「2人で100万回は観ましたね(笑)。で、人数集めて新宿の『昆』ってお店で毎日ライブ、お客が入れなくなっちゃって、ウワサを聞いた(ライブハウス)『ルイード』の田中さんが“うちでやんないか?”って。ちょうど、僕の同級生の佐野元春ってヤツが超満員の記録を作ってたから、 “佐野ができるんだったら俺らにもできるだろー”って。それから3年連続で超満員総立ちの記録を作りました」

これをうけて86年CDデビュー。超満員総立ちの記録がセールスにはつながらないまま4年が過ぎた。

「自分の好きなことをやらせてもらってて、それで売れないとなると、実はこんなに遊んでちゃいけないのかなって。クビになったら、次のレコード会社が同じようにやらせてくれる保証はないし。どこかで一発かましておかないといけないなと思ってました」

せっかく人が作ってくれたのにヒットしないと迷惑がかかる。自作なら誰にも迷惑かけないしあきらめもつく。「僕は何曲か提案しました。全部自分の息子みたいなものだから、どれでも構いませんよっていうスタンスだったんですけど、会議で満場一致で決まったのが『WON'T BE LONG』でした」

この曲は100万枚以上を売り上げるが、ミラクルや特別な努力は何もなかった。“ただカミさんのために作った曲だということ”と“タイミングがバチッとあっただけ”だと、言う。シングルがこの曲に決まったとき、コーンは思ったという。“ヒットしたら、当分好きなことができる”。

バンドは結局、解散してはいない。今は(当時もだけど)好きなことを自由なペースでやっている。実は昨年まで4年間腎臓を患い、闘病生活を続けてきた。夏に生体腎移植手術に成功。

「やっぱりこうなるんだなって。とにかく遊んできたから。遊びというものに関する哲学を作りたかった。遊び続けるとどうなるのかを知りたかったんだけど、今回ようやく卒業論文を書けそうな感じですね。遊びはね、真剣にやんないと大変なことになる。逆に仕事は遊び心でやんないとうまくいかないっていう。そういう結論かな。これはいずれ本に書いて出します(笑)。昔は悪いこともいっぱいやってたけど、みんなクリアしましたから」

そして去年、ゼロからのスタートを実感したという。

「ちょうど50歳で。50歳から死ぬまで、もう1回何か残せるものができたらいいかな。家族に対しても他のみんなに対しても。僕らがやってきた音楽を若い人たちに伝えたい。合わせるんじゃなくて、自分の音楽でみんなのニーズに応える。それでみんなが、もっと気持ちよくなれるとか、昔を思い出して涙を流すとかするのであれば、そこに向けてやることに関しては糸目はつけないぞって」

1955年東京生まれ、歌手、プロデューサー。大学在学中に素人参加のものまね番組で注目を浴び、芸能界入り。あのねのねとともに『ヤンヤン歌うスタジオ』に出演したり、ラジオ番組を担当。83年、Bro.TOMとバブルガム・ブラザーズを結成。86年CDデビュー。90年『WON'T BE LONG』がミリオンセラーとなり、翌年「NHK紅白歌合戦」に初出場。その後はソロとしても活動。『池袋ウエストゲートパーク』のマニアックなヤクザ役など、ドラマでも活躍する。腎臓を患い、昨年まで4年間の療養生活に。現在は『歌スタ!!』にウタイビトハンターとして出演中。また『WON'T BE LONG』が12cm版CDで発売中。

■編集後記

日大文理学部独文学科の学生でありながら、あのねのね事務所所属。業界へ入ったのはもともとソウルミュージックを紹介するようなDJになりたかったからだが、実は25歳のころすでにラジオでしゃべっていた。「文化放送の『みのもんたの激ラジモンターマン大逆襲』で、“僕の好きなソウルミュージックは~”とか言ってましたね。あ、みのさんはラジオ界で最初に知り合った人です。いまもお会いすると、立ち話とかしちゃいますね」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
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